エコノミストの間では、現金給付はその大部分が貯蓄に回るから無意味だという見解が大勢を占める。消費刺激を目的にすると、そうした結論にならざるを得ない。しかし、コロナ危機が経済的弱者を直撃し、そのダメージが長期停滞を引き起こすと考えると、弱者の生活の命綱になると考えると、正当性が出てくる。

現金
(画像=PIXTA)

まずは「現金給付は無意味だ」を疑う

新型コロナの悪影響が経済活動に深いダメージを与えそうだ。その対応策として、現金給付が挙がってくる。エコノミストの間では、現時点で現金を給付しても、そのほとんどが貯蓄に回って、消費刺激の効果はほとんどないという意見が大勢である。筆者もその意見に100%賛同する。ところが、政治の世界では、全く意見が異なる。今一番必要とされているのは現金だから、現金を配るのが正しい、という理解が広がっている。人々が求めているものを与えることが必ずしも正当性を持っているとは筆者は考えないが、政治的直観の中にも何らかの真実が隠れている気がしている。本稿では、「現金給付は消費刺激のために無意味だ」というエコノミストの定説を一旦横に置いておいて、現金給付の意味を再考してみることとする。

現金給付と商品券の比較

まず始めの議論として、消費刺激の方法としての現金給付を考えたい。現状、外出自粛が叫ばれて、感染リスクへの不安も大きいので、人々は消費しない。これは、消費=可処分所得×消費性向の図式のうち、消費性向の低下がより強く作用している状況である。いくら可処分所得を増やしても、不安が強いと消費性向は上昇しない。また、人々が「今一番必要とするものは現金だ」という感覚は、経済学の泰斗ケインズが唱えている「流動性の罠」そのものである。人々は、不安の中でいくらでも現金を持ちたがる。だから、消費性向は低下(貯蓄率は上昇)するのであって、この状態はいくら現金を給付しても消費水準は変化しない。ケインズは、「流動性の罠」があるときは、政府が支出を増やすことで有効需要をつくるしかないと言っている。しかし、現時点で政府が支出しても、家計の消費性向は上を向かず、今回はケインズの処方箋も有効ではない。

現金給付に対して、商品券によって購買力を家計に与えるべきだという対案もある。商品券には有効期限をつけて、貯蓄に回らない工夫が与えられることになる。実は、この方法でも家計は商品券でいつも買うものの支払いを行って、別のところで貯蓄を増やすと「いってこい」になる。つまり、家計の消費性向は上昇しない状態である。こう考えると、現金給付も、商品券もそれほど有効ではないという結論になる。


(参考) 過去の経済財政白書(内閣府)では、1999年の地域振興券と、2009年の定額給付金の効果を分析したものがある。定額給付金は、アンケート調査などを使って、追加的な消費拡大に結びついたのは25%とされた。1999年の地域振興券はそれと比べて32%と高い。しかし、いずれの割合にも異論があり、消費拡大に回る限界消費性向について一般化できる見方はない。何より、今の局面で現金給付や商品券を使うとどのくらい消費喚起できるかは前例が当てはまらない可能性すらあると考えられる。

価格メカニズムを使うアイデア

家計の消費性向(貯蓄率の裏返しでもある)が極端に下がっているとき、現金給付や商品券でそれを動かせないと、別にどんな対処法があるだろうか。ひとつの考え方は、価格メカニズムを動かすことである。消費性向は、現在消費と将来消費(=貯蓄)の配分によって決まる。その配分を変化させるには、財サービスの価格を引き下げて、現在消費を増やすことが有効だ。理論上は、「値下げを大胆に行うと、消費性向は上げられる」という表現がよいかもしれない。ただ、感染リスクが強いときには、値下げの幅を余程大きく広げないと消費性向は上がりにくいだろう。値下げによる消費刺激の余地は大きくない。

政策論として考えると、消費税率を時限的に大きく引き下げるという方法も成り立ちうるが、消費税が社会保障財源になっていることを考えると、安易に財源の方だけを減税することはできない。また、消費税率を10%に引き上げるのに、これだけ政治的摩擦が大きかったことを考えると、元に戻すだけでも相当困難だろう。時限措置の約束も守られるとは限らない。

価格引き下げを政策的に促すのであれば、6月末で終了するキャッシュレス決済のポイント還元を5%から10%、あるいは10%超にする方法がある。6月末の期限をそのままにして、大胆な実質値下げをすることが、アイデアとして最も有効だと筆者はみている。もっと大胆に行おうとすれば、4月末から2ヶ月間はポイント還元を20%にする。そして、財源として用意した1兆円が使い果たされるまで20%の割引を継続すると宣言すると、消費はいくらか刺激されるだろう。計算上は5兆円の消費増加が見込める。

10兆円の現金給付で、例えば10%の1兆円しか消費増加が見込めないのならば、キャッシュレス決済の還元によって5倍、10倍の消費喚起を生み出す方が、何十倍も効率的だと思える。

現金給付は消費刺激のためではない

以上のように、消費刺激のツールとして考えると、現金給付は効率的が劣る。財政資金の使い方としても、なるべく避けた方がよい。

しかし、現金給付を求めている家計は、消費を増やすために現金給付を求めているのではなく、将来の消費に備えて今の現金を求めている。貯蓄がほしいのである。そうした家計の中には、もともと将来の備えとしての貯蓄が乏しく、雇用不安を不安視する者も多いと考えられる。非正規雇用者や働くシニアの中には、資力が乏しい者が多いとみられる。経済的弱者は、今回のコロナ危機が長期戦となって、自分たちに相対的に打撃が大きいと直感しているのであろう。そうした声は、政治的チャネルを通じて、「今一番必要とされているのは現金だ」という主張を作り出している。これは、効率性ではなく、公平性からのニーズでもある。リベラル的な立場で自己責任を問いにくい人々を救済すべきという主張になる。公的保険機能として、弱者を広く救済するのである。

このように、視点を大きく切り替えると、筆者も弱者救済に絞った現金給付にはセーフティネットとして賛成したい。ただし、この現金給付は、雇用環境が不安定で、かつ金融資産の乏しい人に絞らなくてはいけない。その審査は、ミーンズテスト、収入資産の資力調査と呼ばれるが、実質的にそれを厳格に行うことはかなり難しい。基本的なミーンズテストには生活保護の審査があるが、今、現金給付を求めているのはもっと広範囲であり、資力のある人を含んでいる。特に、年金生活者の中で、金融資産の多い人と、貯蓄が不足して困っている人を峻別することは難しい。

おそらく、今後、政府が大規模に行おうとしている現金給付は、その区別ができないまま広範囲に行うことになるだろう。その代わりに、所得水準によって、給付制限をすることになろうが、本当ならば金融資産を調べて制限をすべきところだろう。例えば、マイナンバー制度などを使って、収入・資産の紐付けをする。それができない限りは、金融資産を含めた制限はできない。所得水準だけの給付制限は、給付する必要のない金融資産を多く持つ人への支給を許してしまう。この点は悪平等という弊害を抱えたままの政策になるだろう。

中堅所得者まで含めるか

もうひとつの問題は、どこまでを給付対象にするかという線引きが曖昧なところである。今は何となく、「富裕層を除く」という方針はあるようだ。富裕層以外の中堅所得者を含めるべきか、いや含めずに低所得者に絞って手厚く支給すべきか、といった議論は聞こえてこない。むしろ、「リーマンショック級のコロナ危機には大規模な財政出動が必要だ」という声によって、対象を絞るという吟味は後回しになっている気がする。筆者は、中堅所得者は含めずに、低所得者に絞って、その分支給額を厚くする方がよいと考える。

その場合、中小企業や自営業者、フリーランスの個人にも損失に見合った手厚い給付(ないし助成)をすることになる。理由は、景気変動に対して、よりショックを受けやすいのが中小企業であり、彼らが雇用の受け皿になっているからだ。中小企業を守ることは雇用者のうち、不安定な立場の者を助けることにもつながる。政府は、法人税の還付や納税猶予といった異例の案も検討されているようだ。これらも、景気変動のショックを緩和する公的保険機能を政府が果たそうとする考えからだろう。

今は時間を買う政策

議論を元に戻すと、現金給付が消費刺激のためでなければ、消費刺激の方はどうするのか。キャッシュレス還元のほか、旅行割引のクーポン券は刺激策にはなる。それでも、消費性向を上げるのに十分かと問われると、まだ十分とは言えない。正直なところ、感染リスクが強く意識されている下では、すべての政策の限界を感じずにはいられない。

実は政府も、消費刺激のための切り札を持っていないことは承知していると思える。だから、現金給付や雇用調整助成金のように、痛みを緩和しながら、感染リスクが弱まるのを待つ「時間を買う」対応に集中することになってしまう。それもある程度は仕方のないことかもしれない。発想を転換して、今は待つしかないと諦めると、次には、正常化しつつ段階で消費刺激のためのキャッシュレス還元などは意味を持つことになる。感染リスクが収まった段階で、雇用、所得などが痛んでいなければ、これまで抑えられてきた消費のリバウンドも見込めることになる。

現金給付は、「消費刺激のために無意味」と考えるよりも、経済的弱者の体力維持のために使い、正常化を待つためだと理解して、給付対象を絞りこんで、その分手厚く行うことが適切である。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生