「私の人生は私が決める」

一見、当たり前のことですが、決めきっていないから、あなたの理想通りの人生が送れていないのです。でも、大丈夫!あなたが自分軸で物事を考えて行動していけば、神様はあなたをもっともっと応援して味方になってくれます。

(本記事は、藤本さきこ氏の著書『お金の神様に可愛がられる「3行ノート」の魔法』=KADOKAWA、2017年12月8日=の中から一部を抜粋・編集しています)

【関連記事 「3行ノートの魔法」より】
・(1) 「お金の神様」が願いを叶えてくれるのはどんな人?
・(2) 人生が変わるノートとペンの使い方

月収10万から1400万円になった魔法のノート

お金の神様に可愛がられる方法は、「ノートに書くだけ」。

驚かれたと思います。まずは感情に任せて、思いのたけを吐き出すようにひたすら書きます。書いている途中に気持ちがあふれてしまい、「アーッ」と頭をかきむしりたくなること、私にもあります。でも、それでいいのです。悔しかったり、イライラしたり、プンプンしたり、悲しかったり、ドヨーンとしてみたり。ネガティブでもポジティブでも、悪口でも愚痴でも八つ当たりでさえも。書ききれない、おさめきれないような、そんな素直な気持ちを全部ノートにぶつけましょう。それが第一歩です。

ありのままの感情を書いた後は、冷静に自分を見つめるステップに進みます。その前に、自分の感情にきちんと向き合うことがとても大切です。「自分の気持ちくらいわかっている」と思う人もいるかもしれません。ですが、意識的に向き合わなければ、そのまま流れ去ってしまうのが感情。感情と向き合うことを避けている人が、とても多いように思います。

「ちょっと腹が立つけど、まあいっか」
「マウンティングされたかも。いや、気のせいかな」
「今日は悲しかったなあ。早く寝て、さっさと忘れよう」

こんな風に感情を“なかったこと”にしたり、ごまかしたりしたこと、あなたにもありませんか?(私はあります!)

ウキウキ、ワクワクはもちろん思う存分に、堪能すればいいのです。問題は、イライラ、くよくよ、悶々といったマイナスの感情を抱いた時。こんな時こそ自分を縛る「設定」に気づくチャンスであるにもかかわらず、多くの人はその場限りのことにしてしまいます。

願いを神様に伝える前に、まずは今の自分をきちんと見つめることが大切なのです。自分の感情と向き合うこのステップを飛ばしてしまうと、いつまでも同じところでぐるぐると右往左往することになってしまいます。

外に向けるエネルギーを内に向けてみよう

「では、早速ノートに書いてみましょう」と言っても、「なかなか書くことがありません」と、よく言われます。誰でも一度は、手帳活用法や日記などを試してみたことがあるかもしれません。でも、大抵の人は、書くこと自体が長続きしないようです。

私が開催しているノートブックセミナーには、貴重な時間とお金を使って毎回たくさんの方が参加してくれます。このセミナーは2回構成。第1回と第2回の間が約1カ月空いています。第1回の終わりでは、宿題として、「なるべく毎日ノートに書く時間を取りましょう。どうしても難しい場合は、できる範囲で構いません」とお伝えしています。ところが、いざ第2回のセミナーに来てもらうと、まったくノートを書いてこない、あるいは少ししか書いてこない人が……。

理由をたずねると、

「忙しくて時間が取れなかった」
「仕事から帰宅するとどうしても疲れちゃって、書けなかった」

などと答えます。

わかります。みんな忙しいですから。仕事、家事、子育て、人との約束、雑用、毎日いろいろとやることは尽きません。でも、あえてこう言い換えてみます。

「時間が取れなかった」のではなく、「時間を取らなかった」。
「眠くて書けなかった」のではなく、「眠くて書かなかった」。
「書こうとしたけど、進まなかった」のではなく、「書こうとしたけれど、面倒になった」。

書かなかったのには、きっと理由があるはずです。

「時間がなかったのではなく、時間を作らなかった」

それはいったい、どうしてでしょうか?ほとんどの理由は、「疲れるから」ですよね。自分の感情と向き合うのには、かなりのエネルギーを使います。それが無意識のうちにわかっているから、1日の用事を終え、クタクタの状態ではノートに向き合う心の余裕がないのかもしれません。

「時間が取れなかった」「疲れて書けなかった」と言い訳をして、自分の感情と向き合うことから逃げている、私にはそう思えてなりません。でも、考えてみてください。私たちの1日の体力や気力は有限です。

そのエネルギーを、自分の感情と向き合うのに使うか、それとも、他の人や物やことのために使うのか。ノートを書く気力が残らないほど、消耗してしまうエネルギー。人の機嫌を取ったり、誰かとうまくやったりするために使うエネルギー。それを、自分自身と向き合うためのエネルギーとして使ったとしたら?私は、眠くて疲れてノートを書かないというのは、自分を後回しにしているのでは?と感じます。

自分の感情を放っておくことは、人生も放っておいていること。「ノートを書くことが続かない」と言う人は、あなた自身をないがしろにして、あなたの感情と向き合うことを避けていたり、ごまかしたりしている証拠です。

他でもないあなた自身と向き合うために、ノートを書く時間を作りましょう。

ノートに感情を書くための時間を作り習慣化するだけで、あっという間に、あなたの世界も人生も変わるような気がしませんか?

お金の神様は素直な人を助けたい

宇宙の無限のエネルギーの恩恵を私たちにもたらしてくれる存在を、一般的には「神様」と呼びますね。人それぞれ、信じる「神様」がいると思います。

大いなる存在、宇宙、神様などの存在に自分が生かされている、と私も感じています(余談ですが、小さい頃、空に自分を見つめる目があるような気がして怖かったのを覚えています)。どんな人でも神様は応援してくれるし、助けてくれるものだと信じています。ただ、多くの人が神様の存在に気づけないのは、素直になれないからです。神様は、あなたが望んだ通りの世界を叶えてくれます。

自分のありのままの感情に目を向け、「本当はどうしたい、どうなりたい」のかを明確にすれば、神様はそのようになるよう助けてくれるのです。もし、あなたが素直な気持ちに蓋をして、見栄や薄っぺらなメリットのために建前の願いを描いていたとしたら?その通りの世界を神様は叶えてくれます。あなたは「何かが違うなあ……」と感じるでしょう。素直な気持ちは「もっと優雅な生活をしたい」と思っているのに、「お金がなくても楽しい」と、自分すらもごまかした願いを神様に伝えているからです。そして、願いを叶えてくれていた神様の存在に感謝はおろか、気づくこともないかもしれません。

自分の本当の感情を直視しないまま、こじれた願いを抱いていれば、神様はその通りに、こじれた現実を叶えてくれます。言い換えると、今のあなたの現実は、あなたが願った120%の未来を神様が叶えてくれた結果なのです。「こんな現実、望んでいない!」と思うのなら、それはあなたが自分の本当の気持ちに向き合えていないからかもしれません。本当は望んでいない設定を、あたかも「これしかない」と思い込んでしまっているのかもしれませんね。

自分に素直になりましょう。
本当の気持ちに目を向けましょう。

まずは、あなたが、どんな現実を望んでいるのか、どんな毎日を望んでいるのか、自分と向き合って、素直な気持ちを感じてください。あなたがどんなにひどいことを書いても、どんなに壮大な願いを書こうとも、ノートはあなたに対して決してNOは言いません(笑)。断言します。神様は、120%であなたの願いを叶えてくれます。

言葉と感情を切り離す

「感情的になる」という言葉があるように、自分自身を見失ってしまう経験、あなたにもきっとあると思います。それもそのはず、同じ「言葉」でも、人によってその意味合いや使い方は異なるからです。まさに言葉を使う人による「設定」がされているのです。

自分の中で言葉と感情がどうつながっているのか?
その「言葉」を聞くとどんな感情が湧いてくるのか?

それらの目に見えない潜在意識を、言葉という形でノートに書き出すことで、いったん自分から切り離し、俯瞰してみることができます。潜在意識を自分の手で書き出し、ありありと直視することができる、それがノートの魅力です。言葉にどんな意味を持たせるかによって、あなたの世界は大きく影響を受けます。

例えば、あなたは「幸せ」の言葉に、どんな意味を持たせていますか?「日常の中にある、ささやかなもの」とイメージしている人だったら、その人の世界は幸せに満ち溢れたものになるでしょう。

一方、「天国にいるような、欲しいものはなんでも手に入る状況」をイメージする人だとしたら、幸せとはなかなか得がたいものになるでしょう。だって、現実世界で「天国」を見ることなんてできませんし、抽象的すぎて実際のイメージに落とし込めないでしょうから、実現のしようがありません。

このように、人によって定義やイメージの異なる「言葉」に対し、過剰な期待や理想(感情)を寄せていると、苦しくなります。「充実」「成功」「愛」「感謝」といった言葉もわかりやすい例ですね。

実現可能な具体的なイメージを自分の中で持たないまま、答えのない、掴みどころのない感覚を求め続けることほど苦しいことはありません。

そもそも人によって定義が異なるのにもかかわらず、相手にも自分と同じイメージを共有することを求めていれば、永遠に満たされることはないでしょう。あなたを悩ませ苦しめるその「言葉」に、あなたはどんな期待や想いをのせているのでしょうか?そこを掘り下げていけば、あなたを苦しめるものの正体がわかるかもしれません。

ノートに書く内容は、ワクワクするような願い、理想の自分だけではありません。ありのままの感情を書くのですから、つらく悲しい気持ちと向き合わなければならない時もあるでしょう。そんな時こそ、「言葉」と「感情」を切り離して考えることを意識してみてください。

まずは、あなたにとっての「幸せ」とは何でしょうか?「幸せ」の意味をノートに書いて、考えてみましょう。

魂レベルでの「幸せ」を疑わない

私にとっての「幸せ」とは、生きているうえで感じる「すべて」のことです。どんな感情も「魂の喜び」なのだから、悲しみも、イライラも、モヤモヤも、私にとってはすべてが「幸せ」です!

「悲しいことのどこが幸せなの?」
「イライラして、こんなのちっとも幸せじゃない!」

という声が聞こえてきそうです。でも、思い出してください。あなたは、もしかすると、「幸せ」という言葉の意味を「いい気持ちだけ」と限定してしまっていませんか。私も、もちろん悲しいことや腹の立つことは嫌です。

でも、単に「好みではない」というだけで、その感情すべてを「不幸」だと否定するつもりはありません。

魂は感情の起伏を存分に味わって、生きる喜びに満ち溢れているのです。

そこを認めたうえで「“どんな”感情の起伏を楽しむか」は、自分で選べます。嬉しいこと、楽しいことが多い方が好みなら、そのように自分の世界を「設定」すればいいだけなのです。

まずは「感情を味わうことは喜びだ」「どんな気持ちも幸せ」と信じてみてください。魂はどんな感情だって分け隔てせずに楽しんでいるのですから、その姿勢を疑わないでくださいね。どんな感情も幸せ、どんな私も幸せと思えることは、大地にどっしりと根をおろし、宇宙からの無限のパワーを受け取る準備ができている証拠です。

すべてを大切な宝物にしていく

ノートを書き続けていると、自分の感情に敏感になるので、ノートと向き合っていない時間でも、小さな気持ちの変化に気づくようになります。あの人から言われた、早く忘れてしまいたい言葉。誰かに対して感じた、言葉にできないモヤモヤ。理由はわからないけど、無性にイラッときたこと。それらのすべてを一つひとつ丁寧に見ていくことは、自分とのコミュニケーション。多くの人は、嫌な思いをした自分を認めたくない気持ち=葛藤が強く出てきます。ノートを通して、潜在意識と対話するのです。

自分の醜い思いや人の悪口のようなネガティブな気持ちをノートに書き出してはみたものの、今すぐ破り捨てたい衝動に駆られることが時にはあるでしょう。けれども、「こんな酷いことを感じる私はダメ人間。私は間違っているかもしれない」などと思い始めたら、永遠に堂々巡りです。特に私の考えは間違っているという、正解や真実を探すことはナンセンス。人と共有できる唯一絶対の正解なんて、この世に存在しないのですから。自分から沸きあがってきた感情をジャッジしたり、ありもしない正解を自分の頭の中で求めたりするのはやめにしましょう。

今までは“なかったこと”にしてきた感情を、ちゃんと見て、向き合って、認めることで、醜く汚いものではなく、大切な宝物として昇華させることができます。あなたの感情は、大切な宝物。あなたのノートは、あなたの大切な感情。

あなたのノートは、大切な宝物。

感情が揺さぶられているその時こそ、自分を変えられる、つまり設定変更できるチャンスです。

絶望の先には明るい未来が待っています。

感情は、思考で変わる

これまで感情についてのお話をたくさんしてきました。実はこの感情、思考で変えられるのです。

例えば、数年前まで「お金はなかなか入ってこないもの」という思考があった時、私は節約が「好き」でした。しかし現在は「お金は使えば使うほど入ってくる」という思考に変わった今、節約が「嫌い」になりました。

このように感情はその時々の「思考」に左右されるもの。思考で感情を支配する癖がついていると他人の価値観に簡単に支配されたり振り回されたりするのです。

だからノートを通して自分の感情に向き合うことが重要なのです。感情は思考次第で変えられるものだからこそ、どんな風に、どんなステージで、どんな内容で自分の感情を揺さぶられるのか、あなた自身が決められるのです。変えられる感情部分にフォーカスするということです。

感動は疑わないで

感情は思考で変わりますが、思考では変えられないものがあります。

それは感動です。

感動とは、大辞林(辞典)に「美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること」と説明されています。美しさやすばらしさのあまり、思考、常識、思い込み云々にかかわらず、肉体の心(思考・感情)が飛び出して、大いなる宇宙・神・源……に持っていかれること。それが「感動」だと私は理解しています。人にもよりますが、私の言う「持っていかれる」とは、自分の心なのに自分の範疇を超え、大いなる宇宙・神・源とつながっていると感じた状態のことです。

感動できるのはすばらしいこと。

でも、往々にして、よく感動する人は周りからうっとうしがられるように思います。小さい頃からよく感動していた私は、周囲から大げさ、敏感、過剰反応などと言われたことで、感受性が豊かなのはダメなことだと思い込んで生きてきました。すぐ感動してしまうのは、未熟なのだと……。そして、自分の感動が抑えきれなくなる度、自分自身を否定し続けてきました。

でも、ある日、感受性を否定することは、女性性の否定だと気がついたのです。一般的に、感受性は男性よりも女性のほうが豊かだと言われています。女性の特権である感受性を否定することは、女性性を否定することにつながるのです。だから、感じることをストップさせるために男性性を使わず、感じる事を大切にする、そこに男性性を使います。

その1つとしてノートに書く方法はおすすめの男性性の使い方なのです。今の私は自分の感受性を否定せず、「感動ばかりの人生を送る」と決めました。そうすると、あっという間に目の前の世界が変わってきたのです。喜びあふれる人生にするためには、いかに感動して生きていくか。命を喜ばせるとは、そういうことです。

感動は変えられないし、疑うべきものではありません。

感動は、有無を言わさず、感情と思考が感覚に持っていかれるくらい大きな魂の振動なのです。目の前の世界と自分とを深くつなげる感覚的な体験です。ここでいう感覚とは、常識や他人目線といった思考に左右されず、心の奥の深い部分にある「安心したい」「喜びいっぱいの毎日にしたい」といった誰もが生まれながらに求めているものです。

感動の体験を重ねていれば、いつだって自分軸でいられます。

そうすると、あなたの人生をあなたが決めることができます。

藤本 さきこ
株式会社ラデスペリテ代表取締役。4人の子を持つ月収10万円の貧乏シングルマザーから、わずか2年で月収1400万円を稼ぐ実業家として活躍。布ナプキンやエジプト香油、ハンドメイド雑貨の店舗「petite la’deux(プティラドゥ)」を経営。