第4章 合理的だという自意識過剰。「行動ファイナンス」で損失は減らせるか

<第4話>心の会計:稼ぐ場所と使い道でカネの価値は変わる?

 先生は、いったん席を立ってキッチンに向い、少し周りを見渡したあと湯を注ぐ。戻ってきくると、「きみも、どう?」と隆一にカップを渡した。

「ありがとうございます」
 隆一は、緑茶もあるのねと、受け取った。

 先生は、席に着くなり質問をはじめた。
「君、神社やお寺に行ったりしますか」
「ええ、行きますよ。ごくごくたまにですが」
「出かけたら、お参りしてお賽銭も納めますか」
「もちろん、お参りしたら、僕だって、お賽銭くらい納めますよ」
 隆一は、妙にバカにされたような気持ちになり、口を尖らせて返事する。

お賽銭、100円と1,000円で効果は違うか?

 先生はその表情には特段反応せず、話を続けた。
「質問ですが、たとえば普段の初詣や観光でのお参りでは、お賽銭箱に100円を納めているのだけど、ある時、どうしてもかなえたい願いがあって、奮発して1,000円を納める。こんな経験はありませんか」
「いや、ないですね。まあ、だいたいいつも100円ですが」
 隆一は、宗教や信心といったものには割と無関心で生きてきたし、初詣も単なる毎年のイベント程度のものだった。だから、「奮発して1,000円のお賽銭」ということもなかった。

「あ、でも先生、1,000円にする人の気持ちはわからないでもないです。僕もかみさんにプロポーズしたときや、子供が生まれるときは、神頼みしましたからね。まあ、心の中でですけど」

「ふむ。そうですね、気持ちはわかりますよね。でも、お賽銭箱に100円を納めたときと、1,000円を納めたときでは、ご利益に違いがあると思いますか。無神論者なら『そもそも、どちらも効果はない』と思うかもしれないし、信心深い人なら『神様は、お賽銭の額で差を付けたりしない』と思うかもしれない。経済合理性で考える人なら、『100円でも、1,000円でも、費用対効果は変わらない』と考えるかもしれません」
「はあ。でも正直、信心深くない僕でも、お賽銭の多寡とか効果を話すのは、あんまり気持ちよくないです」

「心の会計」で変わるお金の価値

「ええ、言わんとすることはわかります。ですが、ここは誤解を恐れず話を進めます。君はともかく、少なからず本当に願いをかなえたいというとき、そのためにお参りをする人は、いつもより多めのお賽銭を納めると思います。実は、このような行動を経済学で研究することもあるんです」

「ずいぶん失礼な研究があるもんですね」
 不快であるそぶりを隠さず、隆一は返事をした。

「まあ、賽銭の話は極端な例ですが、先ほどのような行動は『心の会計(Mental Accounting)』と呼ばれるものです。人がおカネに関して何か意思決定をする際には、おカネの損得(費用対効果)という経済合理性にもとづいて判断するのではなく、主観的な感情や習慣にもとづいて判断する、というわけです。人は合理的な簿記会計とは別に、自分の中にいくつかのお財布を持っていて、その主観的な勘定は、心(感情)によって計算される」

「なるほど。それはわかります。飲みにいくときのカネの使い方は確かに、自分の気持ちでずいぶんいい加減になりますしね。人によって納得感とか満足感も違う気もします」
「そうなんです。満足感というのは、損得勘定だけでは測れません。『コト消費』のように心の満足感を満たすために消費は、決して損なことでも、非合理的なことでもありません」

「コト消費ですか」
「たとえば、観光やスポーツや娯楽などの『体験』におカネを使うことです。その意味では、賽銭も心の満足感を得るための対価と考えれば、合理的選択になります。ただ、投資や資産形成をしていく上で覚えておきたいのは、人というのはそのような心理や角度でもお金を使う、ということ。経済学で教えるような合理性だけでおカネの使い方を決めるのではない、ということです」

 内容がわかりにくくなってきたので、隆一はボヤくことにした。
「また経済学ですか。要は、客観的な経済合理性による勘定と、主観的な感情による勘定とは、違うということですか? なんとなく、わかりますが・・・。」

 隆一の「なんとなく」に込められている「わかりにくい説明ですね」という言い分に、先生は、応じることにした。

投資小説,トウシル
(画像=トウシル)

給料、投資、ギャンブル・・・稼いだ場所で価値が変わる

「同じ20万円でも、ギャンブルで稼いだ20万円は『あぶく銭』だからと派手に使ってしまうけど、汗水たらして働いて稼いだ20万円は大切に使う、というようなことです」
「何に使うか、どう稼いだか、ってことに客観、主観が左右されるということですか」

「まさに。この例で言えば、人は『そのおカネをどう入手したか』という入手経路の違いによって、おカネの価値に軽重を付ける心理的傾向がある、ということです。おカネに、色を付けて使う、というとわかりやすいかもしれません」

「でも、それって当たり前じゃないですか」
「そう、当たり前のように、おカネに色を付ける、というところが怖いのです。ギャンブルや投資などで得たおカネと、給与や賞与などで得たおカネを、心の中で本能的に区別してしまい、その結果、経済的に非合理的な選択をすることがある、ということを知ってほしいのです。投資の儲けも勤労で得た給料も、カネは、カネ。色はついていないはずです。どちらのお金も合理的かつ計画的に使い道を選択すべきなのですが、心の中で、おカネの色が違って見えれば、大切さも違ってしまいます」

「先生、合理的、合理的と、おっしゃいますが、そもそも、自分のカネじゃないですか。感情によって、使い方が違って何がいけないんですか」  隆一は、先生の言っていることはわかるが、そこにどんな教訓があるのか、さっぱりわからなかった。

「もちろん、使い方は自由です。でも、給料ならそんな使い方はしないのに、投資で儲かると、普段の節約疲れから解放されようと、高級レストランや高級ホテルあるいはブランド品などにパッーと使ってしまうことがあります。それが本当に自分にとって望ましい行動か、冷静に考える必要あるということです」

「なんか逆です。たまにはパッーと使いたいから投資の勉強をしているんですが、それじゃあ、いけないんですか?」
 隆一は、自分の本音が口をついて出たのを自覚しながらも、訂正をしなかった。

利益と損失。カネに色を付けると、投資で失敗する

 隆一の反応に、待ってましたとばかりに先生は話を続けた。
「あなたが投資で稼いだあと、どう使うかはお任せします。ただ、今日はお金を使う目的の話をしたいわけではありません。『カネに色はない』という考えが、投資判断において極めて重要だという話をしたいのです。投資をしていると、同じ金額でも、利益と損失とでは、同じ色、同じ大きさに見えなくなってしまいます。これは、『心の会計』というより『損失回避』の心理に近いのですが」

「えっ、どういうことですか」
「多くの投資家に見られる非合理的な行動として、

〇値上がりした銘柄は早々に手放すのに、損を抱えた銘柄は抱え込んでしまう

ことがあります。結果として、『利益は小さく、損は大きく』なってしまいがちです」

「それは、僕もそうでした。損を抱えたときには損切りができないけど、値上がりした時には、タイミングよく利益確定売りができない、だから注意しろ、という話でしたよね」

「そうです。そこをもっと掘り下げていくと、人は経験や相場、損益の状況によって、お金の色がコロコロと変わってしまう、ということです。値上がりして含み益が出たときの心理は、もっと上がるかもと売り損なって利益を逃すように働く場合もあれば、今、売っておかないと値下がりしてしまうのではという疑心暗鬼に駆られて大きな利益を逃すように働く場合もあります。これはその人の投資の経験によっても、性格によっても違ってくるでしょうが、根本としては心理から発生する表裏一体の非合理な行動です。結果は、相場次第ですが、どちらも儲け損なう投資家の典型です」

「なるほど、人の心理っておもしろいですね。いや怖い話か」

「損失の先送り」は、長期投資なら大丈夫?

「儲け損ないより怖いのは、値下がりした時に、損を抱えたまま、そのうち取り戻せると期待してしまう『損失先送り』の心理です」

「でも先生、損失といっても、売却しなければ損失は実現しないで『含み損』のままですよね。僕のような個人投資家には、決算期はないし、会社のように時価会計で損益計算書に費用計上しなくてもいいじゃないですか。だったら、次の値上がりを待って、損失を先送りしちゃいけないんですか」

 自分の考えに自信ありと、隆一の鼻は膨らんでいる。
「いい質問です。よくわかっている」と、先生はひとまずほめて話を続けた。

「確かに、個人投資家は会計期間が自由ですから、時間を味方にできます。つまり、長期投資や積立投資のメリットを享受しやすいので、目先の含み益、含み損に一喜一憂しないで、長い目で見たパフォーマンスを重視すべきとはいえます。ただし、『損失先送り』自体は、リスクの大きな行動です。なぜなら、

〇その資金を他の投資に向ければ、よりよいリターンを得られたかもしれない、という機会損失が生じます

 もっと深刻なのは、そういう人に限って、

〇すぐ含み損が解消しない場合、メンタル面で耐えきれなくなり、反転間際の底値で手放してしまい、大きな損を出す

このような可能性があるからです。同じ額でも、利益による心の恩恵より、損失により心の痛み(負担)の方が大きいと話しましたが、君はどうですか、長期投資のつもりで臨んだのに、途中で含み損を抱えた場合、どのくらいの間、どのくらいの金額なら、耐えられますか」

「いや、急にそういわれても。その場面にならないと、自分がどんな気持ちになるかはわからないです」
「そうですよね。それでいいです。このように人の心理が投資行動に影響するのだ、ということを認識しておくことが大切です。行動ファイナンスを知っていれば、経済合理性のある判断なのか、心理によるバイアスなのか、いまより冷静に考えて、対処できるはずです」

「そうなのかもしれませんね」
 隆一は、その効果を試していないからわからないが、どのような心理状況に注意しなければいけないのか、頭ではわかった、というのが正直なところだった。

投資小説:もう投資なんてしない
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中桐 啓貴(なかぎり ひろき)
FP法人GAIA代表 ファイナンシャルプランナー
1973年、兵庫県生まれ。大学卒業後、山一證券、メリルリンチ日本証券で資産運用コンサルティング業務を行う。留学してMBA(経営学修士)を取得後、IFAガイアを設立。社員26名、資産相談の顧問契約者約645名、仲介預かり資産は260億円超。

(提供=トウシル

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