ANA2

羽田空港(東京)の国際線発着枠に伴うANAとJALの対立

両者の対立の要因を探る前に羽田空港の成り立ちを簡単に説明します。羽田空港は1931年に「羽田飛行場」としてスタートしました。2年後の1933年には中華民国(当時)を始めとする国際線が始まり、それ以来、利用者が急激に増え続ける反面、羽田空港自体の容量が不足する様になったため、東京第2の新空港が求められる様になりました。1978年には隣の千葉県に新しい空港(成田空港)が開業しましたが、その時、羽田空港の国際線の大半を成田空港に移行してしまったため、それ以後、羽田空港は専ら国内線に特化したローカル空港になってしまいました。

2009年10月12日、国土交通大臣が羽田空港を国際空港化する様、従来の方針を切り替えました。2010年10月21日、国際線ターミナル開業後、徐々に羽田発着を発着する国際線が増加しています。この改正により、成田空港に限らず、今までソウル等を利用している人の一部も羽田空港を利用する様になったと言われます。

しかし、この度の羽田空港の発着枠拡大に関し、国土交通省はANA:11便/日に対してJAL:5便/日とANAに偏って割り当ててしまったため、お互い深刻な不信感に包まれている様です。

①JALの経営破綻を救った国土交通省

今回、国土交通省が羽田空港の国際線をANAに偏って割り当てた理由は2010年のANAの会社更生にあると言われます。当時、JALは2兆円以上に上る負債を抱えていて、国土交通省は会社更生を認めています。会社更生を受ける場合、債権の一定割合が圧縮されますが、経営者は全て新しい人間に切り替わらなければなりません。その時、必要経費に関する債権は圧縮されませんが、それ以外の借金は減資可能です。JALは100%減資することを決定し、2010年02月19日、最後の株取引が終了しています。

会社更生後のJALは短時間で経営が蘇り、今ではライバル社であるANAの10倍弱に上る純利益を上げる様になりました。この決定に対してANAから「焼け太り再生」「不公平な競争」と言われます。以上の点から、国土交通省はお互い公平化するため、羽田空港の発着枠をANAに多く割り当てたと言われます。

②発着枠はANA:11に対してJAL:5

今回、国土交通省により新しく割り振られた発着枠はANAが11便/日、JALが5便/日です。ドイツ・ベトナム・インドネシア・フィリピン・カナダに関してはJALに一切枠が設けられずANAの独占を認めています。新しくANAの羽田便が作られた結果、JALの成田便が減便に追い込まれる等、JAL全体に被害が広がっていて、JALには「不公平な決定」と言われます。

③深刻化した対立の行方は?

ANAとJALの対立は当分収まりそうもありません。国土交通局の立場では、JALには会社更生を認めている点、ANAには羽田空港の国際線を多めに割り振っている点、以上の2つで対等と思っているかもしれません。しかし、ANAの立場では「6便/日の差でANAを上回る救済はやりすぎ」、JALの立場では「この配分が前例化してしまわないか」お互い不信感を持っています。