(本記事は、生島 あゆみ氏の著書『一流と日本庭園』CCCメディアハウスの中から一部を抜粋・編集しています)

紅葉
(画像=PIXTA)

稲盛和夫と和輪庵

稲盛和夫(1932年〜)
和輪庵(わりんあん)【京都】

稲盛が創設した京都賞の受賞者が、招かれる庭として話題の和輪庵。
経済界を牽引する稲盛和夫の世界観が集約され、京セラ迎賓館としての役割を担う。

稲盛和夫と京セラ

1932年、鹿児島生まれの稲盛和夫は、大学進学時、医学部を断念し工学部に入ります。就職先がなかなか見つかりませんでしたが、1955年に京都の松風(しょうふう)工業に入社します。研究に没頭した結果、セラミック部品を開発します。

1959年に独立して、社員28人という少人数で京セラの前身、京都セラミックを立ち上げます。ファインセラミックの技術を核としてビジネスを広げるための新会社設立でした。松下電子工業向けアナログテレビブラウン管用セラミック絶縁部品、U字ケルシマというフォルステライト管に粉末ガラスを詰め溶融した部品の量産化に成功します。どこにもないセラミック部品を作りだそうと、創意工夫で、日々新しい研究開発を続けていきました。

当時、日本では、資本金を持たないベンチャー企業は、いくら製品の質が良くても、大企業に相手にしてもらえないというジレンマがありました。ですから、稲盛はアメリカに進出して大手の会社に自社製品を売り込みに行き、それが大きな転機となりました。

やがて、IBM社から、コンピューターの基板になるセラミック(アルミナ・サブストレート基板)を2500万個作れるかと問われ、昼夜を問わない努力の末に、納品。そのことが売上を伸ばすのみならず、国内の大手企業にも信用を得て、会社が大きく発展するきっかけとなりました。

1960年代には、米国最大手半導体メーカーから、高密度積層ICパッケージ(マルチレイヤーパッケージ)の発注を受け、苦労の末、製品を納入することができました。不可能を可能にしたのです。その後、全世界の半導体メーカーから注文が寄せられるようになりました。製品名で有名にならなくても、あらゆる製品の部品として京セラが使われている、これを独自の経営戦略として打ち立てていきます。

1984年、日本の電気通信事業が自由化され、新規参入として、手持ちの資金1500億円のうち1000億円を持ち出し、NTTに対抗する新たな会社DDI(第二電電/現KDDI)を立ち上げました。国民により安い通信料金をという、使命感からの新規参入でした。これは、稲盛自身、大きな決断だったと語っています。

2010年には、倒産したJALを救って欲しいと政府に頼まれて、無報酬で再建に取り掛かります。現場に足繁く通い、意見を聞きました。そして、売上最大、経費最小などを従業員に徹底させ、一方で働きがいのある職場に変え意識を高め、わずか2年で再建しました。「謙虚にして驕(おご)らず、さらに努力を」をモットーに、親方日の丸的な考え方を取り除き、意気消沈した社員を勇気づけ会社を立て直しました。

京セラ本社の展示室を見学したときに、10年以上赤字が続いてもなお太陽電池パネルの開発を行った過程を見ました。枯渇する資源エネルギー問題や地球環境問題の解決に寄与するというのが、稲盛の願いだったそうです。砂漠を移動する医師がラクダに乗り、小さな太陽電池パネルをかざしている写真が印象的でした。太陽電池でワクチンを冷やしていたのです。

日本株,見通し
(画像=PIXTA)

稲盛和夫フィロソフィ

京セラフィロソフィは、「人間として何が正しいのか」、「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いに真面目に向き合い、京セラを今日まで発展させた経営哲学です。稲盛が、「京セラを経営していく中で、私は様々な困難に遭遇し苦しみながらもこれらを乗り越えてきました。その時々に、仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが京セラフィロソフィです」と、公式サイトで説明しています。

『京セラフィロソフィ』(稲盛和夫著)は、あまりにも有名ですね。同書の中で、私が最も興味を持ったのは「京セラフィロソフィ」のほかに、「六波羅蜜」について語っている箇所です。「六波羅蜜」とは、「彼岸に至る」までの6つの修行のことです。御釈迦様は、人生の究極の目的は、悟りを開くということであり、その悟りの境地が、彼岸に至ることだと説かれました。


―悟りを開けば安心立命の境地に至り、そこが極楽浄土というわけです。その極楽浄土に渡る方法として、御釈迦様は『六波羅蜜(ろくはらみつ)』という修行をせよと説いておられます。

「布施」人を助ける行為、「持戒」戒律を守ること、「精進」一生懸命働くこと、「忍辱(にんにく)」耐え忍ぶこと、「禅定(ぜんじょう)」座禅を組む(心を静める)、その修行の最後に「智慧」に至るそうです。森羅万象を支配する宇宙の根本原理を知る、つまり悟りに至るわけです。この六波羅蜜を心がけ、一生をかけて人格を磨いていくことが大事だそうです。

なかでも「精進」努力を惜しまず一生懸命働くことが、基本的で重要です。「ものを成し遂げる」というのは、楽な方向ではなく、誠心誠意の努力、苦労を厭わないことが大切なのだそうです。

『京セラフィロソフィ』の中でも独特で、庭のテーマともなっている「利他主義」を紹介したいと思います。


―私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。―

リーダーの資質

稲盛和夫は経営者の勉強会「盛和塾」の塾長を務め、たくさんの経営者に支持されています。中国でも稲盛和夫は大変人気で、勉強会の盛和塾では、3000〜4000人の人々が集まるそうです。

稲盛は、中国の経営者には、金持ちになりたいという欲望が原動力の利益追求型のきつい人間性の経営者が多いが、それだけではダメで、利他の心が大切だと説いています。多くの参加者が、稲盛に賛同していました。利他の心があると、会社は強くなり安定すると語っているのが印象的でした。

稲盛和夫は、人生を三期に分けて考えて、60歳頃からの第三期を、死ぬための準備期間として考えているそうです。その準備の一つが得度です。65歳で圓福寺で得度しましたが、その直前には、胃にガンが見つかって手術をしたそうです。

厳しく辛い托鉢の修行もしていたというのは驚きです。仏教的な思想では、魂は輪廻転生で、良きことを思い行うことで、魂を磨きあげるのが意義のある人生だそうです。

稲盛和夫と京都賞

稲盛は、日本初の国際賞である「京都賞」を始めました。きっかけは、かつて、セラミックで素晴らしい研究開発をしていたときに、東京理科大学の教授が自身のポケットマネーで、技術開発に懸賞金を与えていたことでした。事業も成功しお金もある自分が、今度は賞を与える側に立つべきではないかという心の声が聞こえたそうです。「差し上げるならば、ノーベル賞に次ぐ立派な賞を」と、私財の200億円をつぎ込んで、京都賞を作りました。これは、人類の科学や文化の発展に貢献した者を表彰する目的で、1984年に立ち上げられました。

毎年、「先端技術部門」、「基礎科学部門」、「思想・芸術部門」の各部門に一賞、計三賞が贈られます。受賞者には、京都賞メダルと賞金一億円が与えられます。京都賞は、稲盛財団によって運営されています。

2016年に、京都賞の基礎科学部門で受賞した京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)氏が、2018年、ノーベル賞の生理学・医学賞を受賞しました。京都賞がノーベル賞の前哨戦と言われる所以です。2012年に、IPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥氏も2010年に京都賞を受賞しています。

また、稲盛財団の寄付により、2008年に米国ケースウエスタンリザーブ大学「倫理と叡智のための稲盛国際センター」が設立されました。ここでは、模範的な倫理のリーダーシップを実践し人類社会に多大な貢献をした個人を讃えて、稲盛倫理賞が授与されます。

実は、この賞は稲盛の肝いりだったそうですが、倫理という抽象的なことが日本では賛同を得られず、アメリカの大学がこの趣旨に賛同して制定を迎えたそうです。

こちらも、2014年にこの稲盛倫理賞を受けたデニス・ムクウェゲ氏が、2018年のノーベル平和賞を受賞しました。ムクウェゲ氏は、戦争に端を発する性的暴行被害者を救済するとともに、女性の人権擁護のために献身的な活動を続けているという功績が、ノーベル賞でも稲盛倫理賞でも受賞理由となりました。

ちなみに、この機関は、世界中に倫理的なリーダーシップを育てることを目的に、教育・研究活動を続けています。社会、さらには世界に貢献する人々に寄り添う京都賞および稲盛倫理賞は、京セラフィロソフィ「利他の心」が国境を超えて、世界貢献に広がっている証だと思います。

和輪庵

和輪庵(旧蒲原達弥邸)は、京都・南禅寺界隈の別荘庭園群のなかでも、名高い名園の一つです。


―和輪庵にほど近い明治23年(1890)に竣工した琵琶湖疏水分線に沿っての散策路は、現在『哲学の道』と称され多くの京都市民や観光客に親しまれている場所でもあります。蒲原はこの地に建物から西面の真如堂や金戒光明寺の借景を取り入れた庭園を造営しました。作庭は七代目小川治兵衛。南禅寺界隈別荘庭園群の多くが琵琶湖疏水の水を利用しているのと同様に、和輪庵の池の水も琵琶湖疏水分線から直接導水されています。この庭園はアカマツ、クロマツ、モミジを中心とした植栽に囲まれた池泉式回遊式庭園です。(『植彌加藤造園株式会社ホームページ』より)―

七代目小川治兵衛については、次の無鄰菴(むりんあん)で詳しく述べますが、和輪庵も小川治兵衛によって作庭されました。東山界隈は普通、西側に居を構えて、東山を借景にする形が多いのですが、和輪庵は、敷地の東側に建てられた西向きの建物から、西側の真如堂や金戒光明寺の丘を望めるようになっています。つまり、真如堂や金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の文殊堂が、借景として望めるのです。

1980年に京都セラミック(現京セラ)の所有となり、今は京セラの迎賓館として、特別な客を迎える場所となっています。

私は、和輪庵にて京セラのジュエリー展が開催されていた期間に、庭を観る機会を得ました。池泉式なので、庭の真ん中に池が広がり、舟も繰り出せるようになっていますが、意外に池がこぢんまりしているなというのが実感でした。池は、東側に建つ洋館から、北側の和の建物へと繋がっていました。池の手前の芝生地に立つと、美しい景色がまるで絵のようでした。紅葉のときで、モミジと松のコントラストが美しかったです。植栽中心の庭なので、控えめに燈籠や橋が配置されていました。

庭は一周できるので、巡るうちに東山が借景となります。残念ながら、樹々が高く茂り庭からは、永観堂や金戒光明寺を見ることはできませんでしたが、洋館の二階からは、庭越しに借景が望めるのではないでしょうか。

世界貢献のために京都賞を立ち上げ、その受賞者を迎えるために、和輪庵は京セラ迎賓館として、おもてなしの場所となりました。海外から訪れた受賞者は、紅葉の美しい庭の景色に目を奪われることでしょう。利他の心に立つ稲盛は、この庭園の素晴らしさをおもてなしの場所として最大限に活用しているのだと思います。

一流と日本庭園
生島 あゆみ
大阪府出身、甲南大学経営学部卒業後、カナダ・フランス・ドイツに語学と花を学ぶために留学。現在、旅行会社「日本の窓」に勤務し、英・仏の通訳及び通訳案内士の仕事に携わる。日本の文化・歴史(特に庭園と食、香り)を紹介するため、日本庭園デザイナー、フードコーディネーター、嵯峨御流師範の資格を持つ。有名シェフのアテンドや、クラシック音楽関連のテレビ番組でのインタビューも担当。ライフワークとして、フランス風花束レッスンを京都で開催。カンヌ国際映画祭の会場の花装飾にも協力、参加した経験がある。ヨーロッパ(特にフランス)と日本の文化の架け橋となるべく、独自の“おもてなし文化論”を体系化し、講習会やオリジナルツアーを企画・開催中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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