会社を辞めた翌日にライバル会社に就職する。ドラマの世界ではよくある話だが、現実にはうまくいかない。離職後から一定期間、就職や開業を制限する「競業避止義務」もあるからだ。今回は、競業避止義務の必要性や定める際のポイントについてご説明する。
競業避止義務の概要
そもそも競業避止義務はなぜ必要性なのか? 競業避止義務を規定しなかった場合に懸念される事柄から考えてみたい。
競業避止義務を規定しないとどうなる?
競業避止義務とは、退職後に競合会社への就職や競合会社の設立を禁止する定めだ。
通常、在職中の競業避止義務は、従業員と会社が結ぶ労働契約に記載されている。また、取締役は会社法では、取締役会で承認を得ない限り、会社の部類に属する業務の遂行が禁止されている。
しかし、退職後はその義務から解放される。憲法で「職業選択の自由」が保証されているからだ。ただし、退職後に競業避止義務を課さないと、在職中に得た業務のスキルやノウハウ、人脈などを利用されることになる。
会社としては、従業員の退職による自社の戦力減少とライバル会社の戦力増加を避けなければならない。そこで、多くの会社では、退職後の従業員に対しても競業避止義務を課す。
競業避止義務を課す具体的な方法
入社時の誓約書や就業規則に競業避止義務を記載する方法がある。退職金減額などの措置をかざすことで従業員に義務付けできる。
ただし、憲法で保障されている「職業選択の自由」との兼ね合いがあり、会社と雇用関係がなくなった者に競業避止義務を課すのは容易ではない。
結局、退職した従業員の「職業選択の自由」を尊重しつつ、誓約書や就業規則などで必要に応じて競業避止義務を示さなければならない。
競業避止義務の有効性について
裁判では競業避止義務の有効性について下記の4点が争点となる。
①競業行為を禁止する目的・必要性
②退職前の従業員の地位・業務内容
③競業が禁止される業務の範囲・期間・地域
④競業が禁止されることに対するペナルティの有無
就業規則などで退職後に競業避止義務を課す際は十分に検討しておきたい。
法競業避止義務と法律・訴訟の関係
従業員に対する競業避止義務の重要性についてご理解いただけたと思うが、法的に有効なのか気になる。法律や訴訟の観点から競業避止義務について解説する。
競業避止義務より職業選択の自由が優先される
会社が退職した従業員に対して競業避止義務を課すのは、経営に必要だと納得できる。もし、従業員が経営者の立場であれば同じ方法を取るに違いない。
しかし、法律の観点では、会社と退職した従業員の雇用契約は終了している。元従業員に競業避止義務を守る義務はなく、あくまで会社は元従業員のモラルに頼るしかない。
憲法で「職業選択の自由」が保障されているからだ。憲法は「法律の法律」と呼ばれ、憲法に違反する法律や規則は無効になる。
そのため、従業員が納得したうえで競業避止義務を定める誓約書にサインしても、退職後の職業を制約できない。
競業避止義務違反に対して訴訟は可能
もし、競業避止義務を守らずに元従業員が同業他社に就職した場合、訴えることはできないのだろうか。在職中、誓約書にサインをした従業員は、退職後の同業他社への就職が会社に背く行為だと十分理解しているはずである。
しかし、従業員が職業選択の自由を主張すれば、たとえ会社が訴訟を起こしても勝つ見込みは低い。もちろん、数は少ないが、競業避止義務違反で元従業員を訴えた事例はある。
具体的には、元従業員が転職先の会社で前社の機密情報を漏洩し、会社に多大な損害を与えたケースだ。もちろん、元社員による情報漏洩と会社の損害に因果関係がなければならない。
因果関係を証明できれば、元社員に対して競業行為の差し止めや損害賠償の請求、退職金の返還などを請求できる。
競業避止義務を周知する際のポイント
従業員の入社時に競業避止義務の誓約書提出を求める会社は多い。危機管理としては当然の対応だが、従業員に周知する際にいくつか配慮すべき点がある。
同業他社に転職できない旨を念押しする
従業員に競業避止義務を記載した誓約書を渡すだけでは周知したとはいえない。退職後に同業他社へ転職できない旨を口頭で伝えてから、署名してもらう必要がある。
その際に、会社の機密を漏洩することが違法である点にふれ、退職後の同業他社への転職が禁止されている理由を論理的に説明しなければならない。
ただし、厳しい制約を課すと入社を辞退されかねず、優秀な人材を逃すことになる。規則が継続する期間や限定されるエリアなども共有したほうがよいだろう。
誓約書の作成も抜け目なく
就業規則に競業避止義務を記載しておく方法も法律で認められている。個々の従業員に誓約書を書かせる手間が省けて便利だと考えるかもしれない。
しかし、就業規則に競業避止義務を記載すると「就業規則の不利益変更」の問題が生じる。
就業規則の不利益変更は、就業規則を従業員にとって不利益な内容に変えることだ。一般的に就業規則の作成では、従業員にヒヤリングする必要はないが、記載内容には制約がある。
就業規則の不利益変更については、「労働契約法第9条」で禁止されている。この条文では、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。」とあり、会社(使用者)は従業員(労働者)の合意なしでは就業規則を変更できない。
したがって、就業規則に競業避止義務を記載しても、労働契約法第9条を根拠に、無効を申し立てられる可能性がある。競業避止義務については誓約書で定めるのが無難といえよう。
また、就業規則は周知されていないと判例上無効になるとされている。その点、誓約書は従業員が署名捺印をするので個々に競業避止義務を徹底できる。
競業避止義務を誓約書に定める際のポイント
退職した従業員が競業避止義務を守るかどうかは、誓約書の内容次第といえよう。誓約書に競業避止義務を定める際のポイントを解説する。
会社の利益に関与する部分
退職する従業員に競業避止義務を課す最大の理由は、同業他社への再就職が会社の不利益となるからだ。会社は、機密事項の漏洩、顧客名簿の流失、スキル・ノウハウの転用などを危惧する。
特に、機密情報や顧客情報の流失は明確な法律違反であり、損害賠償請求の対象になる。誓約書を作成する場合には従業員に深く釘を刺す必要がある。
地域によって制約をつける
競業避止義務を課す場合、地域を制約の対象とすることもある。「退職後○年以内は、当社と同じ市内で○○を開業することを禁止する」というルールがよい例だろう。
同業者が同じ地域で顧客を奪い合うことを避ける意図がある。地域の制約については、会社業務の性質などを十分に考慮したうえで、合理的に絞らなければならない。
日常的に利用する店舗を同じ市内に開業するのはあまり問題にならないが、特殊な技術を要する店舗を狭いエリアで開業すると顧客の奪い合いにつながりかねない。
つまり、業種の特性と商業圏を十分考慮しながら地域の制約を設ける必要がある。
競業避止の期間を適切に設定
競業避止義務は無期限ではなく、会社ごとに一定年数の制約を設けるのが一般的だ。
ただ、制約の年数が長いと、元従業員の「職業選択の自由」を不当に狭める結果となる。1、2年が一般的だが、昨今の転職事情を鑑みると2年は長すぎるようだ。
従業員の地位に関する部分
全従業員に競業避止義務を課すのは合理性に欠ける。なぜなら、在職中の部署や業務によって課される義務の内容が変わるからである。
したがって、会社は、退職を申し出た従業員の経歴に応じて誓約書を作成する必要がある。
ペナルティのレベルを設定
競業避止義務を課す最大の目的は、会社が不利益を被らないことだ。そこで、会社の不利益になるような具体的な事項について規制する必要がある。
たとえば、在職中に担当していた業務に携わったり、担当していた顧客にアプローチしたりするなど、会社に実害をもたらす事項について検討すべきだ。
自社の利益を守るために競業避止義務を導入
個人情報保護法の施行にともない、個人情報の取り扱いや情報の流失に対する意識が向上し、従業員教育を徹底するようになった会社も多い。
会社の顧客名簿や機密情報が流失することで、多大な損失の発生や社会的な信用の失墜が予想されるからだ。
その点、会社の利益を保護する競業避止義務の重要性も増す。ただし、憲法が保障する職業選択の自由を尊重しなければならない。誓約書を有効活用し、退職していく従業員に競業避止義務を徹底させたい。(提供:THE OWNER)
文・井上通夫(行政書士・行政書士井上法務事務所代表)