「マルスウイスキー」の歩み
マルスウイスキーは昭和24年(1949年)に本坊酒造で製造が始まり、生みの親となったのは岩井喜一郎という人物です。
マルスウイスキーが歩んだ現在までの歴史を見てみましょう。
「竹鶴レポート」をもとにマルスウイスキー誕生
マルスウイスキー誕生のきっかけは、岩井喜一郎が竹鶴政孝をイギリスに送り出したことに端を発します。
昭和35年(1960年)、岩井喜一郎が竹鶴政孝が作成したウイスキー実習報告書「竹鶴レポート」を基にポットスチルを設計し、さらには岩井喜一郎の指導によって「マルス」が誕生しました。
当初は山梨県石和にある山梨工場で製造が行われたそうです。
岩井喜一郎は、その6年後である昭和41年(1966年)に亡くなりました。
需要に翻弄されながらも復活
マルスウイスキーは昭和57年(1982年)の地ウイスキーブームの時期に注目を浴びました。
人気に後押しされてか、昭和60年(1985年)に現在の長野県上伊那郡にマルス信州蒸溜所が誕生します。
しかし、需要の低迷により平成4年(1992年)に蒸留が停止。
そんな危機的状況の中、本坊酒造は独自の戦略を展開しました。
なんと、貯蔵庫に眠る希少な原酒を商品化したのです。
この期間、「シングルモルト駒ヶ岳ウイスキー」といった銘柄を世に送り出しています。
その後、全国的なハイボールブームの到来から平成23年(2011年)には19年ぶりに蒸留が再開され、マルスウイスキーは復活を果たしました。
マルスウイスキーの歩みは、需要の変化に翻弄されながらも希少原酒の利用で活路を見出し、注目を浴びる道を切り拓いたものであるとうかがえます。
世界的で着実に評価される現在
危機的状況を脱して製造が再開されたマルスウイスキー。
同年に、鹿児島・山梨の3年原酒を長野で25年熟成させた「マルスモルテージ 3+25 28年」を発売すると、平成25年(2013年)にワールド・ウイスキー・アワード(WWA)で世界最高賞を受賞し、評価は世界に向けて着実に広まりました。
世界から高い評価を受けるようになったマルスウイスキーは、平成28年(2016年)には、屋久島エージングセラーとマルス津貫蒸溜所を竣工し、さらなる品質向上を遂げました。
さらに、2017年には「アイコンズ・オブ・ウイスキー(IOW)2017」で世界最優秀賞のクラフトプロデューサー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。
そして、2023年には「MARS The Y.A. #01」が高い評価を受け、東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)の洋酒部門で最高金賞を獲得。
世界的に高い評価を得たマルスウイスキーの確かな品質と独自の味わいは、現在もなおウイスキー愛好家から広く支持されています。