株式会社ナカノ
(画像=株式会社ナカノ)
中野 隆志(なかの たかし)――代表取締役社長
「中野鉄工」として創業した父に請われ、県外の専門学校を卒業後の1992年に入社。主に金属製品加工を行う同社にて工場の作業員として働き始め、2004年に2代目社長に就任した。1990年には「株式会社ナカノ」に改組。父の他界後は設備投資や組織編成を積極的に行う。ダスポンの制作は 1995年から。2018年にはスライドダスポンが完成、グッドデザイン賞を受賞した。
株式会社ナカノは、富山県黒部市に本社と工場を構え、同県滑川市にも工場を置く。物流関連装置などの各種金属製品の設計から製作・組立、ステンレス溶接加工を行っている。また、オリジナル製品のメーカーとして、次世代型ゴミステーション「ダスポン」シリーズを製造・販売。家庭用の「ホームスライドダスポン」は宅配ボックスとしても利用されている。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷
  2. 業界動向と競合優位性について
  3. 承継の経緯と当時の心意気
  4. ぶつかった壁やその乗り越え方
  5. 今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
  6. メディアユーザーへ一言

創業からこれまでの事業変遷

—— 創業からこれまでの事業変遷についてお伺いしたいと思います。

株式会社ナカノ 代表取締役社長・中野 隆志 氏(以下、社名・氏名略) 1967年に私の父がこの会社を創業しました。当時、地元には吉田工業(現、YKK株式会社)というファスナーを製造する会社がありました。そのファスナーを作る工場が24時間稼働している中、父は別の会社の社員として、その生産ラインが止まらないように、24時間対応で機械を修理する仕事をしていました。その工場の責任者から働きぶりを評価され、独立を勧められたのがきっかけで、1967年に中野鉄工を1人で立ち上げました。

その後、お酒も飲まず、24時間対応の現場作業を続け、信頼を得ることで、ものづくりの依頼も増えました。そこで現在の本社工場にあたる工場を設立し、ものづくりの拠点を構築しました。1980年代からは、どんな依頼にも応える姿勢を貫き、「言われたことはしっかりとやり遂げる」という信念を持ち続けています。

—— ホームページを拝見すると、1970年代に黒部に第三工場まで立ち上げ、生産量を拡大されたとあります。YKK社以外のお取引先との関係はどのように広がっていったのでしょうか?

中野 黒部の工場が立ち上がるまでは、ほとんどがYKK様との取引で成長していました。70年代から80年代にかけて、YKK様が事業領域を広げる中で、我々もそこに対応し、工場を増設しました。

—— 1990年代には株式会社化され、1995年にはアメニティボックス「ダスポン」を開発されたそうですね。この開発の経緯について教えてください。

中野 1990年に滑川工場を新設し、これはYKK AP株式会社の外装系パネルの加工を行う板金工場として立ち上げました。そんな中、1995年にYKK AP社の課長で、町内会長を務める方から、カラス問題を解決するゴミステーションの開発を依頼されました。先代が一ヶ月かけて図面を作成し、シャッタータイプの「ダスポン」を完成させました。これがオールステンレスでインパクトがあったため、口コミで広がり、地元の新聞に取り上げられたことがきっかけで、事業が拡大しました。

—— 2000年代以降、「ダスポン」がどのように展開されていったのか、その後の流れを教えていただけますか?

中野 「ダスポン」は当初、メイン事業ではなく富山県内のみで販売しておりました。ただ、メイン事業がYKK社に依存しすぎていた部分もあり、この「ダスポン」を徐々に全国に向けて営業を開始しました。その後、2000年代に入り、リーマンショックを機に会社の方針を見直し、全国への営業を強化しました。

業界動向と競合優位性について

—— 最近のマーケットに対しては、御社はどのようにアプローチしてきたのでしょうか?

中野 そうですね、先代から引き継いで会社をどうしていくか考えていた2015年、自分が町内のゴミステーションへゴミを出す時にご近所の高齢者の方と話す機会があり、そこで高齢化社会の課題に気づきました。ゴミ箱の蓋すら開けるのが大変で、重量のあるゴミ袋を箱の高さまで持ち上げることがしんどいという方々が増えていたのです。

そこで、ゴミステーションのメーカーとして何ができるかを考え、高齢化が進む中での新商品の企画に取り組みました。まずゴミに詳しいのはゴミの回収業者だと思い、知り合いの社長に頼み、社員を派遣して一週間働かせてもらい、600箇所以上のゴミ収集集積所のデータを集めました。これをもとに、社内で必要とされるゴミステーションの形状を研究し、「スライドダスポン」が生まれました。

しかし開発は大変で、図面化しても動かない、開かないなどの課題が続きましたが、100箇所以上修正し、7個目のバーションにしてようやく理想の形になり、2018年に完成しました。その後、グッドデザイン賞を受賞し、その受賞がきっかけで、全国展開への道筋が立ち始めました。

—— 開発のご苦労があったようですが、出来上がったものを守るための知財戦略についてはどうされていますか。

中野 エントリーを考え始めた時から、意匠登録をしっかりと行っています。商標も抑え、特許についても対応しています。グッドデザイン賞を受賞したことが大きな助けになりました。2019年に展示会に出展し、2020年から本格的に販売を始めたのですが、コロナの影響で展示会も中止になり、厳しい時期に突入しました。

—— コロナ禍はどのように乗り越えられましたか?

中野 コロナ禍でテイクアウトや通販が増え、家庭内にゴミが溜まる問題がありました。それを解決するために、スライドダスポンをコンパクトにした「ホームスライドダスポン」を開発しました。自宅の玄関横に置いても景観を損なわないデザインで、家庭内のゴミ問題を解決する製品です。これはコロナ禍のおかげで生まれたとも言えますね。

承継の経緯と当時の心意気

—— 承継の経緯とその時の心意気をお聞かせください。

中野 事業承継の際は、先代が会長という形で会社に残り、私は社長を任されるという形でした。役割としては、対外的なことを会長が行い、内部的なことを私が担当するという役割で分担していました。ただ、方針や意見の違いなどから、会長とは毎日喧嘩していましたが、週に1回は必ず飲みに行ってわだかまりを解消するようにしていました。

2013年に先代が亡くなった後は、相談する人がいなくなり、自分一人でどうすればいいのかわからない時期がありました。その時、Tコンサルティングを紹介され、そこで2年間一緒に伴走してもらいました。そして、自分がやりたい方向性をしっかり出さないと、従業員もついてこられず、何をしたいのかわからない会社に魅力はないと気づきました。経営者として腹をくくったのは2015年頃で、そこから新しい方針を始めました。

それまでは、社員一人一人に気を使いすぎていたところがありましたが、それ以降は会社の方針をブレずに進めることにしました。やると決めたらもうその方向に進むという方針でやったので、昔からのやり方が変わってついて行けないと感じた社員は去っていきました。それが2017年から2018年頃です。しかし、そのおかげで結果を出すことができましたし、今いる社員は、方針や方向性を理解してこの会社に来てくれた方々なので、これからもブレずに進めていきたいと思っています。

ぶつかった壁やその乗り越え方

—— ぶつかった壁やその乗り越え方についてお聞きしたいのですが、会社経営においてどのような壁に直面されましたか?そしてその乗り越え方についても詳しく教えていただけますか?

中野 そうですね。1つ大きな壁としては、先代が亡くなった後、自分自身が何をしたいのか、何をしなければならないのかをしっかり考えなければならなかった時です。各部門に責任者を置き、自由にやってもらうことが社長業だと思っていたのですが、やはり自分がブレずに進むことで人がついてくるようにしないと、責任も取れないし現状も把握できないと気づきました。

そして、月に1度いろんな企業を訪問して勉強する機会を持ち、腹をくくって全てをやるようになりました。寝る時間もないくらい仕事に向き合った時期もあり、それは大変でしたが、今ではやりたい方向にスムーズに進めるようになりました。

—— なるほど。もう1つ、事業承継に関してお悩みの方も多いですが、株式や相続に関してご苦労はありませんでしたか?

中野 幸いなことに、そういった苦労はあまりありませんでした。当時、経理を担当していたのが母親で、しっかりと準備をしてくれていました。お互いの強みを活かしながら、うまくタッグを組んでいましたね。

今後の新規事業や既存事業の拡大プラン

—— 将来の展望についてお伺いできればと思いますが、事業面で、例えば5年後、10年後のビジョンについてお聞かせ願えますか?

中野 現状、ダスポン事業の比率を3カ年計画の中で売上の30%にしたいと考えています。そうなると、今の工場では手狭になる可能性があります。そこで、各工程や世代のメンバーを選出し、設備や工場、人材についても今からしっかり検討していく必要があります。

そういう中で新入社員の採用についても、魅力的な会社としての入口を作りたいと考えています。

—— ファイナンスについてもお伺いしたいです。工場への投資やM&Aの可能性について、資金面の戦略をどのように考えていますか?

中野 経営方針説明会には、当社のメイン銀行の支店長も参加しますので、資金計画の一環として、3カ年計画やその先のビジョンを理解してもらおうと思っています。工場の拡大には当然予算が必要ですし、それをどう捻出するかを考えながら、売上目標や利益目標を達成する必要があります。金融機関とも継続的にコミュニケーションを取り、計画を理解してもらうことが大切です。M&Aについては現時点で具体的な計画はありませんが、タイミング次第で考える可能性もあります。

メディアユーザーへ一言

—— 記事の読者に向けて、一言いただけますか?

中野 当社は驚きと喜びを与える想像力を持ち、それを形にする企画開発力を大切にしています。妥協せずにものづくりを行う社風と技術が根底にあり、それがお客様に対する価値になっていると感じています。この魂を持った商品を、これからも多様な形で創出し続けていきたいと思っています。

諦めずに、日本経済がデフレからインフレへと脱却しようとする中で、日本国内だけでなく、広い市場でシェアを広げ、チャレンジしていくことも重要だと思います。当社もこれから積極的にチャレンジしていきたいと考えています。

—— ありがとうございます。今後の御社のご活躍を期待しております。

氏名
中野 隆志(なかの たかし)
社名
株式会社ナカノ
役職
代表取締役社長

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