日本の風呂を変えた~愛されるロングセラーの秘密
秋田・仙北市の乳頭温泉郷「鶴の湯」。「日本一有名な秘湯」とも言われるこの温泉は、神経痛や婦人病に効くという。その土産品店で人気なのが、乳頭温泉をイメージした入浴剤。バスクリンが作っている。
一方、東京・墨田区の昔ながらの銭湯「薬師湯」。人気の秘密は100種類以上もある「日替わり湯」。中には「ナスの煮浸し風の湯」「ブイヤベース風の湯」と、まるで料理のメニューのようなものもある。この日はバスクリンの炭酸入浴剤「きき湯ファインヒート リセットナイト」。泡が出るのは炭酸ガスが含まれているため。温泉成分もたっぷり入っている。
一時は1日の客数が200人ほどまで減ったこの銭湯だが、こんな工夫をするようになってから、「(1日の客数が)50人以上は昔より増えました」(店主の長沼秀三さん)と盛り返してきた。
バスクリンは発売から90年も続くロングセラー。お風呂好きな日本人にとって、切っても切り離せない国民的商品。粉末タイプのバスクリンの売上高は約53億円。あのギネスが世界一売れている入浴剤と認めた。販売量1300万個は東京ドーム63杯分に達する。
現在、バスクリンのラインアップは126種類に及ぶ。売れ筋の「きき湯」シリーズは、腰痛、冷え、だるさなど、何に効くかを打ち出している。また「世界自然遺産」シリーズでは、屋久島や小笠原の果物や植物の香りが楽しめる。その日の気分に合わせて使い分けているファンも多い。
茨城・つくば市のバスクリンつくば研究所。その一室にはバスタブがズラリと並んでいる。ここではさまざまな実験が行われている。
この日は、新しい入浴剤の色決めをしていた。明るい森をイメージして作る。開発一筋28年の製品開発部・杉浦満は、色が商品の売れ行きを大きく左右するという。爽やかで、しかも温かみのある森をイメージさせるのはどれか。悩んだ末に選んだのは、実際の森より明るく、蛍光色が強いように見える緑だった。
「森だとどうしても寒色系の色になりがちですが、入浴剤は冬に使うお客様が多いので、明るい森で暖色になるように、黄色を少し強くして作りました」(杉浦)
色とともに入浴剤のポイントとなるのが香り。バスクリンには、調香師と呼ばれる香りのスペシャリストがいる。千を超える香料から数十種類を選び出し、それを混ぜ合わせて、リラックス、すっきりなど、気分を決める香りを作っていく。
調香師・荘司博行が特別な思いを込めて作ったのが「さくら満開」だ。
「受験生合格祈願を込めまして、日本で一番早く咲く桜はどこか調べたら、沖縄のカンヒザクラが日本で一番早く咲く。そこの香りを捕集・分析して再現しました」(荘司)
「日本の名湯」~各地の温泉と共同開発
色決めをしていた杉浦が白衣を脱いで、勤務時間中にお風呂に。入浴後には医務室のような部屋へ入っていった。入浴剤が体に及ぼした影響をさまざまな角度から計測するのだ。体温、血流、自律神経などのデータをとり、疲労回復の度合いやリラックス効果を数値で検証していく。
入浴剤を入れない風呂と比べると、入浴剤入りは出てから20分経っても体が熱を保っている。また、入浴剤の香りでリラックス効果が高まり、心地いい時に出る脳波が検出された。
こうした徹底した研究開発から生まれたのが「日本の名湯」シリーズ。1986年に発売し、家庭で手軽に温泉気分が味わえると大ヒット。現在、全国17カ所の人気温泉を商品化している。
長野・野沢温泉の開発例を2011年に取材した。
開発チームは3人1組で、温泉の泉質・効能を調べ、多い日には1日10カ所のお風呂に入る。野沢温泉は硫黄のにおいと白いお湯が特徴だ。試作品ができたら、温泉管理組合を訪ね、品質をチェックしてもらうのだが、「硫黄のにおいが野沢温泉の最大の特徴ですが、においがしないですね。こういう白は野沢温泉にはない」(当時の野沢組・河野勇治代表)と厳しいダメ出しも。この時は色もにおいも納得してもらえなかった。
バスクリンの「日本の名湯」には厳格な基準がある。それを示すのが「共同企画」というマークだ。バスクリンは、温泉地が正式に認めたものしか商品化していないのだ。
「日本の名湯」シリーズで、バスクリンと温泉地の関係も変わってきた。社長の古賀和則(65)が温泉関係者の集まりに顔を出すと、まるで仲間のように歓迎される。
「十勝川温泉はそれほどメジャーじゃないので、バスクリンの入浴剤として作っていただけるのは、非常に嬉しかった」(担当者)
初めはライバル視して共同企画を躊躇するところもあったが、今では、温泉地の方から声がかかることもあるという。
「(入浴剤を)使って本物に入ってもらう。その橋渡しをするということです」(古賀)
ロングセラーの危機~分社化の荒波
「バスクリン」のルーツは、1897年に津村順天堂が発売した「浴剤中将湯」。漢方薬の残りかすを風呂に入れたところ、体が温まることがわかり、商品化された。「浴剤中将湯」に香りを加えて1930年に発売されたのが「バスクリン」だ。
発売当初は銭湯向けの商品だったが、高度経済成長期、家風呂の普及とテレビCMによって一気に広まった。
しかし90年代になると、ライフスタイルの変化から風呂離れが起き始める。シャワーで済ませる人が増えてきたのだ。入浴剤市場が頭打ちになる一方、花王の「バブ」など他社との競合も激しくなり、ツムラの入浴剤事業は赤字に転落していった。
ついに2006年、ツムラは「バスクリン」を切り離すことになる。
入社以来、入浴剤事業一筋の古賀は、誰よりもバスクリンを知る男。そこで分社化プロジェクトを任されることになる。それは、入浴剤に携わる200人もの社員を新会社に移籍させる大仕事だった。
「ツムラに入った社員が新会社に行きたいかというと、基本的には行きたくないですよ」(古賀)
番組では、ツムラ時代から勤めるバスクリンの社員にアンケートを実施した。分社化の話を聞いた時、どう思ったかを尋ねてみると「不安でいっぱいだった」「頭が真っ白」「泥舟に乗る気持ち」「ツムラに残りたい」……そんな答えが記されていた。
「正直ショックというか、すごく不安を感じました。妻も『お父さん、どうなるの?』と」
同僚との別れが何よりつらかったという社員もいた。
「同僚と、隣の課の方から『大変だと思うけど応援するよ』と言ってもらいました」
動揺する社員に納得して新会社に移籍してもらうため、古賀は一人一人と面談し、話し合った。当時のことを、社員は「(古賀から)『分社して小さくなったことが自分たちの強みなんだ』と言われて、ああ、そうかと。そこを生かしていった方がいいんだな、と」「古賀社長と面接した時、すごく評価してくれて、握手してもらったのを今でも覚えています」と、振り返る。
2006年、入浴剤事業はツムラから分社化され、「ツムラ ライフサイエンス」として新しく船出した。
新会社の社長となった古賀は社員の心を一つにまとめるため、「入浴の基礎知識」という冊子を作った。そこにはツムラ時代から蓄積した、入浴剤と風呂に関する膨大なデータや知識が網羅されている。
例えば、湯船につかっている時間は10分以下の人が最も多く、およそ44%。何度のお湯につかるのがいいのかを目的別に分類したページには、「肉体疲労の回復や運動不足の解消には43度ぐらいの熱めのお湯」「美肌や睡眠のためにはぬるめがいい」などとある。 そこには、全社員が風呂と入浴剤のエキスパートになって欲しいとの思いが込められていた。
「人々の健康のために事業があるんだ、というところからスタートして、そのために入浴剤もありますね、と。そこが明確でないと、本当に思いを持って、自信を持って販売することに繋がらない」(古賀)
遠征にも入浴剤~羽生結弦選手らを支える
2010年にはツムラとの資本関係もなくなり、社名を「バスクリン」に変更した。
このとき武器にしたのが、健康志向の高まり。「きき湯」シリーズのラインアップを7種類に増やした。さらに「きき湯」をパワーアップさせた「きき湯ファインヒート」も発売。1本900円ほどと、一般的な入浴剤の倍以上するが、年間300万本も売れるヒット商品に。人気の秘密は、炭酸ガスの量を「きき湯」の4倍に増やしたことにある。
攻めの広告戦略にも打って出た。キャラクターにはフィギュアスケートの羽生結弦選手を起用する。羽生選手が大の入浴剤好きだと聞きつけ、出演をオファー。試合前日にぐっすりと眠れるため、今では欠かさず使っているという。
他にも多くの一流のスポーツ選手をサポートしている。その一人がスキージャンプのレジェンド、葛西紀明選手。「僕は冷え性というか、寒いのが大嫌いなので、こういう仕事してますけど(笑)。腰痛・冷え性にいいと書いてありますから、遠征とか合宿では使っています」と言う。
日本人初のワールドカップ個人総合優勝を果たした小林陵侑選手も、「実家ではあまり入浴剤を入れる習慣が無かったんですけど、一人暮らしを始めて、自分でお湯をためて(入浴剤を)入れるのが楽しいというか、入るのが楽しみ」だそうだ。
ツムラから独立したバスクリンだが、その4年後にはアース製薬に買収される。しかしアースにはバスクリンのライバル「バスロマン」があった。
これについて古賀は「営業マンにとってはライバル関係なので、その傘下に入るというのは、人情的には『えっ!?』でした。ですが、バスクリンの持つポテンシャルを買っていただいたと僕は思っている。営業の現場では今も競争は続いていますが、いい競争です。7年もたつので、お互いに進んでいけるような関係性は確立できています」と述べている。
荒波を乗り越えたバスクリンは業績も好調。日本の風呂文化を支えている。
オフィスにも~バスクリンの新戦略
岐阜・大垣市のデイケア・センター「ゆったりデイはすの湯小泉」では、ある画期的な取り組みをしている。それがお風呂。一人で入浴するのが困難な人も、介護士の力を借りて入ることができる。車いすで入浴できる特別な風呂もある。
そこにやって来たのは、「お風呂博士」と呼ばれるバスクリン製品開発部の石澤太市だ。バスクリンでは、こうした施設に、効果的な入浴法を教える活動を行っている。もちろん、入浴剤の効果的な使い方も伝授する。
一方、攻めの営業にも乗り出している。営業企画課の阿部貴之が入浴剤を持って向かったのは、大手メガネチェーン「JINS」の本社。訪ねたのは福利厚生の担当者。「オフィスきき湯」の営業だ。
「オフィスきき湯」は、企業に入浴剤をまとめて購入してもらい、福利厚生の一環として社員に提供してもらおうというもの。「日経デザイン」の調査によると、入浴剤を全く使わない人は4割以上もいた。市場の開拓余地は、まだまだある。
「初めてこの話を聞いて、率直に面白いと思いました」(「JINS」総務人事グループ・堀友和さん)
試しに置いてもらうと、社員の反応は上々。普段は意識しなくても、実際に商品を見ると、入れてお風呂に入りたくなるようだ。「座り仕事なので「肩こり・疲労」と、冬場は肌荒れが気になるので、2種類選んでみました」「一人暮らしなので お湯をためることが少ないんですけど、お湯をためてお風呂につかろうかなと思います」と、「きき湯」を手に取っていた。
~編集後記~
子どものころ、入浴剤といえばバスクリンしかなかった。お湯にきれいな色と香りが加わり、新鮮で、お風呂に入るのが、楽しくなった。
日本を代表するロングセラーだが、複雑な経緯も持つ。長い間、ツムラと一体だったが、まず分社化され、ファンドが入り、結局、大手製薬会社に買収された。後発競合とのシェア争いもあった。それでもバスクリンは、生き残った。
「きき湯」をヒットさせ、ツムラ時代からの自然・健康志向はいまだ脈々と息づいている。バスクリン、記憶に刷り込まれたその名の響きは、気持ちまで温かくさせる。
<出演者略歴>
古賀和則(こが・かずのり)1954年、広島県生まれ。1977年、創価大学卒業。1979年、津村順天堂(後のツムラ)入社。2006年、ツムラ ライフサイエンス社長就任。2010年、株式会社バスクリンに社名変更。
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