(本記事は、山田 敏弘氏の著書『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)

中国,協議再開要請
(画像=(画像=Triff/Shutterstock.com))

中朝韓への諜報活動

喫緊の問題が日本との間にはないからと言って、MI6が日本について情報収集をしないわけではない。この元スパイがいたころは「香港を拠点にしているスタッフも、中国の政府関係者らや、東京の政府関係者などの会話も傍受していた」という。

中国やロシア、北朝鮮と韓国など東アジアとその周辺は、世界情勢に影響を及ぼしかねない地域でもある。そんなことから、MI6も日本を含むこの地域で強い関心を持って情報収集をしている。

「日本に住んでいるエージェントに、周辺国でフィールドワークをするよう指示が下ることもある。たとえば中国に行って情報を集めろ、と。

そこでいくつか活動をさせる。近くに住んでいたり、手が空いている諜報員を行かせるケースは多い。日本はアメリカの支配がかなり強いので、そもそもエージェントなどの数は少ないが、それでも周辺情報は探っている」

最近では日韓関係の悪化が話題になっているが、実はそういう地政学的に大きな動きがある場合にも、MI6は情報収集を強化する。東アジアにおいては、北朝鮮という世界を揺さぶる可能性がある国を中心に、隣の韓国国内の動向も注視している。

反日傾向が強まる中でスパイ活動が活発に

この元スパイによれば、最近、韓国国内の新たな動きを摑んでいるという。それは「反日行動の変化」だ。

最近の日本と韓国の間で起きた問題を振り返ると、もともとは2018年10月に徴用工訴訟の賠償問題が起き、11月に一方的に文在寅政権が慰安婦問題日韓合意を事実上無効化。12月には韓国軍が海上自衛隊のP-1戒機に対して火器管制レーダーを照射した。2019年に日本が韓国に対する輸出規制を強化すると、韓国も応戦し、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄すると発表するに至った。韓国は結果的にアメリカのプレッシャーによってGSOMIAの破棄を撤回した。こうした一連の流れの結果、日韓関係は戦後最悪と言われる状態に陥っている。

MI6は、今回の両国関係悪化では、韓国内にいる大手企業の幹部らが、反日デモに参加していることを把握しているという。しかもその様子を写真にも押さえており「ビジネスは別の話」というこれまでの日韓経済における大人な対応を踏み超えるところまで来ていると分析している。それが北朝鮮の非核化交渉にネガティブな影響を与える可能性もあるとにらんでいるのだ。

MI6はさらに、韓国が日本の軍事産業などにかかわる民間企業などに、サイバー攻撃を仕掛けていることもわかっているという。

諜報機関員というのは、退任後も元同僚と情報交換などを続ける人が少なくない。筆者はMI6やCIAでも、退職後も定期的に情報網と連絡をしている人たちを知っている。そういう情報を、退任後の仕事などに生かしていくこともあるし、外部から間接的にかつて所属した組織を支えることもある。

MI6の元スパイのもとにも、日韓関係については、MI6から最新情報がもたらされていた。

「最近は、日本にいる在日韓国人が、韓国にいろいろな情報をまるでスパイのように送っていることを把握している。以前も多少はあったが、今のようなレベルではなかったと分析されており、最近、日韓関係の悪化にともなって、そうしたスパイのような行為が増えているようだ。韓国側が日本の政治関係者や要人などが利用する『飲食店』もターゲットにしており、店の関係者から情報を吸い上げたり、サイバー攻撃によりハッキングなどを行って情報を収集したりしている。何十年と暮らしている在日韓国人が、飲み屋などで仕入れた政治家や高官などの話を熱心に送っているケースもあるようだ」

また、筆者が別の取材で耳にした、韓国の軍事関係者らによる日本の軍事関連産業へのサイバー攻撃についても、この人物は承知していた。

「レーダー照射の事件後、日本の軍事関連の大手企業にはサイバー攻撃がとくに増えている。私たちは、その中に、韓国からの攻撃も含まれていることを把握している」

あふれる中国の民間スパイ

東アジアの情勢を語る上では、中国を忘れてはいけない。MI6元スパイによれば、中国についてもこんな情報があるという。

「中国は、旧正月には毎年、年に一度のスパイキャンペーンを行う。旧正月が近くなると、中国の当局者や政府につながっている人たちが、日本など国外に暮らす中国人ビジネスパーソンなどに『帰国の手助けをします』と接触する。旅費を援助するなどと誘惑し、それで国に帰国させたら慎重に情報機関に協力するよう話を持ちかける。国外でのビジネスもうまくいくようにしてやるから、と金銭的にも協力する。しかも悪びれることもなく、大々的にやっている」

そのうえで、MI6が把握したこんなケースについて話をしてくれた。イギリスのグラスゴーのヌードルショップを経営していた女性が、実は中国の情報機関の協力者で、グラスゴー周辺で得た情報などを本土に送っていたことが判明した。そういうスパイが世界各地に存在しており、日本にも各地にいるのだという。

このケースのように中国にはおそらく世界でも稀な公共の「スパイ」が多いと、このMI6元スパイは指摘する。どういうことかというと、タクシードライバーとかショップ経営者を装いながら情報を本土に送っているのである。スパイ機関に属すことなく、情報活動をしているらしい。

世界最古の諜報機関

イギリス
(画像=(画像=PHOTOCREO Michal Bednarek/Shutterstock.com))

MI6による日本での活動は歴史的にも記録に残されている。

そもそも、MI6が設立されたのは1909年。世界で最も古い諜報機関は、ドイツ帝国の台頭という脅威から生まれた。

ドイツのスパイが大英帝国に侵入しているとの話や、経済的にも軍事的にも成長著しいドイツが大英帝国に攻撃を仕掛けるのではないかとの恐れも浮上するようになった。もちろんそうした懸念は杞憂に終わるのだが、危機感を抱いた政府はMI6の前身となる「シークレット・サービス局」を設置した。

だがそれ以前より、イギリスは世界中で領土を拡張し、インドやアフリカなど、世界各地で情報収集をしてきた歴史がある。大航海時代をはじめ世界に商機を見出した列強として、世界情勢の実態を知るのは不可欠で、インテリジェンスの文化が早くから根付くのは当然だったのかもしれない。

そんな国で誕生したシークレット・サービス局は、国内担当と国外担当に分かれ、後者が国外の情勢を把握する情報収集を担当することになった。そしてその対外組織を率いることになったのが、マンスフィールド・スミス・カミング海軍大佐だった。カミングが就任し、職に就いた初日の日記には「オフィスに行き、一日中過ごしたが、そこには自分以外誰もいないし、何もすることがなかった」と書かれている。そんなところから、MI6の基礎は作られていった。

カミングはロンドンで輸出関連企業を装った拠点を作る。1914年に第一次大戦が勃発すると、同局は軍部と行動を共にするようになり、その活動の中でドイツ軍を裏切った海軍将校から、軍関連情報を購入する。それが戦いを優位に進める情報となった。これこそが、スパイ活動の本質だと言えよう。

大戦時の日本とのせめぎ合い

富裕層,脱日本,マレーシア
(画像=ra2 studio/Shutterstock.com)

1920年ごろには、今の名称であるSIS(秘密情報部)という正式名称になった。MI6という通称で呼ばれるようになるのは第二次大戦後からである。

第二次大戦前には、SISは資金不足が大きな問題となっている。そしてこのころ、イギリスは日本を脅威であるとみなしていたが、資金不足のために日本にスパイを送り込むことができない状態にあった。当時のイギリス情報機関について記録した『MI6秘録』(筑摩書房)によれば、長官だったヒュー・シンクレアは「極東に関する『不満足な立場』、とくに『日本に関する』問題」を提起していた。日本などの「潜在的な敵」に対して「本当に内部の情報を獲得する」ことができないとの懸念を持っていたと記録には残されている。

しかもそれ以降も日本を「極東の情報の第一のターゲット」と名指しし、警戒対象国としていた。そして当時、東京と神戸、長崎など数ヵ所に数十人の人員を配備したのだが、大した成果を上げることはできなかった。その理由は、日本の「外国人嫌いの風潮と猜疑心」や、外国人が厳しく見張られ、スパイ騒動が頻繁に起きている状況があったという。

イギリスは当時、アジアで植民地を拡大し、香港にも拠点はあったが、日本での諜報活動は十分にできていなかったことがわかる。

一方で、第二次大戦中はSISと、現在シグナル(通信)の監視などを担当するGCHQ(政府通信本部)の前身、GC&CS(政府暗号学校)によって、ドイツの暗号機エニグマを解読したことで知られる。

当時のSISは間違いなく世界でも最も恐れられた諜報機関のひとつだった。日本に絡むこんな話も残っている。トルコのイスタンブールからシリアやイラクなどを結んでいた国際列車のタウルス急行で、日本陸軍の立石方亮中佐が企てていた列車の爆破テロ事件を、事前に阻止したこともあった。立石は、戦前からソ連やトルコ、ブルガリアの大使館などに武官として赴任していた人物だった。トルコ・イスタンブールに配置されていたSISの破壊活動取締班がこの爆弾を処理したと記録されている。

戦時中は、日本の進撃により、香港やシンガポールが陥落した。その際、日本軍はSISのスパイたちも拘禁している。

一方でこの時期は、日本も国外でのスパイ工作を実施している。ジェームズ・ボンドのモデルのひとりとなったイギリスの有名スパイのシドニー・ライリーは、日露戦争の開戦前夜には、満州でビジネスマンを装いながら、イギリスと日本政府の二重スパイとしても活動していた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも登場する明石元二郎が、ライリーをリクルートして運用していたという。スペインでは、元外務省情報部長でマドリード駐在の日本公使だった須磨弥吉郎(すまやきちろう)が「TO機関」という諜報機関を立ち上げ、アメリカの情報をスペイン経由で日本に伝えていた。

SISは中国における日本の活動も把握しており、北京や広東にあった日本の情報組織を監視し、日本の工作員が現地の若い女性たちをスパイ工作に使うべく訓練をしていたという報告も残っている。

対ソ諜報から独自の世界的インテリジェンスに

SISが本格的に東京に支局を設置したのは、1947年のこと。当初は、戦後に日本の支配のために置かれた連合国総司令部(GHQ)と、イギリス当局の連絡を担う使節団として設立された。ダグラス・マッカーサー元帥がイギリス政府と連絡をとるための組織としても機能したという。

MI6日本支局の初代支局長は、大学で教授職にあった、日本で生まれ育ったカナダ人。支局長就任にあたり、スパイ活動に素人だったこのカナダ人はイギリスで2ヵ月にわたってスパイについて学ぶ講習を受けたらしい。それでも言葉の問題など、日本での活動は厳しいものがあったという。ちなみに韓国支局は翌年に立ち上がり、北朝鮮や韓国、中国北東地域の共産党の活動について諜報活動を行っていた。

世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス
山田 敏弘
国際ジャーナリスト。1974年生まれ。米ネヴァダ大学ジャーナリズム学部卒業。講談社、英ロイター通信社、『ニューズウィーク』などで活躍。その後、米マサチューセッツ工科大学でフルブライト・フェローとして国際情勢とサイバーセキュリティの研究・取材活動にあたり、帰国後はジャーナリストとして活躍。世界のスパイ100人に取材してきた。著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)翻訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)などがある。

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