はじめに

米国とイランを中心とした中東問題の行方は依然予断を許さない状況にある。イランによる核開発を巡る合意の一時停止が“喧伝”される中で、イランがその核合意で定めた上限以上のウラン濃縮に乗り出す旨公言した。他方でイランを取り巻く麻薬問題では米イラン関係が改善の兆しが僅かながら見えたことは拙稿にて触れたものの、米国とイランの関係は悪化の一途を辿るばかりだ。

欧州問題のカギは西バルカン ~「欧州の火薬庫」が再暴発するリスク~
(画像= rawf8 / Shutterstock.com)

戦前、我が国の平沼騏一郎内閣(当時)が「欧州情勢は複雑怪奇」との発言を残して総辞職したが、現代においては「中東情勢は複雑怪奇」と言わんばかりの展開である。しかし一見すると複雑怪奇に見える国際政治経済情勢も、どのようなインパクトがあるのかから考えればものごとがシンプルに見えるようになる。たとえば我が国にとっては中東情勢が緊迫化しホルムズ海峡が封鎖された場合、中東からのエネルギー資源供給が止まることが懸念される。

イラン問題を考える際にまず振り返るべきなのは、長い歴史を誇るイランを巡って過去に何が生じてきたのかという点だ。同国を巡っては米国をはじめ、英国、フランス、ロシアなど欧州に加え、アジア諸国が深く関わってきた経緯がある。現在は米イラン間での“角逐”が最も注目されているイシューだが、英国やロシアもまた、過去から現在まで同地域における“角逐”を繰り広げてきたステークホルダーである。

先月(6月)には我が国の安倍首相が41年ぶりのイラン往訪を実施した今だからこそ我が国としてイラン情勢に如何にして関わっていくべきなのかは重要なテーマである。本稿では米イラン問題とそれがもたらす原油マーケット等への影響を理解する前提として、イランとその周辺地域を舞台として英国、ロシアの間で繰り広げてきた“角逐”である「グレートゲーム」を検証した上で、我が国としてこのイラン問題に対してどのように関わってきたのかを検証したい。

「グレートゲーム」の概要と歴史的経緯

「グレートゲーム」とは19世紀から20世紀にかけて主に英国とロシアの間で繰り広げてられてきた中央アジア・中東地域を巡る“角逐”である。特に英語圏では帝国資本主義研究の為の一分野として確立しており、イラン情勢を考える上でも参考にすべきテーマである。

ロシアはピョートル大帝時代にイラン侵攻を積極的に行ってきた経緯がある。同大帝が崩御すると事態は一旦の終息をみるものの、その後のエカテリーナ二世時代になると再びロシアとイランがジョージア(グルジア)の保護を巡って“角逐”を繰り広げる形で再開する。1828年には第二次イラン・ロシア戦争が勃発し、戦勝国となったロシアがイランから賠償金とコーカサス地域にある一部領土の割譲を受けた。この結果、ロシアは中央アジア・中東地域での勢力圏を拡げた一方、同じく南(インド方面)から同地域への進出を深めていた英国と衝突する事態となった。

1907年になると英露は一転して対立から“妥協”へと舵を切った。1917年にはロシアにおいてボリシェヴィキ革命が生じ、この時点で英露による「グレートゲーム」が終焉したとみるのが一般的な考え方である。

しかしイランを巡る米欧諸国による“角逐”は全く終わる気配を見せていない。それは現在進行形の問題として同地域における武力衝突の可能性がある点や、イランが同核合意の効果を一時停止させ事態が混迷を深めている点などから分かる。

かねてより米欧諸国がイランにおいてまず押さえにかかったのが石油利権である。この石油利権を巡って米欧諸国が“角逐”と“妥協”を繰り返し、英国のアングロイラニアン石油を中心に、米欧諸国によるコンソーシアム(共同会社)が設立される。この石油利権を巡ってはソ連(当時)も進出を目指してきた経緯がある。この石油利権のために、米欧諸国がイランにおける生粋のナショナリストと言われたモサデク首相(当時)の辞任・再任劇を“演出”する事態が生じたことが知られている。またソ連(当時)によるイランへの進出に伴いイラン共産党が勢力を拡大することを防ぐのも、米欧諸国がこのような事態を“演出”する狙いであった。

以上のようにイランを巡って米欧諸国がロシアも巻き込む形で“角逐”が繰り広げてきた過去がある中で、現代において再び同国を中心に「新・グレートゲーム」とも呼ぶべき展開が生じつつある。やおら開戦危機も“喧伝”される中で我が国としても厳しい舵取りが求められる。そもそも我が国はこれまでイランを巡る「グレートゲーム」に如何にして関わってきたのか、今後の中東情勢を巡る展開可能性と我が国の在り方について探究する。

我が国が「新・グレートゲーム」のステークホルダーになる日

本稿ではイランを巡って現在生じているのはエネルギー資源を巡る米欧諸国を中心としたステークホルダーらによる“角逐”であると述べてきた。いわゆる「新・グレートゲーム」とも呼べる展開であり、石油資源の多くを中東諸国に頼る我が国にとってもこの事態が対岸の火事ではないことが分かる。そこで我が国としては日々深刻さを増すイラン情勢にどのように関わってきたのかを検証したい。

米欧諸国が核開発問題などを踏まえてイランに対し厳格な態度で臨んできた一方で、我が国はイランに対して手を差し伸べてきた。我が国の三菱UFJ銀行がイランによるマネーロンダリングに関わっていた疑惑が“喧伝”され、結果として同行はペナルティーを支払う旨に同意することを迫られることになった。また我が国の著名な石油販売事業者である出光興産は創業者である出光佐三が危険を顧みずイランから石油を買ってきた経緯があり、我が国の経済発展を大いに支えてきた。このように我が国も、時には米欧諸国と対立する危険すら冒しつつもイランを巡る「グレートゲーム」に参画してきた。実際、政治経済レベルのみならず、去る1971年には我が国の三笠宮家がイラン建国2500年を祝う祝典へ参加したこともある。

しかし、成功ばかりではない。過去には我が国の三井物産がイランの石油資源を求めて同地域へ進出し一旦は大成功を収めたことがあり、その過程で「日本イラン石油」という現地企業が設立された。しかしながら同じ頃にオイルショックが我が国を直撃し、最終的には大混乱を経験する羽目になった。我が国は過去に都度都度中東地域への進出を強めてきた経緯があるが、その度に米国諸国の思惑に踊らされてきた感があることも否めない。我が国がいよいよ「グレートゲーム」に参画しようと乗り出すと狙ったように梯子を外すのが米欧諸国のやり方であるという可能性があるということだ。先述のマネーロンダリングに関してもイランが自ら引き締めを強化した他、米国の検察当局が引き続き同問題を調査する旨“喧伝”している。

41年ぶりに我が国の安倍首相がイランを往訪するなど、我が国がイランを巡る「新・グレートゲーム」へ参画しようとしていると捉えることも出来るものの、やっとの思いで参画した結果、米欧諸国が再び梯子を外す可能性が在ることに注意しなければならない。このような依然として複雑怪奇だからこそ、我が国の課題として中東におけるインテリジェンス強化が急務であることは明らかである。

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)
元キャリア外交官である原田武夫が2007年に設立登記(本社:東京・丸の内)。グローバル・マクロ(国際的な資金循環)と地政学リスクの分析をベースとした予測分析シナリオを定量分析と定性分析による独自の手法で作成・公表している。それに基づく調査分析レポートはトムソン・ロイターで配信され、国内外の有力機関投資家等から定評を得ている。「パックス・ジャポニカ」の実現を掲げた独立系シンクタンクとしての活動の他、国内外有力企業に対する経営コンサルティングや社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

岡田慎太郎(おかだ・しんたろう)
株式会社原田武夫国際戦略情報研究所グローバル・インテリジェンス・ユニット リサーチャー。2015年東洋大学法学部企業法学科卒業。一般企業に勤務した後2017年から在ポーランド・ヴロツワフ経済大学留学。2018年6月より株式会社原田武夫国際戦略情報研究所セクレタリー&パブリックリレーションズ・ユニット所属。2019年4月より現職。