日帰りで治る心臓疾患~カテーテル治療最前線
神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院に向かっていたのは73歳の石田保道さん。先日、まったく予期せぬ心臓の異常が見つかった。石田さんは心臓の血管の一部が極端に狭くなっていた。血管が詰まり心筋梗塞の恐れもある狭心症だ。
初めての心臓の治療に不安そうな石田さん。始まったのは、手の血管からカテーテルを入れる今拡大中の治療法。麻酔は右手への局所麻酔だけだ。
まず取り出したのは治療のキモになるという器具、ガイドワイヤー。最初に血管に通し、心臓への道を確保するためのもの。これがうまく通らないと、その後、カテーテルを患部まで入れることができないのだ。ワイヤーには、腕の細い血管内を滑らかに通せるよう、液体に触れると表面がヌルヌルになる加工が施されている。
そのガイドワイヤーを、X線で写し出した心臓の画像を頼りに手の血管から挿入していく。細い血管の中を、ワイヤーが驚くほど滑らかに進んでいく。
そして心臓まで到達すると、いよいよカテーテルの出番だ。その先端には、直径わずか1ミリのステントという金具がセットされ、水圧をかけると膨らむ仕組みになっている。手の血管へ入れたガイドワイヤーに沿ってステントをつけたカテーテルを挿入。患部に到達し、ステントを広げることで、正常に血が流れるよう治療するのだ。
早速、ガイドワイヤーにカテーテルを通し血管内へ。狭くなった患部にステントが到達し、そこで水圧をかけると、血管内でステントが広がった。狭くなっていた血管が無事、元の状態に戻った。
治療はたった20分で終了。石田さんは普通に歩いて治療室を出ていった。圧倒的に体への負担が小さいのだ。治療を行った循環器科主任部長の齋藤滋医師は「早い話、日帰りもできるんです」と言う。
そんなカテーテル治療が今、爆発的に進化している。年間1万件ものカテーテル治療や検査を行うという福岡県北九州市の小倉記念病院では、動脈硬化から不整脈、さらに大動脈瘤まで、さまざまな病気の治療に、カテーテルが使われている。
例えば脳の血管が膨らみ、くも膜下出血を引き起こす脳動脈瘤。破裂すれば死にも至るこの病気を治療するのは、脳動脈瘤コイルという特殊なカテーテル。血管に通して膨らんだ患部にコイルを詰めていき、隙間を埋めつくすことで、脳動脈瘤の破裂を防げるという。
「全身のいろいろな血管がカテーテルで治るようになってきています」(安藤献児副院長)
カテーテル治療が一気に進化する裏にはある企業の存在があった。それがテルモだ。
そもそもカテーテル治療の第一歩を記したのは、ドイツ人医師のヴェルナー・フォルスマン。1929年に自分の腕の血管からカテーテルを心臓に到達させ、レントゲン撮影に成功した。その後、日本でも心臓にカテーテルを入れての診断が始まり、80年代に入ると治療自体がカテーテルで行われるようになる。しかし当初は、血管が太い足からカテーテルを入れていたため、治療後の止血が大変で、入院日数も長かった。
そこでテルモは細い手の血管からでも入れやすいカテーテルの開発に注力。患者の負担が圧倒的に減る治療法を普及させたのだ。
カテーテルの名医といわれる湘南鎌倉総合病院の齋藤先医師は、「圧倒的にテルモのものは使い勝手がいい。そこらの会社にできるものではない」と言う。
発起人は北里柴三郎~技術で人々を救ってきた98年の歴史
カテーテル治療の進化を支えてきたテルモの技術力。その現場が静岡県富士宮市の愛鷹工場だ。
驚いたのがステントづくり。ステントの材料となるのが直径2ミリの極細の管。これをレーザーで、独自の網目構造に切り出していく。直径2ミリとは思えない微細な加工。すると今度はノズルのようなもので網目をなぞっていく。ステントの表面に、患部を治療する薬を塗っているのだ。その精度はわずか1000分の1ミリ単位だという。
新製品の開発部門・マスタリーセンター愛鷹ラボでは、がんを治療するためのカテーテルの研究が極秘で行われていた。
「肝臓がんを治療するためのカテーテルを開発しています。心臓ではなく、腹部の動脈にいきやすい形状になっています」(心臓血管カンパニー・岡村遼研究員)
さらに検証していたのは、足の太い血管にできた狭窄を広げる新型ステント。この大きなステントの特徴は、「血管追従性といって、曲りくねった血管の中でも柔軟に曲がることができ、かつ、空間を確保できるのが強みになっています」(同・宇佐美宏佳)
そんな技術力を武器に、テルモの年商は6000億円にまで拡大している。その急成長を支えてきたのが、社長の佐藤慎次郎だ。
創業98年のテルモには、意外な歴史がある。テルモの生みの親ともいえるのが、新札の肖像画に選ばれた北里柴三郎だ。何百年も人類を苦しめ続けたペスト菌を世界で最初に発見。野口英世などを育てた近代医学の父と言われる。そんな北里が還暦を迎えた頃に起きたある問題が、テルモを誕生させる。
1914年、勃発した第一次世界大戦の影響であるものが日本から消えた。それがドイツなど海外に依存していた体温計だ。医療現場は大混乱に陥った。体温の変化を正確に測れなければ、診断自体ができない。医者たちは困り果てた。
「ちょうど当時は日本の医療が発達し始めた頃で、体温計への需要が高まっていた時にそういうことが起きて、医療従事者の方は大変心を痛めて『何とか国産の良質な体温計を作ろう』と」(佐藤)
そんな現場の悲鳴が集まってきたのが当時の医師会。大日本医師会長を務めていたのが北里だった。1921年、北里自らも発起人となり、テルモの前身である体温計メーカー「赤線検温器株式会社」を設立する。それは、赤い線で温度を見やすくするなど、その後、テルモがこだわり続ける技術力の原点といえる製品だった。ちなみに、そこに刻まれた体温計を意味するドイツ語「テルモメーテル」がテルモの社名の由来となる。
テルモは革新的技術で人々を救ってきた。例えば、世界で初めてテルモが開発し、1982年に発売したホローファイバー型人工肺。心臓に繋がれたチューブからどす黒い血液が流れ込み、そして心臓に戻るときは鮮やかな赤色に一変している。テルモは、以前は大掛かりだった装置を劇的に小型化した。
「テルモのすごい発明だと思います。今は全世界で使われていますから」(榊原記念病院・高橋幸宏副院長)
その技術力は病気と闘う子どもたちも救っていた。髪の毛2本分の太さしかない「痛くない注射針」。1型糖尿病に苦しむ日本中の子どもたちのために、テルモが開発を決意。2005年に岡野工業と共同開発で、驚異的な細さでもインスリンを打ち出せる針を生み出したのだ。
「細くてもきちんとインスリンを注入できる。非常に技術的に優れていると思います」(日本大学病院・浦上達彦診療教授)
その挑戦は今も続いている。今年テルモが発表したのは、「痛くない注射針」を進化させた「怖くない注射針」。長さを1ミリ短くし、注射に対する恐怖心を抑えるという。
「幼い患者さんが多いですから、より恐怖心がないように。今もこういう製品を出すことで、貢献したいと思っています」(佐藤)
マラリアに挑む秘密兵器~医療で世界を変える
西アフリカ・ガーナの首都アクラにテルモの社員、伊藤秀樹の姿があった。「ちょうどこの時期から水たまりが増えて、マラリアにかかる人が増えるようです」と言う伊藤の目的は、今もアフリカで年間40万人が死亡するマラリアだ。原因はハマダラカ。これに刺されると、赤血球がマラリア原虫という病原体に感染してしまう。
このマラリアの感染に、テルモは画期的な新製品を持ち込み挑んでいる。それがコピー機のようなマ形状のマシン、ミラソルだ。
その使い方は簡単だ。マラリアに感染した可能性のある血液製剤に黄色いビタミン剤を混ぜ、中のトレーにセットするだけ。ミラソルには紫外線を照射するランプがついている。ボタンを押して40分ほど経つと、驚くべき変化が。マラリアに感染していた赤血球が「ミラソルを照射した後はきれいになっています。原虫がいなくなっています。」(伊藤)。ミラソルは、マラリア原虫の遺伝子に作用し、活動を抑え込むのだという。
ミラソルの活躍が期待されるのが、輸血用の血液を安全にすること。実はガーナでは、献血で集めた血液がマラリアに感染していることも珍しくない。血液自体が足りない中、マラリアへの感染を調べる間もなく、集まった血液を輸血に使っているのだ。
「多くの血液がマラリアに感染しているのですが、感染した血液を使わないと、医療が成り立たなくなる」(伊藤)
そんな厳しいアフリカの医療を改善すべく、伊藤はミラソルの普及に奔走しているのだ。
「医療の原点である安全な輸血ができるように、種をまいているところです」(伊藤)
このミラソルを開発したのは、アメリカに本社を置くカリディアンBCTという医療機器メーカーだった。8年前、そのBCTをテルモが巨額の資金で買収。以来、二人三脚でアフリカでのミラソル普及を進めてきた。
両社がひとつになった決断の理由は、共通の企業理念だったという。
「テルモの企業としての志が我々と全く一致していたんです」(カリディアンBCTデビッド・ペレス元CEO)
「最後に買収するかどうかを判断する時に、志を共有できるかをチェックポイントにした。方向性の同じ企業であり、経営者だと分かり、最終決断に至りました」(佐藤)
その志こそ、北里柴三郎以来の「医療を通じて社会に貢献する」という理念だ。
巨大企業はなぜ崩壊した?~「北里柴三郎のDNA」を守れ
佐藤には、企業理念の意味を思い知らされるとんでもない体験があった。
佐藤はもともと、世界的な会計事務所アーサー・アンダーセングループの社員だった。その在籍中に佐藤の価値観を一変させる大事件が起きる。
2001年にアメリカで起きたエンロン事件。巨額の不正会計が明るみになったこの事件で、エンロンの会計監査を担当していたアーサー・アンダーセンの信用は失墜、廃業に追いやられた。
「本国のアメリカ政府から、業務をやってはいけない、と。全世界で9万人近い社員がバラバラになりました」(佐藤)
なぜ巨大企業が一瞬で消え去ったのか。佐藤は衝撃を受ける。しかし、後に1冊の本に佐藤はその理由を教えられることになる。GEを世界的企業にした名経営者ジャック・ウェルチの『ウィニング 勝利の経営』だ。
「彼がこの本を書いたのが、事件の起きた時期だったので、アーサー・アンダーセンの話が取り上げられていたんです。ビジネスが発展していくと、どうしても企業の利益を誘導する方向に向かい、だんだん本来の姿が失われていったのではないかと、書かれていました」(佐藤)
ジャック・ウェルチ曰く、「企業が大事にしてきた使命と社員の行動に一貫性がなくなった時、企業は滅びる」。今、佐藤が心に刻むのは「医療を通じて社会に貢献する」というテルモ創業以来の使命だ。
日本中の病院でカイゼン~医療現場に寄り添う企業
日本中の病院に、テルモが改良してきた商品があふれている。例えば使い切りの注射器。かつて、集団予防接種などで当たり前に使い回されていた注射器を、テルモは問題視。使い切りを開発して普及させ、注射器による感染症を防いだ。
「もっと早い時期に普及していれば、今のいろいろな問題はもっと防げたはずだと思います」(聖マリアンナ医科大学病院・北川博昭病院長)
あるいは点滴の量を制御するポンプ。今まではスタンドに取り付けるのが大変だったが、テルモが改良し、簡単に取り付けられるようにした。さらには忙しい看護師向けに改良した点滴バッグ。2種類の液剤を一瞬で正確に混ぜられる、現場にうれしいアイデア商品だ。
「現場がどういうことに困っているかを実際に見てもらって、『こういう商品がいい』と考えてくれる。私たちの意見を取り入れてくれていると感じます」(同・山田陽子看護師長)
テルモは創業以来、日々病院を回り現場の声に耳を傾けてきた。そこで見つけた小さな不満を商品開発に生かしてきたのだ。
そんなテルモが作った驚きの施設がある。神奈川県中井町にある、年間1万人が詰め掛けるという「テルモメディカルプラネックス」。そこには手術室や集中治療室のような部屋が。ここは全国から訪れた医師たちが、手術や患者の扱いなど、さまざまなノウハウを学ぶために作られた模擬病院だ。
「こういう施設があるのは非常にありがたい。売るだけでなく、その後のことまで考えてくれる企業だと考えています」(草津総合病院・西尾利樹医師)
徹底的に医療現場に寄り添う。それこそが、テルモが成長し続けてきた秘密だ。
~村上龍の編集後記~
社名は体温計のドイツ語「テルモメーテル」に由来。テルモは、大戦によって輸入が途絶えた体温計の国産化のために北里柴三郎らが発起人となり、1921年に設立された。売上約6000億となった今でも、設立の理念を維持し、製品販売にとどまらず、より良い治療方法の普及を目指す。
医師との連携の象徴であるメディカルプラネックスで、ソフトとハードが出会い進化する。海外比は7割に迫るが、テルモは「海外」という言葉が陳腐化するような地平に位置している。医療ヒューマニズムのベースという独自のポジションである。
<出演者略歴>
佐藤慎次郎(さとう・しんじろう)1960年、東京都生まれ。1984年、東京大学経済学部卒業後、東亜燃料工業入社。1999年、朝日アーサーアンダーセン入社。2004年、テルモ入社。2017年、社長就任。
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