日本人の「三国志」好きは、中国のネット空間でもたびたび話題になっている。この習性について、中国人サイドからはいろいろな意見が出ているが、どうも短絡的な分析に留まるようだ。ここでは逆に中国人の歴史感覚へと切り込むことで、日本人と中国人の「三国志」について考えてみたい。

中国人がよく使う「黄色人種で初」のフレーズ

英雄や大スターに対する感覚は、日中で大きく異なっている。日本人のように憧れ、崇拝といった感情移入にまで走る、といったときめく心理はない。どちらかというと業績評価に近い。少し現代スポーツの英雄を例にとってみよう。

昨今のスポーツの英雄としてすぐに名の挙がるのは、陸上の劉翔、バスケットボールの姚明、女子飛び込みの郭昌昌、バドミントンの林丹、水泳の孫陽などである。次項で分析を加えるが中国人は「黄色人種初の」というフレーズをよく使う。黄色人種初の陸上短距離種目(男子110メートルハードル)オリンピック金メダリストの劉翔は、まぎれもなく英雄だった。2連覇を目指した地元開催の2008年北京オリンピック、彼が予選でスタート直後に棄権した時、国中でため息が漏れた。

しかしあくまで、「ああ仕事を完遂できなかったなあ、残念」といった感覚で、誰も悲鳴が上がるほど熱中していたわけではなかった。

中国にはスポーツに国を挙げて熱狂するという感覚はない。また日本人なら誰もが持っている、感動の国民的名勝負、名場面の思い出も、中国人は一つも持っていない。スポーツの精神土壌が“やせて”いるのである。

さらに言うと、先に挙げた5人のうち、姚明を除く4人は、問題行動、問題発言で物議を繰り返している。日本的なスーパースターとしての好ましい在り方とは、かなりずれているのだ。中国では実績さえ伴っていれば、それだけで構わない。憧れる、といった入れ込みはなく、ファンというよりウォッチャーに近い。業績を上げつつある経営者を温かく見つめる株主、と比喩してもよい。実際彼らは競技外においても巨額の利益を稼いでくるから、面白くて目が離せない。

中国を覆う外国人コンプレックス

こうしたスタンスは、歴史上の人物に対しても変わりない。歴史にロマンはない。中国の歴史とは英雄がどうやって厳しい勝負をくぐりぬけて成功したか、それにプラスして儒教的徳目(親や皇帝に対する忠義、忠誠)に問題はなかったかの検証作業のようなものである。

中国人にとって歴史とは、成功あるいは失敗談の集積で、人生の教科書、参考書といった感覚だ。こうした現実重視の中国的視点からすれば、日本人の三国志英雄に対するマニアックな思い入れは、異次元の世界だ。なぜ外国人がそこまで入れ込む?という不思議さ、こそばゆさなどを感じているだろう。日本人の歴史ファン心理をまったく理解できないのだ。

先に中国人の「黄色人種初」というフレーズ好きを挙げたが、これはやはり欧米人コンプレックスの裏返しと見て間違いなさそうだ。実は欧米のほうが正しく、立派であり、彼らは価値判断の基準をも所有している。本当は中国の歴史などいくら突っ張ったところで、欧米にかなわないのでは、という疑いが頭をもたげているように見える。

中国国家が強大となり、経済的に豊かになっても、一向に欧米指向に陰りは見えず、むしろ拍車がかかっている。留学、移民ビジネスは花盛りである。日本は欧米陣営の一員という面と、中国に攻め込み、同時にアメリカとも戦う、という無謀な面とを持ち、コンプレックスを抱く相手ではないにしろ、やはり中国にとっては外国そのものである。自信がぐらつく中、外国人がとやかく言うな、三国志でそんなに熱くなるなよ、ほっといてくれ、などの声が聞こえてきそうだ。

中国人へのアンケート 曹操が人気?

この稿を書くにあたり、周囲の中国人に「あなたの好きな三国志英雄アンケート」を試みた。以下彼らの職業と挙げた人物である。

海軍北海艦隊将軍………曹操
将軍の従兵………曹操
地方テレビ局アナウンサー………趙雲、関羽
富裕層向け鍼灸院の院長………諸葛亮、関羽
語学学校経営者………関羽
銀行支店長………諸葛亮
外資系食品会社課長………諸葛亮
外資系食品会社大卒新入社員………曹操
芸術家、酒飲み、自称「非主流文化創造者」………曹操

という結果になった。サンプルは少なく、全体の傾向を表しているとは限らないが、この中で文化程度(学歴のこと)の高い人たちが重視したのは、趙雲、諸葛亮、関羽に代表される「忠義」だった。やはり管理する側に立つと、部下にこれを求めることになるのだろう。また海軍関係者と若者とアウトローは曹操を挙げた。そのイメージは、すぐれた統治能力を持つ冷徹なリアリスト、といったところで、自らの持つ、あるいは持たざる「力」の象徴なのかと思う。

ネット検索でも好きな三国志英雄は?と探ってみると、曹操が一番多く、上記以外の英雄では劉備、周瑜の名が出て来た。恐らく日本でもほとんど同じような結果になるのではないだろうか。結局、日本的なマニアックな視点でも、中国的な現実、教訓を重視する視点でも、人気の高い英雄は変わらない。三国志当時の中国は、今とは違って、もっと分かりやすい普遍性を備えていた、ということかもしれない。(高野悠介、中国在住の貿易コンサルタント)