(本記事は、前川孝雄氏の著書『50歳からの逆転キャリア戦略 「定年=リタイア」ではない時代の一番いい働き方、辞め方』PHP研究所の中から一部を抜粋・編集しています)

やりたいことができない本当の理由は何ですか?

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(画像=alphaspirit/Shutterstock.com)

家族がいるから、子どもが自立していないから冒険できない、は本当か?

家族もいるミドルが自分の思いだけでやりたいことに向かって突っ走ることは現実的に難しいでしょう。家族を路頭に迷わせることは無責任だという気持ちもわかります。実際、自分の稼ぎが家族の生活を支えているのですし、子どもの教育費もまだまだかかる。その責任は確実に負っていますから。

このようなとき、私たちはつい先入観で安易に結論を出してしまいがちです。「家族は反対するに決まっている」「子どもはこれから大学進学だし、今は自分が好き勝手できる状況ではないよな」などと考えていると、「どうせ無理だ」という思いが自然と勝ってしまうのです。

しかし、家族がいるから、子どもがまだ自立していないから、絶対にリスクのある挑戦はできないという理屈も成り立ちません。現実に家族としっかり話し合い、できるだけリスクを抑えるよう調整をして挑戦している人はいるのですから。

また、今や専業主婦世帯は少数派であり、共働き世帯が多数派の時代になっています。男性の片働きで家族全員を養うべきという考え自体が古いかもしれないのです。

何より自分の人生です。仕事を苦役と捉え、我慢しながら働くことは自分にとって幸せなのでしょうか。また、そうした不本意な働く姿を見せることは、実は家族にとっても良いことではないかもしれません。

長年、大学で教鞭を執る中で学生たちと接していて感じるのは、働くことへの期待よりも不安の大きさが年々高まっている現実です。この国の若者たちにとって働くことが希望溢れるものに変わるには、まず親世代が未来を見て果敢に挑戦している姿を見せることだと私は確信しています。だから、ここでもう一歩踏み込んで考えてみてほしいのです。

家族とじっくり話し合うことで答えは見えてきた

挑戦しない理由を整理した私は、改めて自分に問いました。「やりたいことができない本当の理由は何だろうか?」と。

大企業で働くことのステータスなどは冷静に考えればどうでもいいことです。いつかは役職定年や定年退職で失う儚いものです。運に恵まれて大企業の役員になったとしても、辞めてしまえばただの人です。

そんな過去の栄光をひけらかすほど、定年後は地域や家族にも疎まれるのも現実です。そんなつまらないこだわりは今すぐ捨ててしまえばいい。

人材育成支援の経験がないことも、新しいことに挑戦するのだから不安はあって当然のこと。今までだって異動や転勤のたびにやったことのない仕事には何度も取り組んできたのだから、自分なら乗り越えられるはず。そのように考えていくと、残った問題はやはり家族とお金でした。

そこで私は家族に思い切って自分の気持ちを打ち明け、話し合いました。

まず妻に独立の意志を伝えると、妻からは「あなたサラリーマンには向いてないかもしれないから、そのほうがいいと思う。やりたいことを自由にやってくれたほうが私も嬉しい」という言葉がサラッと返ってきました。

こちらが拍子抜けするほど、あっさり応援してもらえたのです。身近なパートナーはちゃんと見てくれていたんですね。その後、起業後の苦しい時期を含めて、支え続けてくれていることには感謝しかありません。

次に子どもです。上の子は当時小学6年生。これから教育費がかかる年齢です。子どもは、父親が大手企業に勤め、有名な雑誌やWebメディアの編集長だということは知っていましたから、急に辞めるとなったときにどう思うかについては不安もありました。

最初はやはり「え、会社辞めるの」と不安そうでした。しかし、じっくり話すうち「そうなんだ、わかった」と理解を示してくれました。最後に「お父さんは起業に挑戦して、あなたは勉強に挑戦だ。どっちが頑張り続けられるか競争だぞ」と話すと、笑顔で「私も中学校に進学して頑張るから、お父さんも一緒に頑張ろうね」と言ってくれたのです。

ぐっと胸に熱いものがこみあげるとともに、「必ずや子どもが誇りに思えるような仕事を成し遂げよう」という思いを強くもできました。

そんな子どもも大学進学や留学も経験し、今は若手社会人として元気に頑張っています。さらに子宝にも恵まれ、養育費を稼ぎ続けられた幸運に感謝するとともに、愛する子がいるからこそ、苦しいことがあっても挑み続けられるのだと感じています。

最後は親です。ここも、切り出すまで相当躊躇し葛藤しました。それには背景があります。私の親は、戦後の貧しかった時代に満足な教育が受けられず、10代から丁稚奉公や住み込みで働き修業し独立。激動の昭和の時代に夫婦で力を合わせて自営業を営み、私たち子どもにしっかり教育をつけさせてくれました。

商売には浮き沈みがあります。休みもなく身を粉にして働くも事業がうまくいかず、夜な夜な帳面を見て悩んでいた姿も記憶しています。それでも子どもには愚痴一つ漏らさず「どんなことがあっても、教育だけはつけさせるから」が口癖でした。

事業に失敗し困窮する家族や夜逃げする人たちも間近に見てきただけに、私が安定した大手企業サラリーマンになったことを心底喜んでくれました。マネージャーや編集長に昇格するたび、我がことのように嬉しそうでした。

常々「自営業を営んできた私たちのようなしんどい思いを子どもたちにはさせたくない」「息子は大きな会社で元気に働いている」と話していた親に、結局独立したいと伝えなければならない。近頃は体も弱り病気も抱える老親に心労をかけてしまうことに申し訳ない気持ちもありましたが、伝えないわけにはいきません。

「会社を辞めてどうしてもやりたいことがあるんだ」

あるとき意を決し思い切って気持ちを伝えました。最初は事業の骨格が定まっていないことや、孫の将来なども心配したようですが、「そうか、あなたの人生だ。やってみたらいい」と最後は認めてもらえました。相当複雑な思いを抱いたであろうにもかかわらず、多くを語らず応援してくれた親には感謝してもしきれません。

後日談として、起業から10年以上経ち、オフィスを構え社員として仲間も増えたことを報告し、安堵した表情を見て、やっと一安心させられたと思ったものです。

最近では、私が自分の仕事について書いた本を何冊も買いこんでご近所さんに勧めるなど、息子が元気に働いていることを喜んでくれているようです。田舎に暮らすご近所の高齢の方々にはあまり関係のないビジネス書なのですが(笑)。まだまだですが、少しは恩返しができたかなと思っています。

私は、自分の外側に「できない理由」があると思い込んでいました。家族が反対するからダメだと勝手に思い込んでいたのです。しかし、実際に家族と向き合って気持ちを聴いてみると、まったくそんなことはありませんでした。結局、私は、自分の内側にある臆病な気持ちを家族に転嫁していただけだったのです。

「起業して無収入になったらどのくらいやっていけるか」を計算した

ただし、私の場合はとてもラッキーだったと思います。というのも、「やはり家族が反対するので……」と、やりたいことを諦める人も多いからです。

実際、私の営む会社にも、これまで何十人ものミドル層の方から「人材育成を仕事にしたいので雇ってほしい」という手紙やメールが届いています。

すでに講師やコンサルタントとして独立している方は基本お断りしていますが、私と同じように企業で管理職や経営幹部を経験しており、第二、第三の職業人生を人材育成に挑戦したいという人であれば、お役に立てると考え、お会いします。

「積極的に採用活動をしているわけでもないのに、連絡してくるからには同志になれる人かもしれない」とワクワクもしますし。

しかし、中には、「給料は大手企業時代と遜色なくほしい、かつやりたい仕事をしたい、でも経験がないから仕事を教えてほしい」という虫がいい人もいます。

そこで私が「人材育成という志を全うするには相当な苦労がありますし、お勤めの大手企業のような待遇もありません。まずはご家族と話し合ってきてください」と伝えると、ほとんどが「やはり諦めます」という返事になります。お子さんはとっくに自立して年金ももらえる年齢になっている方から「妻が不安がっているので辞退します」と言われたときには唖然としました。

正直言えば、常識的な判断をすればそうなるのかとがっかりします。ただ、自分でゼロから起業するのではなく、ある程度仕組みができた会社に転職することでも家族を説得できなかったということは、そこまで本気ではなかったということです。

ジョインしてもらったとしてもお互いに不幸になるだけですから、むしろ諦めてくれて良かったのだと考えています。一方で、そんな中でもしっかり家族と向き合い、ジョインしてくれた本気の仲間たちとの出会いを奇跡と感じています。

話を戻しましょう。さてそうなると、残るもう一つの問題はお金だけです。お金に関しては、まず今ある退職金や預貯金をすべて書き出しました。それらをもとに、起業して無収入になった状態でどのくらいの期間やっていけるかをシミュレーションしました。

蓄えがいくらあって、退職金がいくらで、教育費などで毎月出ていくお金がいくらで、ギリギリ切り詰めた場合の生活費がいくらで……と考えていけば、出ていくお金は計算できます。

一方で、売上で入ってくるお金はまったく読めません。幸い、立ち上げようとしている人材育成支援事業は、工場が必要だったり原材料費用が莫大にかかるものではありません。飲食店のように家賃の高い目抜き通りに店舗を構える必要もありません。

「ついていきたい」と申し出てくれる元部下もいましたが、路頭に迷わせてはいけませんし、そもそも給料が出せないので一人起業でスタートすることにしました。

ところが、どこで噂を聞きつけたのか、ファンドの方が訪ねてきて出資を打診されたり、助成金をもらうようアドバイスしてくれる士業の方も出てきました。ただ本業で稼げていないのに出資や助成金に頼り自沈した起業家も見てきたので、丁重にお断りしました。

とはいえ、出ていくお金は抑えられれば抑えられるほど安心です。だから最初は自宅で開業し、起業のために新調したのもパソコンと格安のデスクと椅子のみでした。ちなみに、会社を辞める前に自宅マンションは買いました。起業してしまうと大企業サラリーマンのように簡単に住宅ローンが組めなくなるからです。

こう計算していくと、2年くらいは家族に大きな迷惑をかけることなく生きていけるだろうという目算が立ちました。それでも厳しいときは車を売ればさらに6ヵ月くらいは何とかなる──。そうそう楽観視はできないとはいえ、これなら挑戦することは可能です。私は自分にゴーサインを出しました。

その頃、長年仕事を共にしていたフリーランスのライターさんから「やっと川を渡ってこちら側に来てくれたね。これからは本音で話せるよ」と言われました。私は対等に接しているつもりでしたが、やはり発注者側の大手企業サラリーマンは体を張って仕事を請けてくれている個人事業主には気を許してもらえていなかったのだと実感したものです。

50歳からの逆転キャリア戦略 「定年=リタイア」ではない時代の一番いい働き方、辞め方
前川孝雄(まえかわ・たかお)
㈱FeelWorks代表取締役/青山学院大学兼任講師。1966年、兵庫県明石市生まれ。大阪府立大学、早稲田大学ビジネススクール卒。㈱リクルートで『リクナビ』『就職ジャーナル』などの編集長を務めたのち、2008年に㈱FeelWorks設立。「上司力研修」「50代からの働き方研修」などで400社以上を支援。2017年に㈱働きがい創造研究所設立。一般社団法人企業研究会研究協力委員、ウーマンエンパワー賛同企業審査員なども兼職。

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