過去30 年間の政策史を振り返ると、利上げに遅れ、不良債権処理に遅れ、財政再建も遅れに遅れている。小泉政権は、民間企業に不介入の立場を採ったが、安倍政権は正常化した民間企業の活動に介入して賃金などを動かしたいと考えた。今後、塹壕戦を続けていると、その副作用が大きくなる。令和になって超えるべきハードルがある。
平成前半は「敗戦処理の失敗」、1989~2003 年
平成の約30 年間を振り返ると、経済政策のあり方がその時代を特徴づける鍵になっていることがわかる。僅か数枚のレポートでは、書き尽くせないことも多いが、そこは大胆に時代を区切ることで特徴だけを切り取ることにしたい。
まずは、敗戦処理の15 年間、1989~2003 年である。多くの識者は平成の始まりをバブル崩壊からスタートさせるその犯人を、総量規制や日銀の利上げとして指弾する。しかし、1987 年のブラックマンデー(株価暴落)があって、日銀は当時の低金利を是正できずにバブルの発生を許した経緯がある。バブルは、低金利を放置して利上げが遅れたことで起こり、バブル潰しは遅れを取り戻そうとしたことで二重に失敗したのである。
そして、1993 年以降は、銀行などの不良債権問題。バブル崩壊の負の遺産である。このときは、公的資金の投入が遅れ、短期間に企業の過剰債務を処理できなかった。1997 年冬からの金融システム不安は、処理の遅れによって傷口が広がったものだ。
この間、財政再建の遅れを取り戻すため、1997 年に橋本龍太郎政権が六大改革を打ち出している。この年に消費税率は3%から5%に引き上げられた。この年の11 月末に金融機関の連鎖的破綻が起きたが、その頃は財政緊縮に転じていたことが記憶されている。
金融システム問題は、小泉純一郎政権の2001~2003 年までくすぶっていた。このときは、やり過ぎと思えるくらいに大手行が引当金を積むことで、潜在的不安を払拭しようとした。
平成前半の教訓は、経済が正常化したと思って、低金利・財政赤字・不良債権処理を一気呵成にやると、その反動によって正常化したと思った状態が再び悪化するということだ。バブル崩壊のダメージは、民間企業から銀行へ、銀行から財政へとつけ回されていく。この図式は、リーマンショック後の南欧問題と酷似している。そして、財政につけ回された損失を解消することは至難の業である。
ここで忘れられつつある教訓を述べたい。後々、反動を生むような大胆な金融緩和、財政出動はすべきでないという教訓だ。金融・財政を正常化するコストは、思いのほか大きく、政治的思惑で阻止されやすい。さらに、一旦、バブルが起こると、人々の心理バイアスからそれを止めることができない。だから、バブル崩壊を防ぐためには、そもそもバブルを起こすような緩和はすべきではないという考え方だ。家畜の伝染病は、その始まりのところで感染を徹底して止める。これと同じことを経済政策でも心掛けることが、危機を未然に防ぐことになる。政治的アピールを意図したマッチョな政策は慎むべきという理屈になる。やり過ぎると後始末に困るから、やり過ぎないという思想が、昔は保守主義の原則であった。
正常化を見失った9年間、2004~2012 年
小泉政権は、経済正常化の中で構造改革を進めた。記憶されているフレーズに「民間にできることは民間に」という言葉があった。民間企業の活動には原則介入しないということは、少しひいき目にみると、小泉政権が民間企業に活力を蓄えてもらおうという姿勢を反映している。この時期に企業の収益体質は正常化していった。その証拠に、リーマンショックを経験して、不良債権問題が生じず、雇用がおおむね維持された。それが可能だった背景には、そこまでに企業の正常化が進んだことがある。
小泉政権が、郵政民営化に集中できたことは、企業の正常化が土台になって、必ずしも優先順位の上ではない政策を行う余裕ができたという解釈も成り立つ。
不幸なことは、2008 年のリーマンショックと2011 年の大震災が、危機のトラウマを植え付けたことだ。不確実性に過敏になって、企業は設備投資を抑えて、賃上げも1990 年代以前のようなペースでは行わない。金あまりは、そうした企業マインドに刺さったトラウマによって生じている。
本来、伝統的な考え方は、企業が正常化すると、雇用・賃金、設備投資を増やす方向に展開していくというものだ。大企業は、中小企業の値上げに応じて、価格転嫁を正常化させる。こうした流れを「循環的メカニズムが働く」と呼んでいる。2000 年代は、ベースアップが再開されず、需給ギャップもマイナスだった。これは、未だ循環が停滞したままであったことを象徴している。リーマンショックと大震災は、雪解け間近だった企業活力に再びショックを与えた。身体は健康なのに、不定愁訴に悩まされる状態である。「企業が健全化すれば、あとは自然治癒する」という政策思想が、長い期間を経て成り立たないことがわかってきた。
期待と落胆の7年間、2013~2019 年
2012 年末に誕生した安倍政権は、小泉政権とは全く違う。小泉政権は、財政出動を手控えて、日銀の独立性も暖かく見守った。「民間にできることは民間に」という発想は、いわば不介入の立場である。これが成り立つのは、循環的メカニズムへの信頼があるからだ。安倍政権は、不介入の立場とは違う。官邸主導にみられるように、強靭な身体を誇示して、自分の腕力に自信を持つ。これは、思想上の分類からみて経済保守ではない。官民一体となった賃上げ、リフレ政策は介入主義の立場である。
当初、多くの識者が3本の矢に期待した。金融政策と財政政策を強力に動員した後は、規制緩和を行って、規制という介入を取り払うことで、民間活力に任せるつもりだと考えていたからだ。人々をまず落胆させたのは、岩盤規制をなくすことに本腰を入れなかったことだ。3番目の矢である規制緩和は成長戦略と名付けられて、経済計画のような体裁へと変わっていく。さらに、成長ではなく、子育て支援、働き方改革といった社会政策へと年々様変わりしていった。その一方で、成長を引っ張るのは追加緩和と財政出動の方になる。その効果は、副作用も大きなものである。一気に政府誘導を仕掛けても、後は不介入だと思っていた経済人は、特に落胆が大きいはずだ。
少し綺麗な言い方をすれば、民間が正常化しても動かないので、賃上げや期待形成を変化させるリフレ政策に頼ったということだろう。政治的にはそれがうまく行きませんでしたとは言えないので、社会政策を強力に推進して、有権者にアピールして、求心力を保とうとした。短期決戦に失敗したから、2015 年頃からアベノミクスは変身したのだ。企業は、金融危機、リーマンショックといったトラウマによって、不確実性を恐れる。こうした限界をどうにも越えられない点は、安倍政権を批判するだけでは本質的な議論とならない。
不確実性に怯えて、賃金や設備投資を増やそうとしない企業に対してどうすればよいかという解答は未だにはっきりとしない。経済原理に基づくと、業界内の競争が激しくなり、投資拡大や優秀な人材獲得ができない企業は生き残れない環境をつくることが、投資や人材にお金を使って行動せざるを得ない姿勢に変えることになる。直接投資をもっと国内に呼び込んで、外国企業が既存の業界の常識・秩序を変える起爆剤にするというアイデアもある。競争強化を前提にして、不介入(フリー)の立場を政府が守る。原理的にはそうなのだが、この原理を額面通りに推進する政治家はいないだろうし、大半のエコノミストからも支持されそうにない。よい代替案については寡聞である。
令和に起こりそうな副作用
このまま経済活性化に舵を切ることができず、閉塞した状況をみて「行き着くところまで行くしかない」という人は多い。エコノミストからみると、それはあまりに傍観者的である。
企業の損失が金融機関に渡り、それがさらに政府の赤字・債務に付け替えられることは、日本や南欧で起きた教訓である。そうした損失リレーにはもっと先がありそうだ。
政府債務が膨張すると、中央銀行は政府と一体化してファイナンスを助ける。それが再び金融システムにストレスを与える。利子所得を極端に乏しくさせる弊害は、高齢者の所得を打撃する面もある。家計は一層社会保障への依存を強める。こうした現象は、2013~2019 年にもすでに起こっている。行き着くところは、金融危機と消費停滞だろう。日本経済はそうならないうちに超低金利の出口を探し、財政再建にも目途をつける必要がある。令和時代に隠れたハードルは、消費税収をさらに増やしながら財政再建を行い、自然増収を利払費に充てて、日銀の出口政策を完了させることである。
前提条件は、企業が利上げしても十分に耐えられることである。政府は、自然増収を補正予算を組んで歳出増に回さずに、利払費の増加に備えることも必要となる。そうした前提条件が揃えば、一気に出口政策を進めるのではなく、ゆっくりと利子所得を増やして、金融機関と家計の体質改善を行う。そうしたプランは、金融危機にならないうちに早く着実した方が良い。高齢化も今後さらに進んでいき、地方自治体の財政を圧迫していくので、就労を極力促しながら、利子所得の恩恵が少しでも受けられるようにした方が良い。令和の前半は、平成から続けられる塹壕戦を誰がいつストップさせるかが大きな焦点となるだろう。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生