ビジネス界をリードする経営者は、今の時代をどんな視点で見ているのか、どこにビジネスチャンスを見出し、アプローチしようとしているのか。特集『次代を見とおす先覚者の視点』では、現在の事業や未来構想について上場企業経営者にインタビュー。読者にビジネストレンドと現代を生き抜いていくためのヒントを提供する。
岐阜県に本社を置き、電気設備資材、給排水設備資材などの製造・販売を行っている未来工業株式会社。数々のユニークな制度から「日本一社員が幸せな会社」と呼ばれることもある。社員の幸せを追求する一方、2021年3月期実績では、利益率(親会社に帰属する当期純利益)約8%と高収益を誇っている。同社の代表取締役社長 山田雅裕氏に話を伺った。
(取材・執筆・構成=菅野陽平)
1963年生まれ、岐阜県出身。未来工業株式会社の創業者・山田昭男の長男として生まれる。大学卒業後は未来工業株式会社に入社し、営業所長、工場長、監査室長などを歴任する。2008年6月に子会社・神保電器株式会社の社長に就任し、業績不振であった同社を短期間で立て直すなど実績を残し、2013年6月に未来工業株式会社の4代目代表取締役社長に就任。
「日本一社員が幸せな会社」と呼ばれる理由
―まず、御社の事業内容を教えて頂けますでしょうか。
電気設備資材、給排水設備資材及びガス設備資材の製造並びに販売を行っている会社です。床下や天井裏のような普段あまり意識されない場所に設置される製品を手掛けているので、弊社のことを知らない読者もいらっしゃるかもしれませんが、創業以来赤字なしで、業界ではトップクラスのシェアを持つ企業です。
1965年8月に、山田昭男・清水昭八の2名により岐阜県大垣市に設立されました。山田昭男は私の実父です。実はこの2名、演劇仲間です。昭和30年代に岐阜県大垣市に劇団未来座という趣味で活動している劇団がありまして、山田昭男はそのリーダーでした。清水昭八は相棒的存在です。その後、他の劇団員も何人か入社しています。
創業時は、創業者2名に加えて、パートの女性2名もいました。そのうち1名は定年まで勤めあげ、最後は課長にまでなりました。女性活躍は今では当然のことですが、劇団をルーツに持っていたためか、当時は極めて珍しかった管理職に女性を登用することも多かったようです。今日の弊社の自由闊達な雰囲気は、このような文化が脈々と受け継がれて形成されたものだと思います。
―自由闊達と言えば、ユニークな制度をいくつも運営されていらっしゃるようですね。
よくメディアには「日本一社員が幸せな会社」として紹介して頂いています。私達からそのように発信したことはないのですが、弊社の様々な制度を知って頂くと、そのように感じるようです。具体的には、「ホウレンソウ禁止」「残業ゼロを目指す」「営業ノルマなし」「部下への命令禁止」「定年70歳」「育児休暇は最長3年」「提案すると不採用でも報奨金がもらえる」などが挙げられます。
全てに共通していることは「社員のやる気を引き出すため施策」ということです。私は社長をやっていますが、「ワシは社長じゃ!」といばっていても、社員800名分の仕事を1人でやることはできません。所詮、社長であってもやれることは1人分に過ぎません。社員がいて始めて、未来工業株式会社は成り立っているのです。
そして、その社員たちが常に50%の力で仕事をするのか、100%の力で取り組むのかでは、成果が大きく変わってくることは言うまでもありません。そのため、創業者2名は「どうやったら社員がもっとやる気を出してくれるか」と常に考え、色々な制度を作っていきました。その精神は今日の経営にも強く受け継がれています。
未来工業に浸透している「常に考える」というフィロソフィー
―一見、「残業ゼロを目指す」「営業ノルマなし」といった制度は高収益体質とは相反するようにも感じます。しかし、御社は高い収益性を誇っています。どのように両立しているのでしょうか。
その質問はたまに聞かれるのですが、個人的にはあまりしっくり来ていない質問でして、それらは相反するものではなく、そもそも両立するものだと思っています。大体の人は、やはり長時間働くと集中力が低下するものです。もちろん残業が全くのゼロというわけではないですが、通常の勤務時間内で効率的な仕事をして、早く帰宅してもらい、できる限りプライベートを充実させてもらいたいと思っています。
―限られた時間で大きな成果を出すのは「言うは易く行うは難し」だと思います。御社の場合は、どのように実現されているのでしょうか?
弊社が一番大事にしている言葉に「常に考える」というものがあります。「常に考える」以外は要求していないと言っても過言ではありません。どうやったら当社所定労働時間の7時間15分勤務のなかで仕事が終わるのか、どうやったらより改善し自分も取引先もハッピーになれるのか、私が言わなくても社員は常に考え続けてくれています。それが弊社の大きな力になっています。
提案すると不採用でも報奨金がもらえる制度も「常に考える」を念頭に置いたものです。人は誰しも、自分が考えたものが採用されると嬉しいですよね。とはいえ、何のインセンティブもなしに提案がたくさん出てくるわけはありません。そこで、不採用でも500円もらえる制度にしているわけです。
「社員をお金で釣っているのか」という意見があるかもしれません。しかし、お金目当てで良いのです。実際、クルマを買う、子どもが生まれる、家を買う、といった状況の社員は提案件数が増える傾向にあります。しかし、最初はお金目的だったかもしれませんが、提案したことが採用されて、実際に現場で導入される様を見ると、満足感や高揚感が生まれ、その後のパフォーマンスは格段に上がるはずです。
人生初の社長就任の3ヵ月後にリーマン・ショックが発生
―2021年3月期実績については、どのように感じていますか。
やや厳しい数字が並ぶ結果となってしまいました。確かに新型コロナウイルスの影響もありましたが、エコノミストの意見なども参照しますと、消費税が10%に上がったことが大きかったかもしれません。どちらの影響が大きかったかは何とも言いづらい部分がありますが、一定の冷え込みがあったことは事実です。
しかし、東日本大震災が起こったこともあり、「もっと耐震性能に優れた住宅に移り住みたい」という気持ちは皆さんお持ちだと思います。都心部ではひっきりなしに大規模マンションの建設が進んでいます。コロナ禍の影響で、郊外の一戸建てをリフォームして移り住むことが多くなっているとも聞いています。住宅分野に関しては、需要がなくなることはないはずです。
高度経済成長期に建てられた商業施設やオフィスビルの建て替え需要も旺盛です。当時の建築物の寿命の目安は50年と言われているためです。もちろん、全ての建物が一斉に建て替わるわけではなく、パラパラと建て替え案件になっていきます。地権者が相続によって分散している建物はなおさら合意形成に時間がかかります。
つまり、建築の仕事がなくなるわけではありません。あとは、ライバルメーカーとの競争に勝てるか勝てないかだけです。2021年3月期実績については、やや厳しい数字が並ぶ結果となってしまいましたが、今後に関しては大きな心配はしていません。
―初めて社長として経営を担ったのは、子会社の神保電器だったそうですね。
2007年に役付部長になり、営業を見ていました。2008年6月の株主総会で社長になりました。つまり、人生で初めて社長になった3ヵ月後の2008年9月にリーマンショックが起こったわけです。坂を転げ落ちるように業績が悪化していきましたね。売上高は2007年度が約43億円、2008年度が約39億円、2009年度は35億円台まで下がっていきました。
神保電器はM&Aで経営権を取得した会社で、大正時代から存在する歴史ある会社です。「90年以上の歴史がある会社を自分の代で潰してしまうのだろうか」と、毎日が不安とプレッシャーで一杯でした。非常に苦しい時期でしたね。
しかし、「全く売れない今だからこそできることがあるはずだ」と、苦しい経営状況のなかで様々な改革を進めていたところ、リーマンショックの次に東日本大震災と非常に厳しい環境ではありましたが、地道に基本に立ち返ることで業績は回復していきました。2009年度に35億円台まで下がっていた売上高は、2012年度には47億円まで伸ばすことができました。
苦しい経営状況のなかで行った様々な改革もジャンプアップに大きく寄与したと考えています。今は60億円近い売上高になっています。あのときの神保電器とは別の会社かと思うくらい、良い意味で変わっています。また、当時はとてつもなく苦しかったですが、いま振り返ると、リーマンショックを経験し、乗り越えたことが私個人の大きな力になっています。
父親の言葉が座右の銘 人材育成に課題あり
―山田代表の経営哲学について教えて頂けますでしょうか。
経営哲学と言いますか、創業者である父親(山田昭男)の「何をしても人生、何もしなくても人生」という言葉を大切にしています。これは家族で晩御飯を食べていたとき、父親が発した言葉です。どんな流れで発した言葉だったのかは忘れてしまいましたが、要するに「選ぶのは自分だぞ」と私に言ってくれました。私の座右の銘にしています。
―後継者についてどのようにお考えでしょうか。
正直に言いまして、なかなか難しい問題です。以前の製造部長が職人上がりの人でして、「人は育てるものではない、育ってくるものだ。這い上がってくるものだ」という考えを持っていました。職人気質の人が多い会社ですから、私をはじめ、多くの人間がとても納得していました。
しかしその結果、製造部は人が育たない部署になってしまいました。ある程度の競争は必要ですが、這い上がってくることをただ待つのではなく、這い上がってくるような仕掛けを用意するべきだったと反省しています。
お恥ずかしい話ですが、元々弊社は人材育成にあまり力を入れていなかった会社でした。人は自分で育つものという文化がありましたし、平成初期くらいまでは、お客様に育てて頂くことも多かったためです。私を含めて、お客様に育ててもらったと感じている営業マンは多いのではないでしょうか。
後継者のみならず、人材育成は弊社の課題です。私と似た年代の人材はある程度いますが、その下は薄くなってしまっています。課題であることはしっかりと認識して、対応を進めていきたいと思っています。
―最後に読者、株主、今後投資を考えている人、その他ステークホルダーなどに向けたメッセージをお願い致します。
既存株主の皆様におかれましては、日頃より支えて頂き、誠にありがとうございます。これまでお話してきたように、弊社の未来は全く暗くありません。課題がないとは言いませんが、より明るい未来が待っていると思っています。
弊社の業績は比較的安定しているため、ダイナミックさに欠けるかもしれませんが、安定感のある株であることで株主の皆様に貢献することは、これまでも意識していたことですし、今後も念頭に置いて経営を進めていきたいと思っています。
弊社は「日本一社員が幸せな会社」と言われることがありますが、自分たちからそのように発信したことはありません。全て第三者の評価です。我々はその時々で何がベストか、常に考えてやってきましたし、それは今後も変わることはありません。これからも宜しくお願い致します。
プロフィール
- 氏名
- 山田 雅裕(やまだ・まさひろ)
- 会社名
- 未来工業株式会社
- 受賞歴
- 1984年「グッドカンパニー大賞」 全国表彰受賞
2011年 第1回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞受賞
2015年 第1回「ホワイト企業大賞」受賞
2016年 緑化優良工場等経済産業大臣賞受賞 - 役職
- 代表取締役社長