定年後に独立するにはどのような方法があるのか、またシニア独立で絶対にやってはいけないこと、まもるべきルールをセカンドライフプランナーが説明。また、シニア独立の実例をいくつかご紹介しよう。
(本記事は、高伊茂氏の著書『定年を楽園にする仕事とお金の話 45歳からそなえる「幸せ老後」のキホン』=ぱる出版、2018年2月3日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
【関連記事 『定年を楽園にする仕事とお金の話』より】
・(1)老後不安をなくす逆転の発想 定年後も無理なく収入を得るには
・(2)シニアの独立で絶対にやってはいけないことーー幸せ老後にそなえるための守るべきルールとは
・(3)「年金制度が破綻」は真っ赤なウソ?幸せ老後を迎えるための支出を減らすしくみ
個人事業から始めるスモール起業
独立起業には、どのような方法があるでしょうか。
大きくわけて、(1)個人事業、(2)法人設立という2つの選択肢があります。
もちろんいきなり、法人でスタートする方法もありますが、シニアが一人で独立する場合、まず個人事業で開始するのが一般的でしょう。
法人化は事業が好調で、拡大したくなってからでも遅くありません。
個人事業と法人設立の特徴は次のとおりです。
個人事業と法人設立
個人事業
屋号を決めても決めなくても良いですが、法人にしないスタイルで、初期投資の費用が少なくて済む
法人設立
一般的には株式会社を設立して、自ら代表者になるスタイルで、初期投資にお金がかかるが、個人事業よりも社会的信用力が高い
シニア独立で「借金」だけは絶対しない
シニアが絶対にしてはいけないことは、何でしょうか。
それは、借金です。基本的に、今までの蓄えと退職金でスタートしてください。「借金」は事業が軌道に乗ってくるまでは、おススメできません。借りたものは、利子をつけて返さないといけないという基本的なことを理解しましょう。
個人事業で、いきなり事務所を持つ必要はありません。それだけで、大きな投資になってしまいます。自宅で始めればよいのです。配偶者の理解を得ることができれば、夫婦協同でやるのが一番いいでしょう。
自宅が難しければ、小さい事務所をバーチャルオフィスやレンタルオフィスに構えましょう。秘書サービスも付いているところが増えています。携帯電話(スマートフォン)も普及しているので、当初は秘書サービスもいらないかもしれません。
私の場合、月ぎめで畳1枚程度のレンタルオフィスからスタートしました。職住同一では、緊張感がなくなるのを恐れました。オフィスへ行き来する時に利用する電車内が移動書斎として、仕事をする、本を読む、疲れているときには眠ることもできると考えたからです。
また、頼まれ社長も断りましょう。さしたる苦労もせずに「社長!」と呼ばれると気分のいいものでしょうが、退職金が狙われます。資本を出している人が前に出ないで、他人を社長にさせるとは、裏に何かがあると危険を察知しましょう。
個人事業が軌道に乗ってきたら法人化
お客様によっては、仕事の依頼先が法人であることが条件のところがあります。
また、一人で事業を継続していくときに、経常的に人手が必要になれば職員の採用が生じます。個人事業が軌道に乗ってきたら法人化を考えましょう。
法人を設立するには、次のような流れになります。一人で手続きを進めていくことができますが、何も知識のない人がゼロから勉強して手続きを行うには、かなりの時間が必要になります。タイムイズマネーですから、行政書士、司法書士、税理士、社会保険労務士等の士業の助けを得て、あるいは依頼して設立することをおススメします。
シニア独立で守るべき8つのルール
シニアの独立で一番大切なことは、たったひとつです。取り返しのつかない大失敗をしないこと。これだけ。そのためには、ルールを決めておくことが大切。
私が、特に大事だと思うのは、次の8つです。
(1)事業にかける情熱があるか
(2)今までやってきた仕事と縁があるか
(3)自分を支援してくれる友人知人、ブレーンとなる人がいるか
(4)家族がいる場合、家族を守れるか
(5)仕事を楽しめるか
(6)社会的使命があるか
(7)自分への投資を続けられるか
(8)無謀な投資をしない
・事業にかける情熱があるか
独立した後、「こんなはずではなかった!大変だ!」ということもあるかもしれません。そのようなとき、「何のために独立したのか」「成功するまで諦めない」が根本にあると、困難な事態を乗り越えられるものです。
・今までやってきた仕事と縁があるか
まったく新しいことを身に付けるには時間がかかります。「一芸八年、商売十年」と言われるように、知識を得、お金を得られるようになるまでには時間がかかります。ですから、今までの経験を生かせるもの、関連するものが良いのです。
誰でも、今までやってきたことで自信のあるもの、他人よりも「できるぞ!」というものがあるはずです。
・支援してくれる友人知人、ブレーンとなる人がいるか
私は独立したときから今日まで、営業らしい営業をしておりません。
友人知人からの紹介、仕事をさせていただいた先からのリピートとさらなる紹介です。独立を成功させるには、自分のことを支援してくれる友人知人仲間が一人でも多くいることが重要です。現役のうちから社外の人との交流をひろげ、幅広い人脈を作っておきましょう。
・家族がいる場合、家族を守れるか
仕事をするとき、家族の笑顔を思い浮かべながら行うものほど、力がはいり元気になるものです。おひとり様の場合は、お父さんお母さんの笑顔を思い浮かべて仕事をなさってください。
・仕事を楽しめるか
私の場合、どうすればお客様に満足していただけるか、それを思いながら仕事をしていると、あっというまに時間が過ぎてしまいます。ワクワクしながら仕事をやりましょう。責任を持ちながら、楽しめる仕事が最高です。
・社会的使命があるか
サラリーマン時代は、社会貢献とは言いがたい仕事もやらなければならないこともあったでしょう。しかし個人事業であれば、仕事の選択はあなたが決めていいのです。「真に人様のお役に立つ仕事なのか」をいつも反芻しながら仕事をしましょう。社会的使命を感じられない仕事は楽しめないし、消えていきます。
・自分への投資を続けられるか
退職する前の~年間は、セミナーや勉強会に毎月回以上参加していました。いまでも仕事の合間を縫って月に回程度は参加しています。サラリーマンなら何も学ばずに流れ作業で仕事をこなしていても、給料をもらえます。
しかし、個人事業主は常に勉強を続けて、お客様を満足させないといけません。報酬は、お客様からいただくものです。「自分への投資」を欠かさず行いましょう。
・無謀な投資をしない
いきなり、銀座の真ん中に大きな事務所を借りて営業を始めるというようなことはせず、自宅またはレンタルオフィスなどで始めましょう。
シニア独立の実例
次に、私の周りでシニア独立や長い間独立をされ、歳を重ねても生き生きと仕事を続けている人々をご紹介いたします。
事例1 「シニア起業家の星歳まで現役社会保険労務士だった西倉勝さん」
最初にご紹介するのは、歳まで現役の社会保険労務士としてご活躍された西倉勝さんです。歳を過ぎてもなおパワフルな姿は、まさにシニア起業家の星と言える存在です。
大正年新潟生まれの西倉さんですが、昭和20年に出征した大東亜戦争でシベリアに抑留されたのち、帰国して生命保険会社に勤務。57歳で社労士試験に合格、定年後から年金研修の講師として長い間、年金相談専門家を育ててこられ全国にたくさんのお弟子さんがいます。また、金融機関等での年金相談会で大勢の人のもらい忘れの年金を見つけて、感謝されてこられました。西倉さんのモットーは「世のため人のため、もらい忘れの年金を見つけて差し上げる」です。
西倉さんのすごいのは、年金への造詣だけではありません。77歳でFP資格を取得、80歳でパソコン操作を習得されています。私がメールをお送りしたり電話をおかけすると、いつもすぐにレスポンスをくださいます。
服部年金企画より著書『涙をながし感謝された相談事例集』も出版され、現在は総務省委託の平和祈念展示資料館で過酷なシベリア抑留の体験を語り継ぐ語り部としてもご活躍中です。
事例2 「退職後、地域で活躍するグラウンドワーク笠間理事長の塙茂さん」
笠間のグランパこと塙茂さんは、内向的でおとなしい少年でしたが、日立工機に入社後、資材調達のバイヤーをやりサラリーマン戦闘モードに変化。海外調達のときは「DiscountPlease」だけでアジアを東奔西走。57歳で早期退職し2年間ゴルフ三昧と「毎日が日曜日」の状態でしたが、仕事への意欲がわいてきて、地元企業に入社。その後にグループ会社の社長になるもリーマンショックの影響で業績悪化し責任をとって退任する。
50歳を過ぎたころから芽生えていた「地域に貢献するビジネス」への想いを、2012年に69歳で「NPO法人グラウンドワーク笠間」を設立して実現しました。 NPO設立1年目は仲間づくりと資金集めに苦労したが、補助金や個人資金を出して、今では「コミュニティカフェの運営」、「農業の6次産業化の取り組み」、「社会貢献活動の推進」とつの事業展開を行い軌道に乗せています。
事例3 「アナログ技術伝承の会社を興した渡部利範さん」
父親が常磐炭鉱に勤めていたため、学生時代から会社に頼らない生活を確立しないとダメだと思った渡部利範さんは、58歳のときにキヤノンを退職して、日本企業を支えてきた技術者の経験、知恵、技術等を次の世代に伝え企業の永続的な発展に貢献することを目的に、2007年に渡部技術士事務所を創業し、2008年に株式会社テクノクオリティーを設立。電気製品の開発。人材育成を行っています。
渡部さんは、中堅複写機メーカで複写機の電気回路設計に従事しながら、40歳までに独立することを夢見て弁理士試験を受験したが8回で断念し、キヤノンに転職。品質本部にて事務機、医療機器、半導体製造機器等の電波規制、製品安全性、信頼性の専門家として活躍しました。
勤務のかたわら、50代前半に技術士試験と労働安全コンサルタント試験に合格し、55歳で学位(工学)を取得しています。
試験合格・学位取得は家族の協力、会社の仲間、親切な人とのご縁と引きがあってこそ達成できた。また、「事業すなわち商売はその人で決まる」と言っています。
事例4 「研修講師として活躍中の奥村彰太郎さん」
リクルートに勤めていた奥村彰太郎さんの転機は、42歳の時にマネー情報誌創刊の責任者になりFP資格者と接点ができ、自らも資格を取ったことによります。その後、キャリアカウンセラーの資格も取り、2つの資格を取得するプロセスで自身のライフプランを真剣に考え、50歳の節目で独立を決意したのです。
退職金で住宅ローンの返済と子供の学費がめどがつき、夫婦二人ぐらいの生活費は稼げるだろうと、研修講師および「キャリアとお金」のアドバイザーとして独立されています。
奥村さんは、興味がある資格は積極的に取得しよう、通学講座があれば仲間づくりもでき仕事にも役立つし、合格したときの達成感は格別。ただし、資格取得と独立は直結しないので、自分の得意分野、お客様にどんな価値を提供できるかなど自分自身を見つめること。そして良きロールモデルを見つけると良い。そして、独立するときに家族との相談も大事だが、最後は自分自身の決断。「心の声」の耳を傾けましょう、と言っています。
事例5 「社会福祉士として活躍中の北村弘之さん」
北村弘之さんが3社目に勤務していたときです。社内で「歳選択定年制度」のセミナーがあり、「一度しかない人生、自分のやってみたいことを実現したい」と定年後の青写真がはっきりしたのです。介護や病気に関心が高く、人へのお世話好き、探究心の強い自分は、高齢者を対象とする仕事をしたいと思ったのです。
「こども叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道」と社会福祉士をめざそうと決意。33年間の会社員生活にピリオドをうち、55歳で社会福祉士養成専門学校に入学。民間企業出身者はごくわずかで、若い人に混じって、1年間通学しました。久しぶりの勉強は大変な刺激だったとのことです。
「一人は万人のために、万人は一人のために」「相互扶助」をモットーに活動している北村さんは、お客様の相談に乗り、支援するときに心がけていることは、自分のできる限界を知り、できない部分は他の専門職につなげることだと言って、現在は7人の成年後見人を引き受けています。
事例6 「資格取得が後押し話力総合研究所理事長の秋田義一さん」
防災コンサルタント、ビジネスコミュニケーションの研修講師、大学教育を三本柱としてご活躍中の秋田義一さんは、現在58歳。54歳で独立し、話力総合研究所の理事長や国士舘大学理工学部の非常勤講師も務めています。
秋田さんの資格取得は、大学卒業後に入社した日本電気ソフトウェア(現在のNECソリューションイノベータ)でIT技術者として当時最高峰の情報処理試験特種を取得。その後、東京ガスに転職し、技術士(情報工学部門)にも合格しています。
東京ガスに移る際に、いつ何時どのようなことになっても生活できるように複線型キャリアを積むことを決意し、中小企企業診断士又は技術士を取ろうと思い、技術士を選択しました。企業がセカンドライフ支援に乗り出し、「複線型」云々を言い出すはるか前のことです。
講師業に携わるきっかけは、日本電気ソフトウェア時代の新任主任研修で話力学習の重要性に気づき研さんを積んだからとのこと。技術士会に入会したことで人脈が拡大し国士舘大学で非常勤講師。東京23区での防災情報システム構築の相談や防災講演会での講師などもされています。
事例7 「早くから独立開業を目指した大阪の税理士・森島憲治さん」
大学に行くときから税理士をめざしていた森島憲治さんは、卒業翌年に税理士資格を取得し、会計・税務一筋に実務に従事して、75歳の現在も現役の税理士としてご活躍中で、若い人との交わりを精力的にこなしています。
シニアの税理士資格取得の方法は、実務経験よりも3年計画で合格を優先すること。1年目は簿記論・財務諸表論・所得税法、2年目は相続税法・消費税法と1年目の不合格科目、3年目に事業税と1・2年目の不合格科目。簿記論と財務諸表論は絶対先に合格しないといけないと、熱く語っています。
事例8 「高齢者向け出張サービスを展開する美容師の絵舟さん」
20代で取得した美容師の資格を生かして「生涯現役」を実現されているのは、美容室とエステティックサロンを経営する絵舟さんです。
山形で生まれた絵舟さんは、東京の専門学校に通い美容師の資格を取得。結婚後、約30年前に全予約制のエステティックサロンと美容室を開業。集客に工夫を重ねたこともあり、あっという間に繁盛店に成長したそうです。
今力を入れているのは、老人施設や地元の人たちへの出張サービスです。超高齢社会の現在、足腰が不自由でお店まで出向けないという人も多くなってきています。このようなお客様のニーズに応え、お一人おひとりの心身の状態を察しながらサービスをしています。
こうした展開ができたのも、普通の美容師ではなく経営者という側面を持っていたからだと、絵舟さんは言っています。美容師になるには薬品をつかうので、薬品の知識が重要。美容師の専門学校を出て経営者として独立する人も多いとのこと。これからもますます元気に、お客様に喜んでもらえるサービスを提供したいと、笑顔が印象的でした。
事例9 「早くから成年後見制度の周知活動した司法書士の櫻井清さん」
司法書士としてご活躍中の櫻井清さんの仕事に対するスタンスは、依頼を決して断らないことです。
大学では法学部に入学。社会に出るときは企業に勤めるのではなく、法律に関わる専門職として独立、自営したいと考えました。自営業ならば他人から指示されて動くこともないし、働いた分だけ収入が得られるのではないかと考えたからです。都内の法律事務所に勤務後、34歳で司法書士試験に合格し開業しています。
櫻井さんは、どんな依頼でも、私のところに来たということは何かの縁と考え、自分の知力、体力を総動員して、その依頼を処理しています。司法書士の業務の範囲外のことであれば、他の専門職を紹介し依頼者と一緒に行動して、解決まで見極めます。このようにすることで、その依頼者の信頼を得ることができるのだと。
独立した自営業者に必要なことは「孤独」に向き合い、「孤独」と戦い、「孤独」を味方にすること。これができなければ独立した自営業者にはなれない。独立した自営業者は、絶えず孤独です。全てを自分一人で判断し、全ての責任を一人で負わなければなりません。でもそれが独立した自営業者の醍醐味だと我々に教えてくれます。
事例10 「『ヤンキーの虎』で「帯広の虎」と形容されたマルチ人間の小林信之さん」
藤野英人氏の『ヤンキーの虎 新・ジモト経済の支配者たち』(東洋経済新報社)で「帯広の虎」と紹介されている小林信之さんは、親の代からの会社を守るために脱サラして建設業に飛び込み、幅広い活動をしています。一級建築士やFPなど約60の資格を取得し、不動産や介護、成年後見等を行う「暮らしの総合コンサルタント」です。
趣味や活動の分野も幅広く、ハードロック&ヘヴィメタル、ギター演奏、昆虫の採集・研究、離島・廃墟探訪旅行、お笑いやバラエティ・プロレス&格闘技の興行協力など……。
公的加盟団体が法人個人合わせて約団体となっていることで、小林さんが世話好きで精力的な活動をしていることが良くわかります。
小林さんは出会ったすべての人たちを「仲間」だと考え、ビジネスに直結させようとは考えなかったそうです。その真摯な姿勢がかえって信頼関係を深め、現在の成功につながっているのです。
20代で二度にわたって難病を患い死を意識したときの経験があり、「周りの人のおかげで自分は生かされている」という思いから、特に相続と成年後見人の仕事への思い入れが大きいそうです。
高伊茂(たかい・しげる)
「人生100年時代」をキーワードにしたセカンドライフ相談を得意とするファイナンシャル・プランナー(FP)。社会保険労務士。高伊FP社労士事務所代表、帝京大学非常勤講師、NPO法人ら・し・さ理事、一般社団法人話力総合研究所理事。中央信託銀行(現、三井住友信託銀行)に入社、企業内FPとして活躍。