ブレーク寸前「山ごはん」~山に客を殺到させる仕掛け人
神戸に近い阪急芦屋川駅。週末の朝8時にもかかわらず、駅から多くの人々が。リュックを背負った家族連れから中高年まで、目指すのは六甲山だ。市街地からほど近く初心者でも登山が楽しめる山。でも、本当の目的は意外なところにあった。
登山口から歩くこと2時間半。六甲山の山頂からは美しく雄大な山々が一望できる。すると子供たちが、スマホを片手にアプリを起動させ始めた。今人気の「山スタンプ」というサービス。GPSの位置情報で山頂に来た人だけがもらえるスタンプで、「全国のあらゆる山の山頂に行けばもらえる」という。
新たな山の楽しみはそれだけではない。登山者が次々と取り出しているのはコンロだ。ある家族が温めていたのはレトルトのハンバーグ。手作りパンの上にチーズと一緒に挟んでハンバーガーに。別のグループは焼いてとろけたマシュマロをチョコとクッキーで挟みマシュマロサンドを味わっている。小麦の生地をこねて本格的なピザを作る人もいれば、分厚いステーキを焼く人もいる。
これが人気沸騰中の「山ごはん」。今や様々なレシピ本も発売されており、そのおいしさと楽しさで、登山に縁遠かった人まで山に呼び込んでいるのだ。
そんな「山ごはん」の楽しみを世の中に広めてきたブームの仕掛け人が、山と渓谷社の萩原浩司だ。
萩原が長年、編集にかかわってきたのは、登山好きなら誰もが知る雑誌「山と渓谷」。創刊1000号を数え、現在も発行される雑誌では世界最古だ。全国の山の詳しい地図など登山に必要な情報から、山々の歴史まで、山登りの魅力を独自の切り口で伝えてきた。雑誌不況と言われる中、専門誌にもかかわらず年間発行部数18万部を誇っている。
編集部で萩原が見せてくれたのが、倉庫の奥に眠る「山と渓谷」のバックナンバーだ。1930年に創刊された記念すべき第1号。タイトルの文字は今も全く変わっていない。登山に関する情報が全くない時代、創業者の川崎吉蔵は、自分たちで登った山の記録を元に、登山に関する貴重な情報を集め紹介していった。
「あらゆる情報を1つにまとめて安い価格で多くの人に読んでもらいたい。そんな思いでこの本を作り始めたのだと思います」(萩原)
1982年、そんな山と渓谷社に入社したのが、青山学院の山岳部に在籍した萩原だ。
時代に合わせた様々な提案で新たな登山客を開拓してきた「山と渓谷」。スマホアプリ「山スタンプ」も同誌が行っているサービス。様々なレシピ本で「山ごはん」を盛り上げてきたのも「山と渓谷」なのだ。そこにあるのは登山市場に対する危機感だ。
「登山者がだんだん年をとって山から遠のいていく。そんな中で山の魅力を伝えて登山者を山に向かわせる。山の楽しみの幅の広さを、『こういう世界もある』ともっと提案していきたいと思います」(萩原)
絶品ピザからスイーツまで~奇跡の山小屋の秘密
今、山の楽しみを一変させている感動のスポットがある。岐阜県下呂市の登山口から約3時間。御嶽山にある五の池を望む場所に立つのが奇跡の山小屋、「五の池小屋」だ。
標高2800mの山小屋とは思えないにぎわい。雄大な景色はまさに絶景なのだが、多くの客たちのお目当ては、山頂ではなく、山小屋そのものだ。
そもそも、登山者の避難所としての役割を担う山小屋はサービスとは無縁の施設。狭い室内で隣の客と肩を寄せ合う雑魚寝が当たり前で、提供される食事は、たまに来るヘリコプターで食材を運び込むため、冷凍の食材を使った簡単なものが多いという。
だが「五の池小屋」には、山小屋なのに洒落たカフェがある。出てきたのは、ほんのり甘いふわふわの「特製シフォンケーキ」(600円)。この小屋で一つ一つ焼いているという。その他にも「くるみとチョコのケーキ」や、やはり手作りで焼き上げる「アップルパイ」(各600円)、煮詰めた生姜を使った「ジンジャーエール」(700円)も特製だ。
外には「五の池」自慢の絶景テラスが。南国のリゾート地さながらに過ごせる。テラスでスイーツや。こだわりチーズの「燻製セット」(800円)を味わえる。
客をうならせる山小屋を作り上げた「五の池小屋」小屋番・市川典司の最大の狙いは、山に新たな客を呼び込むこと。「これだけ若い人たちが来るのは珍しいと、みんなびっくりします。若い人たちがこの業界を担っていくのですから、いい状況だと思います」と言う。
客は、雄大な山の自然に負けない小屋の魅力に引き寄せられてくる。「まだまだやりたいことがいっぱいある」と言う市川は、毎年、小屋に新たな魅力を作り続けてきた。今年は、絶景のテラスをさらに拡大した。
「山登りはシニアも多く、荷物も重くて腰や膝が痛くなる。ベンチでは休めないんです。ひじ掛けがあってリクライニングできる椅子なら、目の前の景色も楽しめる。この標高の山で『こんなものがあるんだ』『こんなものが食べられるんだ』と、驚かせたい」(市川)
清潔感ある宿泊スペースには、家族客を意識した間仕切りのある部屋も作った(1泊6000円/素泊まり)。
この日の夕食は山小屋では珍しい鍋料理だった。使っているのは自家製のみそ。「春に仕込んだもの。小屋が始まってからずっと手作りです」(スタッフ)と言う。薪ストーブで作る、自家製の燻製チーズを使った熱々の「五の池特製ピザ」(1600円)も好評だ。
市川は、こうした客を喜ばせる様々な取り組みで、700人にすぎなかった小屋の宿泊客を3500人にまで増やしてみせた。
「山の良さを堪能してもらうために、何か山小屋からきっかけを与えることも必要ではないか。『山だから仕方がない』と妥協すればいくらでもできます。でもそこで最後までこだわると、本当にいいものができるんです」(市川)
月に一度しか呼べない高額なヘリでの輸送を補うため、市川は毎週、食材など40キロを担ぎ、通常なら2時間で登れる「五の池小屋」まで、5時間以上かけて運ぶ。「鍋をやるなら野菜もいる。そこまでやるかと自分でも思います」と笑う。
市川は10代の頃から全国を放浪。20代の時、住み込みで働いた富山県の小さな山小屋で山の魅力に魅せられた。1999年、五の池に小屋を持っていた下呂市が建物を改築。その翌年、市川は小屋番として公募で採用された。
当時の五の池周辺は「非常に登山者が少なく、めったに来ない所でした」と言う。その自然を歩き回る中、五の池周辺の驚くほどの魅力に気づかされる。
「『何ていい所なんだ』『こんな所があったんだ』と。その時に『やろう』と思いました。やれると思いました、好きな場所だから」(市川)
五の池の魅力をもっと登山客に知ってもらうため、風景や高山植物を楽しみやすいよう、登山道を整備。その一方で組んだのが、客を山に呼び寄せられる小屋作りだった。
日常使いでファン急増中~快適すぎる山ウエア
東京・渋谷区のファイントラック東京ベース。にぎわう店内に並ぶのは色とりどりのウエア。中でも飛ぶように売れているのが「スキンメッシュ」という下着だ。
年間12万着を売る秘密は、汗を乾かす独自の構造にある。「スキンメッシュ」は外からの水分を完全にはじく一方、下着の内側でかいた汗を一気に外に逃がし、常にサラサラの肌触りを保ってくれ、山はもちろん、日常使いをする人が急増しているという。
69歳になるファイントラック社長・金山洋太郎の信条は、自らが山を楽しむこと。「体験して、そこから『こんなものがあったらいいな』と思う。室内でいいアイデアは絶対に生まれません」と言う。
創業15年のファイントラックの本社は神戸にある。社員40人の少数精鋭ながら、急激にファンを増やす背景には、金山独自の戦略があった。
「世の中にあるものを作っても、我々の存在意義はない。世の中にないものを狙っています」(金山)
例えばレインウエア「エバーブレスフォトン」(2万4840円)。通常、防水の生地には伸縮性がない。この業界の常識を金山は壊してみせた。驚くほどの伸縮性を実現したのが、ポリウレタンの薄い膜のフィルム。伸縮性のある特殊なフィルムを高いストレッチ素材の生地の間に張り合わせ、防水なのに伸びるウエアを実現した。
金山が貫いてきたのは、山を楽しむための高品質なウエアづくりだ。20代で世界の山々に挑戦するほどの登山好きだった金山。大手アウトドアメーカーで30年以上、商品開発を担ってきた。しかしそこでの商品作りは、よりよい機能より、売りやすいデザインが重視されるようになっていったという。
「商売が大きくなってくると、『売れるものを作れ』という流れに変わり、ちょっと我慢ができずに、自分でやろう、と」(金山)
長年培ったノウハウを武器に54歳でファイントラックを創業。こだわったのは、大手メーカーにはまねのできない、アウトドアファンを喜ばせるためのウエア開発だ。
そのものづくりの秘密は金曜の夕方になると明らかに。社員たちが真剣に打ち合わせしていたのは週末の予定。ほぼ全員、週末になると山に遊びに行くのだ。
翌日、ファイントラックのウエアに身を包んだ社員たちが繰り出したのは山梨市西沢渓谷。本気の沢登りだった。社員は総出で、自分たちの商品を遊びの中で使っている。この遊びがファイントラックの商品開発に生かされるという。
そんな遊びの中から新商品を開発したのは、クライミング好きの商品企画課・相川創だ。
「クライミングで足を上げていくと、ストレッチのないパンツなど、膝で引っかかる。引っかかり感のないパンツを作りたかったんです」(相川)
それを解消するために開発したのが、独自縫製の「トルネードパンツ」(1万4580円)。通常のパンツは生地を直線的に縫い合わせるため、激しく動くと突っ張り感が出てしまう。トルネードパンツは、らせんのような曲線で生地を縫い合わせ、その欠点を解消した。本気の遊びの中で感じた不満が今までにない快適なウエアを生み出したのだ。
「ウエアといっても、僕らの感覚としては安全道具。安全道具を作るなら、自分たちが責任と自信を持って提供できるものでなければならない。社員が遊びをやめてしまったら、成り立たないことになりますので、そこだけは死守したい」(金山)
高品質の商品を支えるのが国産にこだわったものづくりだ。
大阪・貝塚市にある繊維メーカー「ユニチカガーメンテック」の研究施設。「スキンメッシュ」の特殊な繊維もここに開発を依頼し、2年越しでようやく完成させたものだという。
「商品化まで2年というのはなかなかないです。もっと早く出さないと、商品の価値も薄まりますから。金山社長のこだわりがあって、なかなかお目にかなうものが作れなかったということもありますが」(「ユニチカトレーディング」技術開発部・田中潤さん)
「無理難題をお伝えしても作っていただける。普通ならあまり相手にしてくれないような環境だったと思います」(金山)
独自の糸で「スキンメッシュ」を編み上げるのも日本の技術力。「スキンメッシュ」の生地を編みあげるマシンは、日本に数台しかないと言われる。
「貫通メッシュを作って柔らかい風合いを出そうとすると、古い機械しかない。この機械がないと『スキンメッシュ』が作れないんです」(テキスタイル開発課・田中由希子)
大手メーカーが海外生産に移る中、金山は糸づくりから国内にこだわり、他にない商品を作り上げているのだ。
「遊び手が作るものづくりとメード・イン・ジャパンを、ブレずにやっていきたい」(金山)
安全に山を楽しむために~便利&ハイテク山グッズも
「五の池小屋」の市川が毎年欠かさないのが登山道の整備。市川の最大の使命は、登山者の安全を守ることなのだ。
「初心者の方も多いので、できるだけ道を分かりやすくする。分かりにくい所にはマーキングをして『こっちに登山道がある』と。遭難事故につながることもあるので」(市川)
2014年、市川の小屋からわずか2キロの御岳山・剣ケ峰で日本最悪の火山災害が起きた。死者と行方不明者は63人。あれから5年、被害にあった山頂への、入山規制が7月1日から緩和され、万が一のための避難スペースも作られた。そこには登山客が、痛ましい記憶を刻みに来ていた。
今、人気を呼んでいるのが初心者向けの登山ツアー。富士山で行われる「初めての登山教室」(1万2900円~)では、専門のガイドが安全に楽しむ登山の基礎知識を教えてくれるという。登山人口を増やすためには、初心者への教育が欠かせない。
「歩き方もあるし、高所に行くと天候も急変するので、天気に関する正しい知識を総合的に養うことが大事だと思います」(「クラブツーリズム」テーマ旅行本部・窪田一紀さん)
一方、山と渓谷社で長年、山の楽しみを伝えてきた萩原は、登山に潜むリスクを他に先駆け、誌面に載せてきた編集者でもある。
そんな萩原が、万が一の時におすすめだというのが、緊急用の簡易テント「ツェルト」。「大変薄い生地で出来ていますが、引き裂きの強度は非常に強い」(萩原)と言う。いざという時に被れば、寒さをしのげ、テントのように雨風が防げるのだ。
名古屋市で行われた「夏山フェスタ」には、登山の最新情報が一堂に会した。「五の池小屋」の市川も参加する一大イベントだ。
リュックに取り付けられる「折りたたみソーラーパネル」(1万4904円)。「USBの出力が付いていて、スマートフォンの充電などもできるようになっています」(「アスク」藤井浩さん)と言う。
壁一面に並ぶのは立体の地形図「山の立体パネル」(3500円~)。折りたたんで持ち運べるから、登山をしながらでも使える。
さらには最新の山岳地図が表示される「登山マップ搭載腕時計」(11万8584円)。「『山小屋がどこにあるか』『この登山道は何月から解放されるか』などの地図データが入っています」(「ガーミンジャパン」金澤護さん)
様々な人の熱い思いが、日本の山をさらに楽しくする。
~村上龍の編集後記~
なぜ登るのかという問いに、登山家マロリー卿は「そこにエベレストがあるからだ」という有名な答えを残した。真意は「未踏のピークを目指したいという望みに理由などない」だろう。
「未踏のピークを目指す」から「高尾山で飲むビールはおいしい」まで、登山は多様化している。ブームはいつか終わるが、ゲストの3人はブームとは無縁だ。
市川さんは、新しい登山を実践している。テラス、薪ストーブのあるカフェ、頂上を目指すこと以外にも御嶽山との一体感が可能だと示した。登山が、非日常の象徴という常識を覆したのである。
<出演者略歴>
萩原浩司(はぎわら・ひろし)1960年、栃木県生まれ。1982年、青山学院大学卒業後、山と渓谷社入社。2001年、「山と渓谷」編集長。2009年、「山の日」制定メンバーに。
市川典司(いちかわ・のりじ)1970年、愛知県生まれ。20代は世界を放浪。1996年、高天原山荘で修行。2000年、五の池小屋番人に。
金山洋太郎(かなやま・ようたろう)1950年、兵庫県生まれ。1970年、登攀倶楽部設立、大手メーカーに30年勤務。2004年、ファイントラック設立。
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