経営の重要課題に個人と組織のマッチングが挙げられる。キャリア・アンカーは、個人が働き方において大切にしていることを知るためのツールとして、マッチングの役に立つ。本稿では、キャリア・アンカーの概念やタイプ、自己診断方法、活かし方などを解説する。
目次
キャリア・アンカーとは
キャリア・アンカーとは、自身のキャリア形成で犠牲にしたくないセルフイメージをさす。そのセルフイメージを構成する要素は下記の通りだ。
・スキルや能力領域
・動機や目標
・価値観
生涯にわたるキャリアの拠り所となるため、船の錨(アンカー)に例えられる。
キャリア・アンカーのメリット
キャリア・アンカーを知るメリットは、キャリアに対する自分の願望を理解しやすくなる点にある。キャリアを選択する場面での意思決定が容易になる。
経営者や人事担当者が、従業員にキャリア・アンカーの研修を用意するメリットもある。会社と従業員のマッチングを図りやすくなるためだ。従業員の思考を理解し、エンゲージメントを向上させれば、会社の業績も向上していくだろう。
キャリア・アンカーの注意点
キャリア・アンカーは、キャリアの中盤以降に形成されるため、学生にはない。なぜなら、自分の得意分野やキャリアに関する価値観などは、社会経験を積むにつれて明確になっていくからだ。
キャリア・アンカーが生まれた背景
キャリア・アンカーの提唱者は、MITスローン経営学大学院の名誉教授であるエドガー・H・シャイン博士である。
博士は、ウォルター・リード陸軍研究所で洗脳に関する研究を行った後、MITスローン経営大学院に移り、組織開発や経営開発、企業の組織文化といった領域で研究やコンサルティングを行った。
キャリア・アンカーという概念の起源は、博士がMITで行った組織心理学領域の調査研究にある。
研究テーマは、「人は入社した企業組織の価値観をどのように内面化し、態度や行動をどのように変えるのか」という内容だ。
MITスローン経営大学院の修士課程の同窓生44人を対象に、大学在学時や卒業後半年、1年後、5年後、10~12年後の5回にわたって、インタビューと質問票調査が行われた。
調査の結果、対象者の多種多様なキャリア・ヒストリーからは、当初のテーマに沿った明確な結論は導き出せなかった。しかし、彼らが選択を行った理由や感じたことは、驚くほど一貫性のあるパターンを示していたという。
彼らは無自覚に、キャリアの早い段階で学習したことにもとづいて、自身のキャリアに関するセルフイメージを形成していたのだ。
このセルフイメージがキャリア選択の道しるべとなったり、足枷となったりしていることに博士は気づく。
そして1975年にキャリア・アンカーに関する最初の論文が書かれた。
キャリア・アンカーの8つのタイプ
シャイン博士によれば、キャリア・アンカーは8つのタイプで説明できる。
タイプ1.専門・職能別コンピタンス(Technical/Functional Competence)
専門分野に特化して自分の才能を発揮し、さらに高い能力を身に付けていこうとするタイプだ。スペシャリストを目指す人たちである。
タイプ2.全般管理コンピタンス(General Menagerial Competence)
責任ある地位について組織の方針を決定したり、自分の努力によって組織の成功に貢献したりすることを喜びとするタイプだ。ゼネラリストを目指す人たちである。
タイプ3.自律・独立(Autonomy/Independence)
自分のやり方やペースで物事を進めることを好み、会社からは独立したキャリアを指向するタイプだ。西欧のような個人主義的な文化では珍しくないが、日本や中国のような集団主義的な文化でも増えつつある。
タイプ4.保障・安定(Security/Stability)
生活の保障や安全を何よりも優先させ、そのために組織に縛られることを苦にしないタイプだ。日本のような集団主義的な文化ではよく見られる。
タイプ5.起業家的創造性(Entrepreneurial Creativity)
新製品や新サービスの開発、新組織の設立、新規事業の立案など、起業意欲が強いタイプだ。何度失敗しても成功に向けて努力する。
タイプ6.奉仕・社会貢献(Service/Dedication to a Cause)
世の中を良くしたいという欲求にもとづいてキャリアを選択するタイプだ。所属する組織や社会の政策に対して、自分の価値観を反映させやすい仕事を志向する。
タイプ7.純粋な挑戦(Pure Challenge)
不可能と思える障害を克服したり、強敵に勝ったりすることを成功と捉えるタイプだ。敢えて困難に直面するような任務を求める。
タイプ8.生活様式(Lifestyle)
個人や家族、キャリアのニーズを上手く統合させるため、自分の時間に合わせた働き方を望むタイプだ。現代的な言葉で表現すればワーク・ライフ・バランスを望む人である。共働き家庭の増加にともなって男女ともに台頭してきた。
キャリア・アンカーの2つの自己診断方法
キャリア・アンカーの自己診断によって、自分の能力や目標、価値観に関する考えを深められる。キャリア・アンカーの自己診断方法をご紹介しよう。
方法1.Webサイト
キャリア・アンカーを自己診断できる質問票は、Webサイトで無料ダウンロードできる。また、画面上のプルダウンメニューで質問に回答していく診断サイトもある。
方法2.本
キャリア・アンカーを自己診断できる質問票が掲載されたシャイン博士の著書は、日本語訳で白桃書房から数冊出版されている。
「キャリア・アンカー ─ 自分のほんとうの価値を発見しよう」
E.H.シャイン 著、金井壽宏 訳
1990年に刊行された「CAREER ANCHORS DISCOVERING YOUR REAL VALUES Revised Edition」の邦訳版。質問票とインタビュー項目の掲載に加え、キャリア発達、個人と組織のマッチングに向けてやるべきことなど、シャイン博士のキャリア理論が簡潔にまとめられている。
「キャリア・アンカー セルフ・アセスメント」
E.H.シャイン 著、金井壽宏・高橋潔 訳
2006年に刊行された「CAREER ANCHORS Third Edition」の邦訳版。キャリア・アンカーを把握できるワークシートが掲載された小冊子である。
白桃書房が運営する公式サイトでは、「キャリア・マネジメント パーティシパント・ワークブック」と併せて読むことを勧めている。
「キャリア・マネジメント 変わり続ける仕事とキャリア」
E.H.シャイン/J.V=マーネン 著、木村琢磨 監訳、尾川丈一・清水幸登 訳
エスノグラフィー的手法を用いて組織を分析する専門家であるヴァン=マーネン氏との共著として刊行された「Career Anchors 4th Edition」の邦訳版。
キャリア・アンカーを把握できるワークシートに加え、ヴァン=マーネン氏と翻訳者たちの対談も掲載されている。
キャリア・アンカーの2つの活かし方
従業員が適職に就いて活躍できる組織を作るために、キャリア・アンカーの概念をマッチングに活かす方法がある。シャイン博士は「仕事が求めるものと、個人のキャリア・アンカーの求めるものが近ければ近いほど理想的だ」と述べている。
シャイン博士を含む専門家の意見を参照しつつ、キャリア・アンカーをマッチングに活用する方法を検討してみよう。
活かし方1.求職者のキャリア・アンカーと自社の組織文化を比較
雇用ジャーナリストである海老原嗣生氏は、エドガー・シャインポータルサイトのインタビューで、企業文化と個人の相性を確認するツールとしてキャリア・アンカーの活用を提唱している。
企業の採用でミスマッチが起こるのは、学歴や資格などの要素に騙されるからだという。
シャイン博士は著書の中で実例を引き合いに、企業が自社の組織文化を含めた仕事の全体像を分析する必要性についても言及している。 たとえば、米国マサチューセッツ州にあるゼネラル・エレクトリック社の大工場では、優秀なエンジニアが入社後3年以内に辞めていく傾向があり、原因追究を目的にインタビューを行った。すると、エンジニアたちが過度に管理されていたことが判明した。
管理的な組織文化と自律・独立タイプのキャリア・アンカーが、ミスマッチを起こしていた例だと解釈できる。
シャイン博士は、組織が雇用のミスマッチを防ぐ対策として、ジョブ・ディスクリプションだけでなく、ロール・マップ(ある職に対して誰がどの程度の期待を持っているかを表現する図)の提示を推奨している。
活かし方2.従業員のキャリア・アンカーにもとづいて育成・配属
キャリア・アンカーは、育成方法を考えたり、配属先を決めたりする際にも貴重な情報となる。
たとえば、専門・職能別コンピタンスをキャリア・アンカーとして持つ人は、キャリアの途中で専門分野以外の仕事に移されると満足感が低下し、技能も活かしづらくなる。
そのため、監督業務を担う管理職として育成するよりも、スペシャリストとして育成したほうが組織に貢献してもらいやすいだろう。
多様なキャリア・アンカーを持つ従業員たちに応えるため、柔軟性のあるキャリアパスを用意しておきたい。
キャリア・アンカーの考え方を経営に導入
キャリア・アンカーの把握は、従業員がキャリア選択の意思決定をしやすくなるだけでなく、経営者が採用や配属、育成を成功させるのにも役立つ。
経営者や人事担当者がキャリアの多様性を理解するだけでも、従業員のモチベーションが高まる職場環境になるだろう。
適材適所を実現させるために、キャリア・アンカーの考え方を活用してみてはいかがだろうか。
文・藤井真奈香(株式会社NTTデータ経営研究所)