(本記事は、山田 敏弘氏の著書『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)
迂闊な善意が悲劇を招くことも
数年前のことだが、日本のある公安関係施設の前で望遠カメラを構えた怪しい人物が発見された。
この人物は中国人で、出入りする人たちの顔写真を撮影していたという。そのあからさまな行動から、写真を撮ることが目的ではなく、挑発行為の類だったと公安関係者は言う。
「しかも」と、この関係者は続けた。
「最近、日本人がスパイ行為をしたとして何人も中国で拘束されている。それに関連しているのではないかと見られている。要は『拘束してみろ』という挑発行為ですね」
CIAの協力者たちが中国で次々と拘束され、処刑されているという話は、後ほど詳述する。そうした状況に発展しかねないリスクが、日本人にも起きているのである。
2015年以降、表面化しているだけで、14人の日本人が中国でスパイ容疑などの嫌疑をかけられて拘束され、そのうち、9人は起訴されている。
公安関係者は、拘束されている日本人たちの中には公安とつながりのある人物が少なからずいると認める。
つい先日も、日本人の拘束が明らかになったばかりだ。この直近のケースでは、2019年9月に学術目的で中国を訪問していた北海道大学の教授が、滞在先の北京市内のホテルで身柄を取られている。この件については、天皇陛下の「即位の礼」のために来日した中国の王岐山・国家副主席と会談をした安倍晋三首相が、日本人拘束事案などへの対応を求めたとして、日本でも大きなニュースになった。
結局、この教授は国家安全当局によって反スパイ法違反などの疑いで拘束されていたことが判明。11月15日には釈放され、帰国した。教授と日本の公安などとのつながりは不明だが、日本への見せしめとしては十分に不気味な出来事だったと言えよう。
また教授の釈放後、今度は中国の湖南省・長沙で、国家安全当局が50代の日本人男性を7月から拘束していると報じられたが、拘束の理由はいまだ不明である。
筆者は海外メディアに勤めていた経験と、外国人に知り合いが多いためか、取材で知り合った日本の情報機関・情報産業関係者から、こんなことを頼まれることがある。元同僚や外国人の知り合いに「ある国」へ訪問する人がいれば、その情報を聞けないかと、遠回しに打診されるのである。写真もあれば嬉しいと。仮に筆者が、深く考えずに、「ある国」の知り合いに情報や写真をお願いし、その知り合いが「ある国」で写真を撮影して拘束され、それまでの電子メールやメッセージなどのコミュニケーションをつぶさに調べられたら、どうなるのか。そこに筆者から情報提供を依頼するやりとりが発見されたら?国によっては「スパイ」として拘束されてしまうだろう。その結果、死刑になる可能性だってある。スパイ行為とは非常に重い罪なのだ。
知り合いからそういうかたちで何気なく協力を持ちかけられれば、インテリジェンスについて「リテラシー」が低い日本人なら「ああ、いいですよ」と協力してしまいかねない。そんなケースは十分に考えられる。
もちろん、現在中国で拘束されている日本人たちが、こんな「とばっちり」のケースに当てはまるかどうかはわからない。むしろ、能動的に公安当局に協力していた可能性は否定できない。
こうした状況について、MI6の元スパイにコメントを求めるとこう答えた。
「拘束していた人たちの正体はわからないが、日本の情報機関とつながりがあったのなら致し方ない。その形跡を中国人スパイがすでに突き止めていて、拘束できるチャンスをうかがっていたのではないか。ただ、日本がきちんと対外情報機関を持っていて、外国で活動する人をサポートしたりリスクヘッジをできる態勢にあり、法的な対処策などが存在していれば、拘束を避けられたケースもあったのではないか」
これには同意せざるを得ない。すでに述べたが、日本にはきちんと組織として機能する対外情報機関はない。対外情報活動について、活動規定や安全対策なども存在しないと言える。守る手立てがないのに、どれほどのリスクがあるかを知りながら、日本の情報当局が日本国民に、海外に赴く際に何らかの協力を求めていたとしたら、あまりにも酷い。
「なぜ日本にはきちんとした諜報機関がないんですか!」
「日本政府は国外でちゃんと情報収集しているのですか!?」
最近、メディアで情報関係の記事を書いたり、それについて話したりすると、多くの人がこんな反応を示す。
縦割りでドメスティック
世界各国では、国民の生命と財産を外部からの脅威から守るために、多額の予算と人員を投入してインテリジェンス活動が行われている。
では日本の情報活動はどう行われているのか。国内に目を向けると、一応は、いくつもの機関が情報活動をしていることがわかる。
MI6やCIAのカウンターパートとされるのは、内閣情報調査室だ。「内調」と呼ばれるこの組織は、1952年に「内閣総理大臣官房調査室」として総理大臣官邸に発足してから内閣を直接支える情報機関として活動してきた。つまり、内閣の重要政策に関わる情報を収集・分析・調査するのが主な役割で、そのトップである内閣情報官が首相などに機密情報を伝達する。組織としては、国内部門や国際部門、経済部門、総務部門、さらに内閣情報集約センターや内閣衛星情報センターがあり、警察や省庁からの出向を含めて、400人ほどが勤務している。対外情報は政務調査官などが収集を行っている。
とはいえ、基本的にはMI6やCIAのような、本格的な国外での諜報活動や工作はしていない。繰り返しになるが、首相をトップとしたその時々の内閣の求める情報を集めることが主な仕事となる。
内調以外では、警察庁の公安警察や、法務省の外局である公安調査庁、防衛省の情報本部などがある。ただこうした日本の情報機関は、基本的に国内で起こり得るリスクに対処するために情報を収集することが仕事だ。もちろん、外務省も国際情報統括官組織で国外情報を拾っているし、公安警察なども国外情報を集めている。外事課などから国外に送られて少人数で活動をしている公安警察官たちもいるが、本格的な情報活動をできるような体制ではない。
しかも、日本でおなじみの組織の縦割り(セクショナリズム)のおかげで、こうした情報機関同士の横のつながりはあまりない。それでは不測の事態、突発的有事に対応などできないため、情報を集約するための組織改編も議論されてきた。2013年には国家安全保障会議(日本版NSC)が発足し、翌年には、内閣官房にNSCを補佐する事務局である国家安全保障局(NSS)が設置され、集約された情報を取りまとめ、分析する役割を担うようになった。今では、外交・安保政策の中核を担うNSSには外務省や防衛省、警察庁などから出向した80人ほどが所属している。2014年には特定秘密保護法が施行されて、情報の保全をこの法律で可能にしている。だが、たとえNSCや秘密保護法ができたからといって対外情報を収集する能力が上がるわけではない。
とにかく、日本の情報機関はかなりドメスティックな体制であることが見えてくる。ここまで繰り返し述べてきたが、どう考えても、日本も他の国と同じように、国外からの脅威に直面してきているし、今の体制では「ボーダレス化」という言葉が陳腐に聞こえるほどグローバル化が進んだこの世界では、国民の安全を十分に守れない。日本にも「対外情報庁」のような組織はやはり必要なのである。
テロに無力な日本の情報機関
たとえば国外で、日本人にどんな危険が存在しているのか。日本人にとって苦い思い出ではあるが、少し振り返ってみたい。
2013年、アルジェリアの南東部イナメナスで、天然ガス関連施設を狙った人質事件が起きた。日本企業「日揮」の従業員ら10人を含む少なくとも38人が犠牲になったこの事件は、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織(AQIM)」の元幹部だったモフタール・ベルモフタール司令官率いる武装勢力「イスラム聖戦士血盟団」の犯行だったことがわかっている。
日本人が人質になったことで、日本政府も情報収集などに奔走し、警察庁の「国際テロリズム緊急展開班」を現地に送るなどの対策も取った。だが結果的には、現地でもまともに情報を集められない状態だった。そこでアルジェリア入りしていた同盟国であるアメリカやイギリスの諜報機関にも協力を求めたようだが、「たいした情報をもらえなかった」と当時、政府関係者が嘆いていた。
それもそうだ。MI6やCIAなどはそれぞれ、犯行グループについても、事件前から調査しており、事件発生時にはすでにある程度の情報は把握していた。すぐに動ける基本的なインテリジェンスは持っていたのだ。そうした機密情報を、日本の大使館関係者や在外公館にいる自衛官、または警察関係者にやすやすと知らせるはずがない。
理由は簡単で、彼らがふだんから命をかけて集めているインテリジェンスは「機密」だからだ。個人の裁量で諸外国の諜報員と関係をふだんから築いて多少の情報をもらえるということはあるかもしれないが、それでも、自国の利害のかかった作戦に邪魔になりかねないプレーヤーをゲームに参加させることはない。
日本人が危機に晒された事件は他にもある。2015年にはシリアで邦人2人が人質になり殺害され、同年にチュニジアでも邦人3人が犠牲になるテロ事件が起きている。古くは1996〜97年のペルー日本大使公邸での人質事件なども象徴的な事件である。対外情報機関を持たない日本はこうしたケースで、独自に何ができるというのだろうか。
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