元エリートサラリーマンの後悔

紹介するのは、東京都内に住む中川啓太さん(仮名、60代)である。元エリート会社員の彼は定年後になって社会のゆがみに気づいた。

「格差が拡大し、生活苦の人たちが著しく増えている。恥ずかしながら現役のときはそこに疑問を持たず、むしろこんな社会ができあがる片棒を担いでしまったなと……」

中川さんとは7月初めの月曜日の昼、都内のバーガーショップで待ち合わせた。今年4月から勤務先で嘱託扱いになり、いまは週4日、1日5時間の短時間勤務。責任ある立場で働いていた頃と比べれば、自由な時間が比べものにならないほど増えたという。アイスコーヒーを飲み、雑踏を行き交う人びとを眺めながら、中川さんはつぶやいた。

「こうしてゆっくりする時間ができて初めて、なにかがおかしいと気づいたんです」

これまで、順風満帆と言える人生を歩んできた。

国立大学の大学院で電子工学を学び、大手電機メーカーにエンジニアとして就職した。当時、通信の分野で時代の先端を走っているという自負があった。トップを走るために、長時間労働は厭わなかった。50歳のときにセカンドキャリアを築こうと会社の早期退職制度に応募し、十分な退職金をもらって円満に会社を辞めた。以前から誘われていた電子機器メーカーに再就職し、幹部社員として働いた。インターネット関連の技術に詳しいため、仕事に困ることはなかった。

子どもたちは独立し、都内に持ち家がある。貯蓄や厚生年金だけでも十分食べていけるが、「趣味の延長」の感覚で続けている今の嘱託勤務も月に10万円は稼げる。自分のことだけ考えれば、なに不自由ない生活ができている。

だが、悠々自適の暮らしが始まったとき、ふと気になることを思い出した。

大手電機メーカー勤務のころだ。40代後半で子会社に出向し、開発部長を務めた。そのころITバブルがはじけて業界が不景気になり、本社から従業員の大量リストラを命じられた。人材派遣会社が行う研修を受け、「部下を退職させるための面接方法」を学んだ。教えられた通りに実行し、部下たちを会社から追い出した。

「あなたが活躍できる場所はこの会社にはないよ」
「そろそろ考えてみないか」

声量はしぼり、つとめて冷静に。一回の面接で決断を迫らず、そのかわり嫌がる部下は毎日のように面接に呼び出した。

結果、本社の要求通りの人数を削減できた。管理職としての「ノルマ」を達成した。

20年近く経った今、当時の記憶がチクチクと中川さんの心を刺してくる。

「あんなことをして、本当によかったのだろうか」

当時は人件費を削れなければ会社が続かないと思い、必死になっていた。従業員一人ひとりに家庭があることは考えないようにしていた。会社を守るため、そこで働く人間を切り捨てた。

「心の中の羅針盤が狂っていたのではないかと、いまはそう感じています」

以前は自分の仕事に直接関わるニュースしかチェックしなかったが、最近は新聞やインターネットでたくさんの話題に触れるようになった。非正規雇用の不安定さ、老後の心配。自分が安泰な場所にいるなかで、周りでは大変なことが起きていることを改めて知った。

こうした現状を考えるとき、どんな政党に政治を託せばよいのか。

大手電機メーカー時代はずっと自民党に投票してきた。さしたる理由はなかったが、経団連に加盟する大手企業の一員として、当然そうするものだと思っていた。今は違う。各党の政策を見比べたとき、最も格差をただしてくれそうだと思ったのが「れいわ新選組」だった。代表の山本氏は、国会で地道に生活保護受給者や外国人の権利を守るために闘う姿が印象的だった。

「体当たりで熱意をもって質問をぶつける政治家だと思いました」

参院選までに10万円近い寄付を行ったという。

中川さんと話して日本の企業社会の厳しさを改めて実感した。

リストラや退職勧奨は、「される側」だけでなく「する側」の心も壊す。中川さんはサラリーマン時代、自分の人間性にフタをして、会社のコマのひとつになりきっていたのだろう。「心の中の羅針盤が狂っていた」という告白は、深く心に残った。

「れいわ現象」の正体
牧内 昇平
1981年3月13日生まれ。朝日新聞記者。2006年東京大学教育学部卒業。同年に朝日新聞に入社。経済部記者として電機・IT業界、財務省の担当を経て、労働問題の取材チームに加わる。主な取材分野は、過労・パワハラ・働く者のメンタルヘルス(心の健康)問題。共著に『ルポ 税金地獄』(文春新書)がある。過労死問題については、遺族や企業に取材を重ね、過労自死をテーマにした「追い詰められて」などの特集記事を数多く執筆し、それらを元に2019年3月に『過労死』(ポプラ社)を上梓。過労死の凄まじい実態をあぶりだしたとして話題になる。

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