1970年代から浸透したSSKブランドのツナ缶

清水食品は鈴木與平商店において、文字どおり食品事業に特化した新事業であった。日本で初めてまぐろ油漬缶詰を本格的に製造・輸出し、翌1930年にはミカン缶詰を製造・輸出するようになる。

1969年には、まぐろ油漬缶詰を「ホワイトツナ」の名称にして国内販売も始めた。やがて、まぐろ油漬缶詰は原料となる魚種も多種になり、ツナ缶という呼び方をするようになった。

ちなみに「シーチキン」という名称も馴染みがあるが、それは、はごろもフーズが商標登録しているツナ缶のことである。

清水食品がその社名よりSSKというブランドで広く知られるようになったのは、1975年に東北SSK食品という会社を設立して以降のことだろう。1978年に清水食品はエスエスケイフーズを設立している。

1980年以降、清水食品ではマヨネーズ製造事業を1984年にエスエスケイフーズに譲渡したり、1999年に設立した焼津エスエスケイ食品と清水食品の飲料事業を2004年にエスエスケイフーズに譲渡したり、一方で2005年に東北SSK食品を清水食品が吸収合併したりと、活発なM&Aを繰り返してきた。

2011年には、SSKセールスとSSKプロダクツという会社を設立し、 清水食品の販売事業をSSKセールスに、製造事業をSSKプロダクツに譲渡。これら一連のM&Aは清水食品の独自の判断というより、鈴与グループの一員として行われたものだ。

最近では、2016年にSSKセールスがSSKプロダクツを吸収合併して製販一体化し、2020年には清水食品がSSKセールスを吸収合併している。

鈴与も清水食品も非上場であるだけに、M&Aの話もあまりオモテに出ることはない。しかし、鈴与は今日、グループ全体で年商約4500億円、鈴与単体で年商約1500億円という大企業に成長した。

清水食品は年間売上高を公表していないが、資本金1億円、従業員300人を超える。だが、清水食品の旧本社屋である缶詰記念館の“大邸宅の裏庭にひっそりと建つ納屋”のような姿は、鈴与における清水食品の存在を象徴しているかのようだ。

M&A Online
(画像=清水港の歴史を振り返り、港湾の将来を展望するフェルケール博物館、「M&A Online」より引用)

文:菱田秀則(ライター)