八重洲ブックセンター本店が2023年3月31日をもって営業をいったん終了する。在庫100万冊を誇る日本初の巨大書店として東京駅前に開店したのは1978年9月。街区の再開発計画に伴い、44年半に及ぶ歴史の幕を下ろすが、そんな巨大書店の生みの親となった会社とは?

国内最大の書店として開店

「営業終了まであと〇〇日」。八重洲ブックセンター本店の入り口にはカウントダウンカレンダーがお目見えし、3月31日のラストデイが日に日に近づいている。

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(画像=本店で(3月7日撮影)、「M&A Online」より引用)

八重洲ブックセンター本店が開店した1978年といえば、活字文化の最盛期。パソコンの本格的な普及は1990年代半ばまで待たなければならなかった。そんな中、国内最大の書店として華々しくデビューした。

建物は地下1階、地上8階建て。社会・人文・自然科学のあらゆるジャンルに関して常時100万冊の在庫をとりそろえた。当時は、地方に勤務にする研究者や大学教員らが東京出張の折、お目当ての書物をボストンバックにまとめ買いする光景も珍しくなかった。

鹿島が旧本社跡地に開店

実は、八重洲ブックセンターの設立母体となったのはゼネコン(総合建設会社)大手の鹿島。東京駅前から赤坂に本社を移したのに伴い、旧本社跡地を利用して書店を開店したのだ。

それにしても、なぜ建設会社が書店に参入したのか。「鹿島中興の祖」とされる鹿島守之助氏(1896~1975年、元社長・会長)の存在を抜きにして語れない。守之助氏は外交官としてキャリアをスタートさせた後、実業家、国会議員、学者の三つの顔を持った。

文化・学術事業にことのほか力を注ぎ、守之助氏が鹿島会長だった1963年には鹿島出版会(東京都中央区)を設立。土木・建築、都市、芸術、デザイン関連で3000点を超える技術書の出版を手がけている。

鹿島出版会と同じ年に設立したのが日本技術映画社(現Kプロビジョン、東京都港区)。日本最初の超高層ビル「霞ケ関ビル」の建設を描いた映画「超高層のあけぼの」(1969年公開)は観客動員200万人に上るヒット作となった。

出版、映画に続き、満を持して参入したのが書店だったのだ。本店を旗艦店とし、多店舗展開を進めた。

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(画像=鹿島の本社(東京・赤坂)、「M&A Online」より引用)

トーハンが株式49%を取得

しかし、インターネットの台頭で構造的な出版不況が常態化し、書店をめぐる環境も厳しさを増した。2016年には出版取次大手のトーハンが八重洲ブックセンターの株式49%を鹿島グループから取得し、新体制をスタートさせた。

八重洲ブックセンター本店は周辺エリアの再開発でいったん姿を消すが、2028年度に完成予定の43階建て大型複合ビルに出店を計画している。仮店舗での営業は今のところ、決まっていないという。

文:M&A Online編集部