(本記事は、山田 敏弘氏の著書『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)

スパイ
(画像=(写真=Stokkete /Shutterstock.com))

KGBとプーチン

CIA元幹部は「CIAこそ世界最強」と強調した。ならば、世界でも有数の経験値を誇る彼の感覚では、CIAに次いで強力な組織はどこなのだろうか。

彼は、迷うことなく「ロシア」だと答えている。

「ロシアのスパイたちはアメリカに次いでもっともプロフェッショナルな組織だ。スパイ活動をするのに、もっとも難しい敵でもある。とてつもないプロで、手強い相手だ。民主主義国家に対するインテリジェンス活動で長い歴史を持ち、それを誇りにして今も活動している。ロシアが国家として現在も存在できている理由は、彼らが冷戦時代から現代まで諜報活動をずっと継続してきたことにある」

そんなロシア、旧ソビエトと西側諸国の対立の歴史は第二次大戦後に激化する。マーシャル・プランによってアメリカがヨーロッパ各国の復興を支援して影響下に置くなか、ソビエト連邦は東欧に共産主義政権を作るなどして、世界の分断が深まった。冷戦である。

アメリカなど西側諸国に対して、共産主義勢力として君臨していたのがソ連だった。両陣営は、諜報合戦を繰り広げてきた歴史がある。

このCIA元幹部は、その冷戦の過程で、アメリカ側で活動してきた諜報合戦の当事者のひとりだった。当時のCIA諜報員は危険な任務であるために「素手で人を殺める」訓練も施されていたという。

MI6もかつては戦闘能力を強化していた。MI6元スパイによれば、MI6でも「拳銃の扱い方や射撃の訓練はもちろんだが、ナイフを使って戦闘の訓練もしていた」という。

1989年にベルリンの壁が破壊された後、91年にソ連も崩壊した。そうして冷戦が終結し、新生ロシアが誕生しても、諜報活動だけは続いていた。

「私はロシアのウラジーミル・プーチン大統領が誕生したとき、CIAのモスクワ支局長だった。彼の誕生を見ていた。プーチンは情報機関から生まれた産物である」

そうCIA元幹部は話す。

そもそも、ソ連には悪名高いKGB(ソ連国家保安委員会)という組織が存在した。KGBは共産党の主導で、1954年に内務省から分離して作られた組織である。国内で秘密警察のような監視活動を行いながら、国外では諜報・工作活動を行ったスパイ機関で、世界から恐れられた。

現在ロシアのトップに君臨するプーチン大統領も、1970年代にKGBのスパイになり、1985年から90年まで、東ドイツのドレスデンに勤務していた経験もある。KGB時代のプーチンは、非常に有能なスパイとして評価が高かったとされる。彼の政策は、スパイからの情報が基盤になっているとの有力な説もある。プーチンが毎日、1日の最初にする仕事は、諜報機関が毎日まとめているリポートに目を通すことだともっぱらの噂である。

ソ連の崩壊に伴い、KGBという組織は1993年に廃止されたが、そこから2つの情報機関に分かれた。国内を担当するFSB(ロシア連邦保安局)と、国外を担当するSVR(ロシア対外情報庁)である。SVRは、KGBの対外諜報を担当していた第一総局が元になっている。

その過渡期にあっても、プーチンは元KGBの職員を側に置き、1998年にはFSBの長官となり、その後大統領にまで上り詰めた。ちなみにロシアにはロシア軍の情報組織GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)という機関も存在している。

2005年、プーチンはSVRの設立記念の式典でスピーチした。そこでプーチンは、「KGBの流れをくむSVRは世界でもっとも有効に機能している機関であり、政策決定過程で諜報活動が重要である」と述べたと報告されている。

さらに、ロシア政府にとって、諜報活動がロシア国家機関システムにおいて重要な地位を占めているとし「諜報機関の努力はロシアにおける潜在的な産業力及び国防力の強化に集中されなければならない」と語っている。

GPSを無効化するロシアスパイ

ロシア経済の見通し
(画像=PIXTA)

2017年、朝日新聞はロシアからの報告としてこんな記事を書いている。

KGB出身のプーチン大統領は式典(筆者註:SVRの非合法諜報局の設立記念を祝う式典)で、名前や国籍を偽って外国で活動する「イリーガル」と呼ばれる非合法スパイが集める情報を日常的に得ていることを公言。「非合法諜報のような強力な特務機関を持つ国は少ない」と胸を張った。

多くの国がスパイ活動を行っていることは公然の秘密かもしれない。だが、非合法活動を誇らしげに宣言する国はまれだ。

スパイからのし上がったプーチンの哲学が、いまだにロシア諜報機関の中で脈々と息づいていることの表れだと言えよう。事実、現在も彼らの非合法活動は後を絶たない。

2010年、SVRのスパイたちが潜伏して活動していたアメリカで10人も一斉に摘発される事件が起きている。2016年のアメリカ大統領選挙でも、ドナルド・トランプ陣営に有利になるように、ロシアが誇る3つのスパイ機関がそれぞれ、民主党全国委員会のネットワークなどにサイバー攻撃で侵入していたことは記憶に新しい。

SVRのスパイは、モサドと同じように、徹底した訓練を受けて初めて、任務に就くことが許される。SVRのスパイたちは、理想的には、平均的な見た目で、目立つことがない人物が選ばれる。スパイの中には、協力者を見つけて運用する諜報員だけでなく、他ならぬプーチンの言葉にもあった、他国で現地人として溶け込み当地で得る機密情報などをロシアに送ることがミッションとなる「イリーガル」がいる。

イリーガルの場合、たとえば入局後は、SVRの本部である「モスクワ・センター」に出勤することはなく、他の局員と会うこともまったくない。アメリカを担当するスパイなら、モスクワ郊外に建てられたアメリカの住宅に似せた家に数年にわたって暮らし、マンツーマンで毎日、英語の特訓を受ける。暗号通信の方法などのスパイの基本的な技術も学び、完全に赴任地の現地人になりすますよう訓練されるのである。

2010年にアメリカで逮捕され、人質交換でロシアに帰国が許されたSVRスパイは、ロシア帰国後に取材に応じ「自分は超絶なスパイではなくシンクタンクの分析官のように動いていた」と答えている。

「インテリジェンス活動は危険な悪ふざけとは違う……ジェームズ・ボンドのように振る舞おうものなら、1日も持たないだろう」

インテリジェンスの世界で、西側からロシアと戦ってきた前出のCIAの元幹部はこう話す。

「ロシアを理解したいなら、3つのことを考察すればいい。まずは、ロシアの伝統的な利害。彼らは戦略的な利益をかなえたいのであって、ソビエト連邦を作りたいのではないということだ。2つ目は、プーチン自身を見ることだ。彼の経歴だ。諜報員だったことだけでなく、それ以上に、彼が冷戦後の時代に登場したが、基本的に民主主義を肯定的には見ておらず、ロシアを汚す脅威であると見ている。3つ目は、プーチンの周りで誰が権力を手にしているのかだ。基本的に自分と同じようなタイプの人間を置いている。プーチンに忠誠を誓い、同じ世界観を持っている人たちだ。繰り返すが、彼はソ連を復活させようとはしていないが、世界の舞台で、現在のロシアの利害を効果的に実現できるよう動いている」

その上で、この元幹部は、プーチンの考え方は「スパイの考え方そのもの」であるとし、まさにスパイのように下準備をしながら暗躍していると分析している。

そんな経験から、プーチンの敵国スパイらに対する警戒感は半端なものではないという。国内で移動するたびに彼の周辺では、GPS(全地球測位システム)が異常をきたし、地図やナビゲーションの機能が正常に動かなくなる。というのも、プーチンの周辺がGPSを無効化するシステムを持ち歩いているからだという。

余談だが、現代では戦闘に使われる軍用機器や武器はGPSなどのナビゲーションに依存して攻撃などを行っているが、プーチンはウクライナやシリアなど紛争地に展開するロシア軍にGPSや無線、レーダーを無効化するような装置を導入しているくらいだ。

日本で繰り返されるロシアスパイ事件

ロシアにとって、日本は領土問題が横たわる、利害に関わる国だ。そんなことから、ロシアは日本でスパイ活動を重点的に繰り広げてきた歴史がある。在日ロシア大使館員や在日ロシア通商代表部員を装った情報機関員が違法行為を行ってきた。

警察当局はいくつものロシアがらみのスパイ事件を摘発している。

2000年に起きたボガチョンコフ事件は、駆け出しの記者だった筆者も現場で取材をした。海上自衛隊三等海佐が、在日ロシア大使館に勤務する海軍武官のビクトル・ユーリー・ボガチョンコフ大佐からの依頼で、現金などを受け取って、海上自衛隊内の秘密文書を含む数十点の内部資料をロシアに提供していた。この三等海佐は、幼い子供が重い病気にかかり治療費が必要だったため、その弱みにつけ込まれていた。事件が発覚すると、ボガチョンコフは堂々と空港からロシアに帰国した。スパイというのは人の弱みにつけ込んでくるものである。

2006年にも日本の大手精密機器メーカーの社員が、在日ロシア通商代表部の工作員にミサイルの制御などに転用できる「VOA素子」を渡していたとして、書類送検される事件が起きている。この手のロシア工作員が絡む事件は、枚挙にいとまがない。

ロシアがCIAに次いで優秀だと語ったCIA元幹部もそうだが、別のCIA元高官も、話がロシア関連になると、あからさまに嫌悪感を示したのが印象的だった。インテリジェンスの世界では、ロシアと西欧諸国の間には今なお高い壁があるとわかる。

世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス
山田 敏弘
国際ジャーナリスト。1974年生まれ。米ネヴァダ大学ジャーナリズム学部卒業。講談社、英ロイター通信社、『ニューズウィーク』などで活躍。その後、米マサチューセッツ工科大学でフルブライト・フェローとして国際情勢とサイバーセキュリティの研究・取材活動にあたり、帰国後はジャーナリストとして活躍。世界のスパイ100人に取材してきた。著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)翻訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)などがある。

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