個人への給付金以外に、政府は事業者への新しい給付措置を検討している。その給付金は、感染拡大を阻止するための飲食店などへの所得補償に使われると、感染防止に役立つのではないか。そうした発想は、経済学者ロナルド・コースが提起し、ピグー補助金として知られるアイデアの応用になっている。

現金
(画像=PIXTA)

問題はうまく利害調整すること

安倍首相は、3月28日の記者会見でイベント自粛などで収入が激減した中小・小規模事業者にも新しい給付金制度を用意すると述べている。これも、現金給付の一環であり、困窮者の救済の意味もあるだろう。

実は、筆者は事業者向けの給付には、もうひとつ補償の意味合があると思う。それは、政府が暗黙のうちに必要とされる利害調整を補償金を使ってうまく運ぼうとする試みをしようとしているのではないかと筆者は考えている。このことは、少し話が面倒になるが、経済学のフレームワークを使うと、割とうまく説明できると思っている。

3月30日夜に小池百合子都知事が、「若者にはカラオケやライブハウス、中高年にはバーやナイトクラブなど接待を伴う飲食店などに行くことは当面控えてほしい」と語った。これは飲食店で感染の疑いがあることが根拠である。飲食店にとっては自粛要請に従って、店舗を閉めたり、営業時間を短くするのは死活問題になる。反対に、行政からすれば、夜の営業で感染拡大のリスクが高まると困ると思っているのだろう。行政は、自粛によって経済活動が停滞することは十分に承知していて、なるべく思い切った自粛によって短期間で感染拡大を収束させたいと願っている。つまり、今は我慢して自粛することが、経済活動へのダメージを小さくするために肝要なのだと理解している。飲食店と行政の利害は鋭く対立している。

この構図は、経済学では「コースの定理」で知られる“交渉による資源分配の適正化”の問題と実 によく似ている。飲食店、カラオケ、ナイトクラブにとって、コロナ感染のリスクは市場取引の外側にある要因である。これを外部性・外部効果という。

外部性が作用するときに、市場取引に任せていても、うまくいかないことがある。感染リスクが強いときに店舗を開業していると、結果的に感染阻止が遅れて、ホテル・飲食店サービス業の経済損失は大きくなる。政府が何もしなければそうなるだろう。

それをうまく利害調整するために、政府は補助金・助成金を支給して、自主的に店舗の休業をしても困らないようにする。すると、強制的なロックダウンや任意の自粛をお願いしている場合に比べて、よりスムーズに休業できるようになって、感染収束が早期にできる。経済損失も極小化される。

そうした、利害調整のため政府の補助金のことをピグー補助金という。ケインズの論敵だったアーサー・ピグーという経済学者のアイデアの変形である。

パーシャル・ロックダウン

安倍首相が、現金給付について、個人だけでなく、中小企業・小規模事業者をも視野に入れて言及していることは、このピグー補助金の意図もあるのだろう。雇用者については、雇用調整助成金があり、それがセーフティネット機能を働かせる。フリーランスを含めた自営業者や小規模事業者には、そうしたセーフティネットがない。そこを現金支給を拡大解釈して、新しい給付金制度をつくろうとしているのだ。

目下、感染リスクは強まっていて、都市封鎖・ロックダウンの可能性は現実味を滞びている。筆者は、経済損失の大きさを考えると、ロックダウンはなるべく避けてほしいと思っている。安倍首相も同じようにロックダウンの弊害を知っていて、その実行には慎重だとされる。一方で、感染拡大の阻害に対しては、パーシャル・ロックダウンで対応する方がよいという考え方もあるようだ。それは、広域の行政区域で外出禁止を課するよりも、感染リスクの高いサービスの利用を制限して、感染リスクの高まりを制御するという考え方である。

サービス利用を制限すると、当然ながら事業者には巨大な経済損失が発生する。それを政府が新しい給付金制度などを使って、穴埋めする。こうした手続きは、前例もなく、しっかりした制度設計をするのも難しいことだろう。しかし、事態は早期に対処しなくては感染リスクを阻止できなくなっている。

モラルハザードの問題

現金給付などの給付政策には、本当は真剣に必要としている人達以外にも、現金をばらまくことになる懸念を伴う。モラルハザードの問題である。

政府の対応が、そうしたモラルハザードを容認しているかどうかは、政治を信頼するしかない。筆者は危機だから政治の良識を信じている。

そうした前提で給付政策を考えると、「完全なセーフティネットはモラルハザードを防止しえない」という言葉を思い出す。これは、20年以上前の金融危機のときによく使われた言葉である。当時は、税金投入に対して世論の強いアレルギーがあった。今は、隔世の感があるが、図式としては社会システムも守るためにモラルハザードを容認することは致し方ないという認識である。

モラルハザードを長い目でみて防止するためには、今回、大胆な給付措置をするとしても、1~2年経ってから給付がどのように使われ、どの程度うまく利用されなかったかを調べて情報公開することだ。その情報をもとに研究者やマスコミは、将来、給付措置を採るときに反省点を指摘するだろう。それが未来のモラルハザードを抑止する。

なお、1999年の地域振興券と2009年の定額給付金については、政府が効果を分析したペーパーがあるが、それ以降はしっかりした分析したものが見当たらない。2019年の消費増税対策の給付金などについても、分析があって当然だと思う。政府は研究者に資金を出して分析してもらってはどうか。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生