この記事は2024年12月25日に「第一生命経済研究所」で公開された「未解決事件になった「年収の壁」」を一部編集し、転載したものです。


年収は上昇、でも資産価値は減る ? 今こそ考えたい「外貨預金」という選択肢
(画像=takasu / stock.adobe.com)

目次

  1. 所得税基礎控除が+10万円
  2. 「税金の壁」は曖昧化
  3. 控除引き上げの減税効果
  4. 特定扶養控除の拡充
  5. 「社会保険料の壁」対策の怪

所得税基礎控除が+10万円

2025年度の与党税制改正大綱が発表された。そこでは、「年収の壁」に対する見直し案がどうなるかが焦点の一つだった。結果は、①所得税については基礎控除が+10万円引き上げられる(課税所得2,350万円未満)。②所得税・地方税の給与所得控除の適用ラインが、年収190万円未満でそれぞれ+10万円ほど引き上げられる(最低保障額・現行55万円→65万円)。年収190万円以上では給与所得控除の引き上げはない。従って、年収190万円未満に限定されて、「税金の壁」は103万円から123万円に引き上げられるかたちだ。また、③特定扶養控除の適用ラインは、103万円から150万円に引き上げられることも明らかになった。

この議論は、労働制約をなくすことが主眼であり、常にその論点にフォーカスしなくては何を議論してきたかがわからなくなる。一部の報道をみると、「これで家計はいくら減税になるか?」の計算に力点を置いたものもある。税制改正は、減税を議論しているのではない。

見直しで生じる税収の穴=財源について言えば、住民税収の穴は非常に限定される。所得税の方も年収190万円以上は基礎控除の+10万円だけになるから、所得税収の穴もそれほど大きくなくなる。多くの世帯について、基礎控除の引き上げ幅だけで所得控除額の見直しが限定された点では、物価上昇率にスライドした境目の見直しは小幅に落ち着いたと言える。与党と協議を進めていた国民民主党からすれば、自らが掲げた178万円には程遠いという不満が残る結果になった。

そもそも「年収の壁」問題とは、息子・娘が一定の年収を超えると、世帯主が得ていた扶養控除が一気に消えて、息子・娘の働き控えが起こっていたことにある。子供の扶養控除は、所得税38万円(特定扶養63万円)、住民税33万円(特定扶養45万円)であった。親の扶養控除が一気に消えることが嫌がられて、子供の労働制約を生じさせていた。これは「壁」と言うよりも、実際は「年収の崖」であった。今回の見直しには、まだ様々な問題点があるとしても、物価変動に合わせて境目を調整する仕組みへと移行する第一歩となるように見える。

しかし、未解決の問題は、家計の労働制約が「税金の壁」だけではなく、「社会保険料の壁」にもある点だ。筆者は、こちらが本丸だとみている。その問題は2025年3月にかけて本格的に議論されるだろう。「社会保険料の壁」の扱いは、後述するように「藪を叩いて蛇を出した」感がある。

「税金の壁」は曖昧化

「税金の壁」とは、繰り返しになるが、息子・娘の年収が103万円を超えると扶養者から外れて、一気に世帯主の所得税の扶養控除を消滅させることである。この変化を恐れて、親は子供に対して、働き控えを促すことになる。税制改正大綱では、その境目を所得税で123万円、地方税で113万円にすると発表した。

少し気懸かりなのは、この壁の見直しが仕組みを複雑化させていることだ。新聞報道などで「年収の壁が123万円に引き上がった」と単純明快に報じられるが、正確には住民税は113万円のところで壁は残ったというのが事実だろう。壁を抜本的に見直すという方針に照らすと、実際のところ、何か対応策が曖昧化されたような気がする。

もう1つ、扶養控除が一気になくなることも、後述する特定扶養控除(19~22歳の子供を持つ世帯)を除いた世帯では、抜本的な見直しとはならなかった。おそらく、アルバイトをする子供を持っている親の年齢は、50歳代が多いと考えられる。親の年収が高いほど、子供が扶養から外れたときの逸失利益は大きいはずだ。この点は、本来、所得控除が年収増加に応じて、徐々に減額される仕組みを講じてもよかったと筆者は考える。

控除引き上げの減税効果

娘・息子の労働供給が「年収の壁」のせいで抑制されている問題は、限定された世帯の問題だ。しかし、大多数の世帯(課税所得2,350万円未満の世帯)に対して、一律に基礎控除を+10万円にする扱いにしている。

問題の核心は、「年収の壁」の修正という目的に加えて、所得控除103万円という境目が、1995年の前回見直しから物価水準に合わせて引き上げられてこなかったという問題を一緒に改善しようとしていることだ。つまり、与野党協議は、実のところ2つの政策目的を追求しようとしているのだ。そのため、議論が複雑化してしまっている。多くの人は、この問題を「年収の壁」と称しているが、本当は「所得控除の物価水準」にも同時に対処しようとしている。このように考えると、今回の問題への理解がより進むはずだ。

後者の論点は、広い意味でブラケット・クリーピングの解消という意図になる。野党は実のところ、こちらに力点を置いて議論をしているので、与党の提案との間にすれ違いが起こるのだろう。

税制改正大綱は、1995年以来据え置かれてきた所得控除は、いくらか上方修正された格好であるが、厳密に考えると、住民税の方は基礎控除を据え置いたことで、何も対応ができていない。この理屈は、確かに釈然としないものがある。住民税の所得控除を見直すと、地方財政に悪影響が起こることに配慮して、本格的な見直しをしなかったのだろう。もともと存在したブラケット・クリーピングの解消という目的は、店晒しになった格好である。

次に、家計ではどのくらいの税負担の軽減になるのだろうか。

まず、(1)年収190万円未満では所得控除の拡大+20万円で▲1万円(=20万円×5%)になる。地方税では+10万円で▲1万円(=10万円×10%)になる。合計は▲2万円の減税である。

さらに、年収190万円以上はどうなるかを計算すると、前提として、課税所得195万円未満は5%の所得税率、330万円までは10%、695万円未満は20%、900万円未満は23%、1,800万円未満は33%、4,000万円未満は40%、4,000万円以上は45%という限界所得税率になる。そこで、課税所得階層別に大まかにみていくと、

(2)課税所得額195万円未満は、所得税の基礎控除見直しで▲0.5万円(=10万円×5%)の減税。

(3)同330万円未満は、所得税▲1万円(=10万円×10%)。

(4)同695万円未満は、所得税▲2万円(=10万円×20%)。

(5)同900万円未満は、所得税▲2.3万円(=10万円×23%)。

(6)同1,800万円未満は、所得税▲3.3万円(=10万円×33%)。

(7)同2,350万円未満は、所得税▲4万円(=10万円×40%)になる。

今回の税制改正大綱では、課税所得2,350万円から所得控除を段階的に減らす措置を講じている。従って、課税所得が特に大きい世帯は、減税の恩恵には預かれない。

税収の穴については、地方税には影響が及びにくいように配慮しているが、それでも所得税収の1/3が地方交付税交付金に回るという仕組みに従うと、所得税収減少分の1/3が地方税収の減少に跳ね返る。政府の説明では、税収の穴は▲6,000億円~▲7,000億円になるとされる。それに応じて、税収減がいくらかは地方財政にしわ寄せされるだろう。

特定扶養控除の拡充

19~22歳の子供を持つ世帯主は、従来は子供に103万円の年収要件が課されていた。税制改正大綱では、それが150万円に引き上げられる。特定扶養控除の枠は、そこからさらに150~188万円について控除額を段階的に縮小させることになる。パート・アルバイトの平均時給が1,000円だったとして計算すると、週19.8時間の労働時間が28.8時間に45.6%増になる計算だ。学生の勉強時間との兼ね合いは気になるが、政府は若年労働供給の増加を求めているのだろう。

「社会保険料の壁」対策の怪

税制改正大綱が、103万円の壁を見直して、「税金の壁」を123万円にしても、その手前に106万円の壁がある。つまり、「社会保険料の壁」も同時になくさないと、労働供給の制約は大きくは改善しない。それに「社会保険料の壁」に直面しているのは、娘・息子以上に配偶者の方である。配偶者の人数は多いので、「社会保険料の壁」こそが本丸のはずだ。そうした事情を頭に入れると、「年収の壁」問題はまだ未解決だと筆者は考えざるを得ない。

新聞報道によれば社会保険への加入に関して、厚生労働省は年収基準を止めて、週20時間以上(学生以外)という条件に変えるという。この見直しは、2025年3月までに進められる。多くの人は、この見直しは年収基準がなくなったことで「基準緩和」になると錯覚する。実際は、今まで週20時間以上働いても、年収が106万円未満(従業員数51人以上、50人以下は130万円未満)であれば社会保険料を負担しなくてもよかったのが、今度は週20時間以上働いていれば、年収が106万円未満であっても保険料負担がかかってくる。適用除外の条件が少なくなり、実質的に「基準強化」になる。

数値例を使うと、この基準強化がいかに厳しいかがよくわかる。例えば、時給1,000円のパート労働者がいたとしよう。週20時間であれば、年52週だから年間総労働時間は1040時間×1,000円=年収104万円になる。つまり、週20時間の基準を守ろうとすると、年収は104万円程度になってしまう。2024年10月から全国平均の最低賃金は1,055円になった。これで計算すると、年間109.7万円になる。週20時間の基準に統一されてしまうと、パート労働者は保険料支払いの適用を回避しにくくなる。厚生労働省は、新たに保険料を負担する対象者が200万人増えるとしている。

この基準強化は、社会保険料の支払いを半ば強制し、総労働時間を減らしたパート労働者の手取り年収を減らす効果をもたらす。これこそ、働き控えである。政府は支援パッケージを用意して、負担増になる中小企業向けに補助金を支給することで、パート労働者の給与水準を引き上げて、手取り年収を減らさないための枠組みを用意している。しかし、この支援制度は中小企業が自主的に申請して受け取らなくてはいけない制約がある。すべての中小企業が支援制度を認知し、利用するかわからないという不確実性がある。

その代替案として浮上しているのが、増加する保険料を企業が負担するという案である。現状は、保険料負担は労使折半だが、企業側に負担増を強いるということになる。

これも数値例で考えてみよう。週20時間であれば、時給1,000円で年収104万円である。それが週21時間になったとすると、週21時間×52週間×1,000円=109.2万円に名目賃金は増える。しかし、そこに、例えば厚生年金保険料18.3%+健康保険料10%がかかってくるとすれば、年間30.9万円の社会保険料負担になる。仮に労使折半の場合は、パート労働者の手取り(社会保険料を控除)は、週20時間=104万円から週21時間93.7万円(=109.2万円-30.9万円÷2)に変わる。こうした状況で、仮に社会保険料負担を中小企業がすべて負担するときは、パート労働者の人件費が週20時間104万円から週21時間140.1万円(=109.2万円+30.9万円)へと一気に上がる。

すべての中小企業が支援制度を使えば、目先の数年間は負担軽減ができるという立て付けになっているが、支援制度を申請しない中小企業も少なくないだろう。その場合は、パート労働者の雇い控えを発生させて、中小企業の人手不足に拍車をかけることになりかねない。

この見直し案に対しては、中小企業団体が反対を表明している。無理もない話だと思える。与野党協議では、なぜかこうした社会保険料の扱いを問題視して、野党が批判を強めるという展開になってはいない。もっと民意を反映した議論が望まれる。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生