救急の現場でも大活躍~命をつなぐ夢の翻訳機
東京・新宿区の東京女子医科大学病院に、患者が続々と運び込まれてくる。最近、増えているのが外国人の患者。搬送されたネパール人の男性は青信号を自転車で渡っていて車にはねられたと言う。日本語も英語も分からない様子だ。
すると、武田宗和医師が取り出したのがポケトーク。「この機械を使って通訳します」「痛いところを指さしてください」という日本語機を、ネパール語に翻訳した。
男性は腰の骨が折れていたが、内臓などは異常なし。翻訳機のおかげで、より早く的確な検査と治療ができると言う。
「医療用語も含めて通訳してもらっています。なじみのない言語には有用だと思います。ネパール語や中国語は全く分からないので」(武田さん)
助かっているのは医師だけじゃない。やってきたのは2歳の女の子がカミソリで指を切ってしまったというミャンマー人の一家。異国の病院で不安が募る。吉川領亮医師がポケトークを使って「縫合する必要があります」と伝えると、父親は「縫うのは痛いですか?」。
吉川医師が「局所麻酔で指に麻酔をします」と言うと、ホッとした表情になった。
救急の現場ではいま、翻訳機が欠かせないものとなっている。
明石家さんまのCMでおなじみのポケトーク(「ポケトークW」は1万9800円/税別)。使い方はスマホより簡単だ。まず左のボタンを押しながら日本語を喋ると指定の外国語に。相手が話している間は右のボタンを押し続けると、それが日本語となる。英語や中国語など55の言語を音声と文字で翻訳。希少な19言語も文字で翻訳してくれる。
その仕組みは、音声をネットに上げ、まず日本語の文字にする。それをAIが指定された言語に翻訳。そして音声にする。この一連を一瞬でやっているのだ。
小さな機械には驚きの性能も。電車の音やアナウンスなど、駅では大きな音が絶えないが、ポケトークは高性能マイクを搭載していて、騒音の中でもちゃんと声を拾って翻訳。小田急電鉄は94台を導入した。
「決して静かな場所ではないですが、しっかり音声を聞き取ってくれて、翻訳機のイメージが大きく変わりました」(小田急電鉄旅客営業部・手塚友希子さん)
百貨店の西武渋谷店ではインバウンド対応でポケトークを導入。日本語が通じない国の客にも、しっかり伝えられる。今やポケトークは3000以上の企業で導入された。
中高年が使いたくなる~簡単&便利で人気沸騰
ポケトークは家電量販店でも売られている。生みの親、ソースネクスト社長の松田憲幸(54)は自らその売り場に足を運ぶ。客との会話を大事にするのは、そこに重要なヒントがあるからだと言う。
「オフィスで得る情報は単純に数字です。どういう方が買っているのかまでは分からない。肌で感じるためには現場を見なければならない。『今はこのぐらいの年配の方でもここまで知っている』『この年齢ならここまでは知らない』というのも重要な情報です」(松田)
ポケトーク発売後、似たような翻訳機は多数生まれたが、ポケトークのシェアは9割以上。累計販売数は60万台を超えた。
実は、真っ先に飛びついたのは日本人の中高年だ。大学生の娘とパリ旅行に出かける岡部さんだが、フランス語は話せない。出発前に立ち寄った東京・羽田空港のカウンターでポケトークをレンタル(グローバルWiFi、レンタル料1日880円)。タクシーの運転手、ホテルのスタッフ、ショップの従業員……最初は恐る恐るだったが、すぐに慣れ、旅の間、積極的に会話を楽しんだ。
東京・港区の超高層オフィスビルに本社があるソースネクスト。松田が24年前に創業し、ポケトークの大ヒットもあり売り上げは147億円に。もともとはパソコンソフトを販売してきた会社で、「筆まめ」や「宛名職人」と言った年賀状ソフトや、印象的なCMでブレイクしたタイピングの練習ソフト「特打」など、数々のヒット商品を手がけてきた。
2019年11月、100人近い報道陣の前で発表されたのが新型の「ポケトークS」(2万9800円/税別)。従来のものより一回り小さい名刺サイズだが、画面自体は大きく、見やすくなった。一番の違いがカメラを搭載したこと。だから外国で読めないメニューに遭遇しても、撮影すれば翻訳してくれる。さらに発音も教えてくれるので、料理の注文もできる。
画期的商品を生んだキーワードは「挑戦しないのは損」だ。
「考えるよりも、挑戦して失敗したほうが学びになる。絶対、挑戦しないほうが損です」(松田)
「言葉の壁をなくしたい」~ポケトークが生まれるまで
松田本人は流暢に英語を操ることができる。しかし、ポケトークの開発は本人の苦い経験から始まった。
松田はコンピューターに興味があり、大学を卒業後、日本IBMに就職、システムエンジニアとなった。やがて自分の名前で勝負する仕事がしたくなりIBMを退社。31歳でソースネクストを立ち上げる。最初は海外のパソコンソフトを日本版にして販売し、稼いでいた。
だが、ある交渉でアメリカを訪れた時のこと。本交渉に入る前に、相手から何か話しかけられた。しかし、スピードが速すぎてその瞬間、何を言われたか分からなかった。
「これはかなりヤバかった。次からミーティングに出なくなる人もいました。たぶん『あいつとは話したくない、面倒くさい』みたいな」(松田)
「言葉の壁」を取り払いたい。2001年、松田は翻訳機を開発すべく、社内に「夢の翻訳機」プロジェクトを立ち上げる。しかし、開発は思うように進まない。当時の技術では精度の高い翻訳を行う機械を作ることができず、プロジクトは立ち消えになった。
「もう全てが難しかったですね。声を文字にするだけでも大変な時代でしたから。やろうとしたこと自体、無謀だったと思います」(松田)
翻訳機プロジェクトの一方でパソコンソフト事業は好調。ソースネクストは2008年、東証1部上場を果たす。ところがそのわずか数カ月後、松田の会社は28億円もの赤字を抱えることになる。大きな危機だった。
「2008年にリーマンショックがあり、私も数々の失敗をしました、スマートフォンに変わっていく時に、我々はPCソフトの会社なので、売り上げが大きく下がったことも重なり、2010年、11年ぐらいまでは非常に厳しい時期でした」(松田)
赤字28億円からの大逆転~シリコンバレーの仕事の流儀
2012年、松田は動く。サンフランシスコから車で1時間ほどの住宅街に松田の姿があった。世界で通用する製品を作るべく、移住したのだ。
世界的IT企業が本拠地を置く通称シリコンバレー。アップルやグーグルなど、時価総額で世界トップクラスの本社が集まっている。自宅からすぐの散歩コースには、アップルの故スティーブ・ジョブズやフェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグ、グーグルを創立したラリー・ペイジの自宅がある。
シリコンバレーに住んでみて、雲の上にいた経営者たちの印象も変わったという。
「もちろん超天才ですごい人だと思いますが、普通に暮らしている。日本では『すごい人でないと成功しない』と思われている気がしますが、そうとも限らないという視点が大きな発見だったと思います」(松田)
自分にも世界に通用する物が作れるのではないか。シリコンバレーはそんな気持ちにさせてくれる街なのだ。
ここで、松田は最先端企業の人達と積極的に交流し、人脈を作る。シリコンバレーの人脈を使い、新しい技術を持つ会社とのタッグを実現。翻訳機を作るためのキー・テクノロジーを手に入れた。そして2017年12月、松田は長年の夢だった翻訳機を世に出した。
「シリコンバレーに住んでなかったら絶対無理でした。人とのつながりが一番。人とつながらなければビジネスはできません」(松田)
そんな街の中心部にシリコンバレーの住民が一目置く店がある。ハードウエアショップ「ベータ」。そこに並んでいるのは、シリコンバレー生まれの最先端技術が詰まった優れ物だ。その中にはポケトークもあり、売り上げ1、2を争う人気商品だという。
店でポケトークを手に取っていた少年は、母親がドイツ人でドイツ語が話せるという。
「持った感じもいい。グーグル翻訳は「まあOK」というレベルだけど、これはとてもクール。僕の意見だけど」
社員次第で会社は変わる~世にない製品を生み出す秘訣
1年の3分の2を海外で過ごす松田。日本にいる時は意識的に社員と雑談をする。さらに社員と社長がつながる仕組みも作った。日々の業務報告、日報。そこにアイデアを書き足すのをルールとした。
松田は世界のどこにいても社員140人のアイデアに目を通し、必ず24時間以内に返信している。
「あまり良くないアイデアも出すのですが、それを拾ってくれるから、毎日みんな出せる」(デザイナー・生駒知也)
アイデア以前のヒントでもOK、こうしたアイデアから新たなビジネスも生まれた。営業担当の近藤祐子は、ポケトークにデザイン画を入れるサービスを提案した。この提案は採用され、名前やデザイン画を入れた自分らしいポケトークが作れるようになった(プリントサービス/1320円)。
「自分もどんどんチャレンジできるのが面白いですね」(近藤)
みんなでアイデアを出し合うことで、ソースネクストはまた、世の中になかった物を作ろうとしている。
~編集後記~
シリコンバレーに住んで、松田さんは何を学んだのか。大きかったのは「ラリー・ペイジもザッカーバーグも普通の人だった」ということではないか。時価総額数十兆円の会社を立ち上げたのは「普通の人」、それを実感すると「彼らは特別だ、自分には無理だ」という弁解や慰めが効かない。
無類の勉強家が、改めて無謀な挑戦に目覚め、ポケトークが誕生した。アメリカのネットビジネスモデルを踏襲するのではなく、ソースネクストは製品を開発した。そしてわたしは、ポケトークの音声を耳にして、AIの可能性を初めて実感した。
<出演者略歴>
松田憲幸(まつだ・のりゆき)1965年、兵庫県生まれ。1989年、大阪府立大学工学部卒業後、日本IBM入社。1996年、ソース(現ソースネクスト)創業。
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