高度成長期に「サステナビリティ」を意識
江上 總一郎は、他にも、良い言葉をたくさん残していますね。
伊藤 はい。總一郎や、その父である創業者の大原孫三郎の言葉は、これまで経営理念やスローガンなどで使われてきたのですが、2015年に整理して「企業ステートメント」としてまとめ直しました。
たとえば、「私たちの使命」では、「世のため人のため、他人のやれないことをやる」に加えて、「私たちは、独創性の高い技術で産業の新領域を開拓し、自然環境と生活環境の向上に寄与します」という言葉を掲げているのですが、これらはまさに總一郎の言葉を整理し直したものです。
私は、この企業ステートメントを自分の机の横に置いて、いつも見ているのですが、改めて、大事にしていかなければいけない言葉だと感じています。
江上 「自然環境と生活環境の向上」というのは、近年、SDGs(持続可能な開発目標)やESG投資(環境、社会、ガバナンス要素を考慮した投資)が注目されるようになってから、さまざまな企業で言われるようになりましたが、總一郎は、高度成長期の時点で「公害問題は企業が片付けるべきだ」と言っていましたね。そんなことを、公の場で述べた日本の経営者は、總一郎が初めてだったのではないかと思います。
伊藤 創業者の孫三郎も、足尾鉱毒事件の現場を自分で見に行っていましたから、總一郎もそういう話を聞いて、「企業が、公害を撒き散らしてはいかん」と強く思ったのでしょうね。 總一郎の残した言葉を読んでいて思うのは、よき企業人の前に、よき一般市民であろうとしていること。一市民として考えたときに、自分の周りの平穏で幸せな環境を壊すというのは、何よりもやってはいけない、と考えたのでしょう。
江上 總一郎は昔から、「企業の利益は、社会貢献の結果としての利益だ」ということも述べていました。一企業よりも、社会が良くなることを考えていたのでしょうね。
伊藤 先代の孫三郎は大原社会問題研究所を設立していましたし、總一郎自身も、日本フェビアン研究所の活動を通して、日本の行く末を考えていました。
先ほど、「總一郎は、百年先が見える経営者」という話が出ましたが、總一郎の語録や行動をたどってみると、百年後のクラレだけでなく、百年先の日本をつくりたいという、もっと大きな視点を持っていたのではないかと思います。
松下幸之助は彼を「美しい経済人」と評した
江上 国交が樹立されていない時期に、中国にビニロンのプラントを輸出しようとしたことも、クラレの繁栄のためだけではなかったそうですね。
伊藤 總一郎は、戦争に対して強い贖罪意識を持っていました。病気で戦地にいけなくなったこともあって、少しでも国に貢献しようと軍需工場を作ったわけですが、その結果、工場が爆撃され、犠牲者を出してしまった。そして戦争を通して、中国の人たちに塗炭の苦しみを味わわせてしまった、と。
だから、ビニロンプラントを輸出すれば、繊維不足で苦しむ中国の人々に、少しは償いになるのではないか、と考えたわけです。
江上 国交のない国にプラントを輸出するというのは、政治的な問題にまで発展する話ですからね。実際、国内外から反対があったわけで、一企業人の行動とは思えませんでした。
伊藤 總一郎には、ノブレス・オブリージュ(財産や地位のある人には社会的な責任と義務があるという考え方)があったのだと思います。だから、行動せずにはいられなかったのでしょう。
江上 松下幸之助は、總一郎が亡くなった後に、「非常に美しい経済人」「『日本人はこんなものだ』という見本に、僕は大原さんを持っていきたい感じがしますなあ」と語ったそうですが、それは、一企業の利益ではなく、社会全体の利益を考える總一郎の姿勢に感銘を受けたのでしょうね。