この記事は2024年3月22日に「きんざいOnline:週刊金融財政事情」で公開された「日本人メジャー選手と高校野球部員数との相関関係」を一部編集し、転載したものです。
(日本高等学校野球連盟 公式サイトほか)
高校の生徒数は、少子化の影響で1989年の564万人をピークに単調減少し、2022年には300万人を下回った。高校野球(硬式)の部員数も生徒数減少のあおりで、特に14年以降減少の一途をたどっている。15年には、男子サッカーの部員数を下回ったことで、長らく指定席だった部活別部員数における首位の座をサッカーに明け渡した(図表)。
なぜここまで野球部員数が減少しているのだろうか。本稿では、その疑問を日本人メジャー選手の活躍度の観点から考察していく。まず前提として、野球は、大半の学生が小学校からそのキャリアをスタートさせる。そのため、小学生の時に「野球をやりたい」と思わせるような日本人メジャー選手の存在が、その後の野球部員数に大きく影響する。ドジャースの大谷翔平選手も、小学生の時の憧れの選手としてヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏を挙げる。
大谷選手が小学生だった00年代前半から中盤にかけては、マリナーズのイチロー氏と松井氏の活躍が目立った。2選手の04年シーズン成績を振り返ると、イチロー氏はメジャーのシーズン安打記録を84年ぶりに更新する262本の安打を放ったほか、松井氏は当時日本メジャー野手最多の31本の本塁打を記録した。2選手が活躍した04年と10年後の14年を比べると、高校生徒数は40万人近く減少している一方、野球部員数は約1万人増加している。この結果からも、04年当時の小学生の多くが2選手の活躍で野球を始めたとみられる(男子サッカー部員数の08年から16年の増加は、02年の日韓ワールドカップ開催の影響が大きいと推測される)。
次に、00年中盤以降は、06年に城島健司氏、07年に岩村明憲氏、08年に福留孝介氏といったプロ野球で実績を残した選手が海を渡ったが、日本のプロ野球で活躍したほどの結果は残せなかった。10年代は、11年の西岡剛氏や12年の川崎宗則選手、13年の中島裕之選手などがメジャーに挑戦したが、レギュラー定着はおろかマイナーでの生活を強いられた。一方、投手では、12年にダルビッシュ有選手、14年には田中将大選手がメジャー入りし一定の成績は残したが、2選手が日本で獲得した投手最高賞である沢村賞、そのメジャー版「サイ・ヤング賞」を獲得するほどの活躍はしていない。従って、14年以降の高校野球部員数の大幅な減少は、イチロー氏の成績低下、松井氏の引退(12年)があった一方で、2選手に次ぐスター選手が出なかったことに起因している。
では、現在から10年後の高校野球の部員数はどうか。減少の歯止め役として期待されるのが、メジャーで2度のシーズンMVPを受賞し、23年には本塁打王のタイトルを獲得した大谷選手だ。大谷選手は、国内の全小学校にグローブを寄贈することでも話題となった。大谷選手の投打の規格外のプレーとプレー以外での野球普及活動が、10年後の高校野球の部員数を増やす起爆剤となり得る。
江戸川大学 客員教授/鳥越 規央
週刊金融財政事情 2024年3月26日号