もうかなり昔の話になるが「ここが変だよ日本人」というTV番組があったのをご存知だろうか。日本を訪れた外国人が自国の習慣と比べて「どうして日本人は?」と不思議に感じた様々なエピソードを紹介し、議論する番組である。国が変われば習慣も変わる。今回は中国に在住する筆者が日常的に感じる中国の人々の不思議な習慣を「ここが変だよ中国人」と題してまとめてみた。

まったく理解できない。若い女性の「ながら出勤」

中国は女性の総活躍社会である。オフィスビルのエレベーターに乗ると明らかに女性の方が多い。そして彼女らはよく言えば自由奔放、日本の感覚では傍若無人だ。まるでこの世の主であるかのように街を闊歩している。何しろ男女比(2014年)は105対100である。適齢期に限ればこの比どころではではない。圧倒的に有利である。

有利は常に拡大に努めるのが中国人の真骨頂である。結婚相手に求める条件は高くなるばかりだ。また男など欲しいモノの一つにすぎない。仕事、財産、余暇、男、子供、あらゆるモノを手に入れるつもりだ。邪魔するものは容赦しない。ましてお行儀などで周囲に気を使う必要はさらさらない。

朝の出勤風景、サンドイッチやハンバーガーはおろか、はなはだしきはバナナを咥えて出勤してくる猛女までいる。作法を仕込んでくれる腕のいい調教師は現れないものだろうか。

がらがらの高速道路で接触事故を起こす中国人

中国の交通事情はご存じの方も多いと思う。混雑した交差点では、少しでも先へ行こうと常につばぜり合いが繰り広げられる。

日本では直進優先で、右折車は大人しく待っているが、中国にルールはない。気合で突っ込んだ方が勝つ。引き分けになると接触してしまう。現実に接触事故は絶えることがない。その事故によりさらに渋滞が悪化する。

しかし街中ならまだわかる。中国人は通行量の少ない高速道路でも接触事故を起こすから訳がわからない。どうやら先行車を視認すると、勝手にギアが戦闘モードにシフトアップしてしまうようだ。いらぬちょっかいを出し、事故につながる。彼らの頭を冷やす専用「熱さまシート」でも開発できないものだろうか。

エンコする消防車。縁の下の仕事を見下す中国人

消防署の100メートル先の中央車線で、消防車が止まっていた。エンジンカバーを開け数人がのぞき込んでいる。エンコしたらしい。日本なら全国規模のお笑いネタにされそうだ。

しかし中国では些細な事でしかない。路線バスもしょっちゅう故障を起こす。冬なら次のバスが来るまでふるえて待つことになる。なぜしっかり整備をしないのか。それは中国に「匠の技」に対する尊敬心がないからだ。息子が自動車整備士になりたい、と言ったら多くの母親は血相を変えて怒り出すだろう。

中国人の心には中華思想がひそみ、縁の下の仕事を見下しているのだ。日系の整備工場が進出するのが一番よさそうだが、他に何かよい方法はないものだろうか。

病院は儲かるビジネスなのだ

中国の病院は救急患者を別にすれば、初診料を支払わないかぎり診察してくれない。つい最近まで外国人料金もあった。初診料は2倍だった。「医は算術」を地で行っている。病院は儲かるビジネスなのだ。

某駐在日本人に大腸ポリープが見つかった。開腹手術に加え1週間から10日の入院が必要との診断である。ところが日本で受診すると、簡単な内視鏡切除で日帰りか1泊2日の入院で済むという。

一事が万事この調子で、患者とは、病院が儲けるために存在している。患者の方にも問題がある。軽い症状でも強力な点滴を処方してもらわないと納得しない。どっちもどっちで、変に調和が取れているから手に負えない。欧米から名医を招いて改革するのが一番よさそうだが、他に何かよい方法はないものだろうか。

葬儀にみせる中国人の演技力

葬儀に出席した時のことだ。喪服という習慣はなく、喪章または黒腕章を付けるだけでよい。式は主に棺桶の回りを一周する最後のお別れ、火葬後のお見送り、主に2つの儀式がある。始まるまでは、ガヤガヤガヤガヤ世間話に興じ、普段の中国人と変わらない。

しかしお別れ本番が始まると、すっかり号泣につつまれる。特に女たちは泣き叫び、取りすがる。これが終わると見送りの儀式まで間があく。すると憑き物が取れ、またワイワイガヤガヤである。そして最後のお見送りでもちゃんと涙声を絞り出す。見事にメリハリが効いている。それをみな自然に演じることができる。

中国人の演技力は驚異である。ゆめ中国人に騙されることがあってはならない。そうした教訓は別として、葬儀なのだからもう少し荘厳にはできないものだろうか。(高野悠介、中国在住の貿易コンサルタント)