(本記事は、守屋洋氏の著書『ピンチこそチャンス 「菜根譚」に学ぶ心を軽くする知恵』小学館の中から一部を抜粋・編集しています)

感謝
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受けた恩は忘れない


 人に施した恩は忘れてしまったほうがよい。だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。
 人から受けた恩は忘れてはならない。だが、人から受けた怨(うら)みは忘れてしまったほうがよい。

我、人に功(こう)あらば念(おも)うべからず。而(しか)して過(あやま)ちは則(すなわ)ち念わざるべからず。人、我に恩あらば忘るべからず。而して怨(うら)みは則ち忘れざるべからず。(前集五一)

我有功於人不可念。而過則不可不念。人有恩於我不可忘。而怨則不可不忘。

人間は独りでは生きていけません。生まれてこの方、育ててもらった親の恩から始まって、多くの人たちに心配してもらったり、助けてもらったりして、今日があるのです。

そういう恩にどう対応すればよいのか。ひと言でいえば、「人から受けた恩は忘れるな。人に与えた恩は忘れてしまえ」というのです。

それで思うのですが、若いときは受ける恩のほうが圧倒的に多いのです。これは誰でも同じでしょう。そんな場合、断る必要はありません。ありがたく頂戴しておけばよいのです。ただし、忘れないでおぼえておいて、お返しできるようになったら、お返しすることを考えてほしいというのです。これもまた基本的な人生作法の一つといってよいでしょう。

ただし、余裕もないのに、無理に返す必要はありません。そんなことをしても、相手は喜ばないはずです。

では、いつお返しする側に回っていくのか。おおよその目安としては五十歳ぐらいかもしれません。私も及ばずながら、かなり意識的にそれを心がけてきたつもりです。

そして、プラス・マイナス・ゼロか、持ち出し分を少し多めにして人生を完結させることができれば、まあまあの人生といってよいかと思います。

怨みは買わぬが吉


 この人生においては、無理に功名を求める必要はない。大過なく過ごせること、それが何よりの功名なのである。
 人と交わるときには、与えた恩恵に見返りを期待してはならない。人の怨みを買わないこと、それが何よりの見返りなのだ。

世に処(しょ)しては必ずしも功(こう)を邀(むか)えず。過ちなきは便(すなわ)ちこれ功なり。人と与(とも)にしては徳(とく)に感ずるを求めず。怨(うら)みなきは便ちこれ徳なり。(前集二八)

  •  恩恵。

処世不必邀功。無過便是功。与人不求感徳。無怨便是徳。

人の怨みを買わないような生き方をしてほしいというのです。

なぜなら、一度人の怨みを買うと、いつかどこかでその怨みを晴らされることを覚悟しなければならないからです。

ことばの後段には「人から受けた怨みは忘れてしまえ」ということが書かれていましたが、これは日本人なら、あまり抵抗なく受け入れられるのではないでしょうか。

私どもの国民性はおおむね淡白で、仮に人の怨みを買っても、ぺこんと頭を下げれば、「以後、気をつけろ」ぐらいで、水に流してもらえるからです。

しかし、世界に目をやると、そういうわけにはいきまません。

たとえばナチスの犯罪に対しては、何十年たっても、その犯人を世界の隅々まで追いかけ、墓をあばいてまでも報復しようとします。

ヨーロッパだけではありません。アジアの近隣諸国でも、やはり何十年にもわたって、容易には溶けない感情のわだかまりが、今も根深く残っています。

また、いくら日本人は淡白だといっても、なかには執念深い人もいるはずです。気をつけるに越したことはないでしょう。

厄介なのは、怨みというのは、いつどこで誰に買っているかわからないケースが多いことです。晴らされて、あっと気がついたときには、時すでに遅しなのです。

では、人の怨みを買わないためには、どんな生き方をすればよいのでしょうか。

中国古典のなかから、二つのアドバイスを紹介しておきましょう。まず、『論語(ろんご)』に出てくる孔子(こうし)のことばです。

「躬(み)自(みずか)ら厚くして、薄く人を責むれば、則(すなわ)ち怨(うら)みに遠ざかる」(衛霊公篇)

自分については厳しく反省し、他人に対しては寛容な態度で臨む。そうすれば、人の怨みを買うことも少なくなる。

もう一つは、『呻吟語(しんぎんご)』のアドバイスです。

「隔(かく)の一字(いちじ)は、人情(にんじょう)の大患(たいかん)なり。故(ゆえ)に君臣(くんしん)、父子(ふし)、夫婦、朋友(ほうゆう)、上下の交わりは、務(つと)めて隔を去る。この字(じ)去らずして、而(しか)も怨(うら)み叛(そむ)かざる者は、いまだこれあらざるなり」 (倫理篇)

隔、すなわち分けへだてをすることは、はなはだしく人情に反している。だから、君臣、父子、夫婦、朋友、上下の関係においては、つとめて隔を取り除かなければならない。この隔の一字によって、怨みや離反を招かなかった例は一つもないのである。

二つとも「ごもっとも」とうなずけるようなアドバイスではありませんか。

私の経験から、もう一つ付け加えておきますと、こちらが何気なく口にしたひと言が、いたく相手の心を傷つけているケースです。これも気づかないうちに怨みを買ってしまいます。そういう意味でも、発言はくれぐれも慎重にしたいものです。

怨みを買わないように生きる。これもまた人生を全うする心得といってよいでしょう。

友人とどう交わるか


友人とは、三分の俠気(きょうき)をもって交わり、人間としては、純粋な心を失わずに生きるべきだ。

友と交わるには、須(すべか)らく三分(さんぶ)の俠気(きょうき)を帯(お)ぶべし。人と作(な)りは、一点(いってん)の素心(そしん)を存(そん)するを要(よう)す。(前集一五)

交友須帯三分侠気。作人要存一点素心。

「俠気」とは、何かあったらいつでも相談に乗ってやるぞ、困っているなら助けてやるぞ、という男気のこと。友人であるからには、これが三分はほしいというのです。

ということは、これがゼロだと、もう友人とはいえないということでしょう。

そういえば、日本の歌詠みは友の条件として「六分(りくぶ)の俠気、四分の熱」(与謝野鉄幹「人を恋うる歌」)とうたっています。『菜根譚』はそこを三分と押さえているのです。

なぜでしょうか。たぶん、六分も持ちますと、こちらも共倒れを免れないからでしょう。その点、『菜根譚』のほうが現実的といってよいかもしれません。

友人に助けを求める場合、求める側もそれくらいのことは心得てかかるべきでしょう。

こういう「俠気」で結ばれた友人が一人でも二人でもいてくれると、この人生を生きていくうえで、非常に心強いものがあります。私の場合、とくに長く付き合ってきたのは、高校時代からの友人たちです。こういう友というのは、歳を取ってからではなかなかつくれないかもしれません。『菜根譚』も、「新知(しんち)を結ぶは、旧好(きゅうこう)を敦(あつ)くするに如(し)かず(新しい友人を求めるよりは、古い友人を大切にしたい)」(前集一一〇)といっています。

私の経験からいうと、同級会がたびたび開かれるようになるのは、六十代あたりからでしょうか。そんなとき、旧交を温めるのも一案かと思います。

気兼ねなく本音がいえる相手がいるだけでも、心が安まりますよ。

提案,コミュニケーション
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やんわりと対処する


 人の欠点は、できるだけ取り繕ってやらなければならない。むやみにあばき立てるのは、欠点をもって欠点を咎(とが)めるようなもので、効果は上がらない。
 頑固な相手に対しては、辛抱強く説得しなければならない。へたに感情をむき出しにして突っかかるのは、頑固をもって頑固に対するようなもので、まとまる話もまとまらなくなる。

人の短処(たんしょ)は曲(つぶさ)に弥(び)縫(ほう)を為(な)すを要(よう)す。如(も)し暴(あらわ)してこれを揚(あ)ぐれば、これ短(たん)を以(も)って短を攻(せ)むるなり。人の頑(がん)あるものは、善(よ)く化(か)誨(かい)を為すを要す。如し忿(いか)りてこれを疾(にく)まば、これ頑を以(も)って頑を済(すく)うなり。(前集一二一)

  • 弥縫 ほころびを繕うこと。
  • 化誨 教えさとすこと。

人之短処要曲為弥縫。如暴而揚之、是以短攻短。人有頑的要善為化誨。如忿而疾之、是以頑済頑。

これもある程度人生経験を積んでくると、誰に教えられるともなく、なんとなくわかってくるのではないかと思います。

人は誰でも長所と短所を併せ持っています。これについてよくいわれてきたのは、自分の短所には気づかないけれども、人の短所はよく見えるということです。見えると、つい口にしたくなるのが人情です。

さすがに面と向かって口にすることはためらわれますが、たとえば第三者に、「あいつはけしからんやつだ。じつはこうこうこういうことがあってな」などと漏らしたとします。こういう話というのは、「これは内緒だよ」といくら念を押しても、回りまわって相手の耳にも入っていくものです。聞かされる相手だって面白くないでしょう。そのしっぺ返しが、いつかどこかで返ってくることにもなりかねません。

見て見ないふりをしているのが一番無難なのかもしれませんが、それではすまない場合もあります。たとえば親子や友人同士のような間柄です。こういう場合は、気づいたら、何かひと言あってしかるべきでしょう。

そういうときの心得として、『呻吟語』の次のアドバイスも参考になるかもしれません。

「人を責むるには含蓄(がんちく)せんことを要(よう)し、太(はなは)だ尽くすを忌(い)む。委(い)婉(えん)ならんことを要し、太だ尽くすを忌む。疑似(ぎじ)ならんことを要し、太だ真(しん)なるを忌む」(応務(おうむ)篇)

相手を咎めるときには、いいたいことを全部いってしまわないで、控えめにしたほうがよい。また、ずけずけいわないで、婉曲ないい方をしたほうがよい。さらに、露骨ないい方は避けて、何かのたとえでも引いてそれとなく指摘したほうがよい。

「それとなく、やんわりと」ということでしょう。これなら相手もあまり抵抗を感じないで受け入れてくれるかもしれません。

この問題についてもう一つ紹介しておきたいのは、『三国志(さんごくし)』の一方の雄であった呉(ご)の孫権(そんけん)の語ったことばです。この人は部下の育て方、使い方のうまいトップでしたが、そのコツについて、こう語っています。

「その長(ちょう)ずる所(ところ)を貴(たっと)び、その短(たん)なる所を忘(わす)る」(『三国志』)

部下の長所を引き出すようにし、短所には目をつむってやった。

「忘る」といっても、これはことばの綾(あや)で、ほんとうに忘れるわけではありません。短所は短所として把握しておりながら、目くじら立てて咎めなかったということです。

これなら部下もやる気になったことでしょう。

孫権のこのやり方は上司と部下の関係だけではなく、他の人間関係にも当てはまるかと思います。

どうしても相手の短所に注意を促さざるをえないときには、同時に、相手の長所も取り上げてほめてやる、これなら相手も素直に耳を傾けてくれるかもしれません。

楽しみは相手に譲ろう


 失敗の責任は共有すべきだが、成功の報酬は人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、必ず仲違(なかたが)いが生じる。
 苦しみは共有すべきだが、楽しみは人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、ついには憎み合うようになる。

当(まさ)に人と過(あやま)ちを同じうすべく、当に人と功(こう)を同じうすべからず。功を同じうすれば則(すなわ)ち相(あい)忌(い)む。人と患難(かんなん)を共(とも)にすべく、人と安楽(あんらく)を共にすべからず。安楽なれば則ち相仇(あいあだ)す。(前集一四一)

当与人同過、不当与人同功。同功則相忌。可与人共患難、不可与人共安楽。安楽則相仇。

こんな話を耳にしました。

「二人で資金を出し合って会社を興し、苦労の末に優良企業に育て上げ、社長と専務におさまった。ところが、そのころから二人の仲がおかしくなり、ケンカ別れのようなかたちで袂(たもと)を分かってしまった」

こういう話を聞くたびに、私は范蠡(はんれい)という人物を思い出します。

范蠡は越(えつ)王勾践(こうせん)に仕えた重臣です。主君の勾践を助けて、艱難辛苦(かんなんしんく)の末に、ライバルの呉(ご)王夫差(ふさ)を倒します。

勾践は覇者として天下に号令するようになり、范蠡はその功績によって大将軍に任命されます。位、人臣をきわめたと言ってよいでしょう。

『史記(しき)』によれば、そのとき范蠡はこう考えたというのです。

「大名(たいめい)の下(もと)には、以(も)って久(ひさ)しく居(お)り難(がた)し。かつ勾践(こうせん)の人となり、与(とも)に患(うれ)いを同(おな)じくすべく、与に安(やす)きに処(お)り難し」(越王勾践世家(せいか))

得意の絶頂にある君主のもとに長くとどまっているのは危険である。しかも勾践は、苦労を分かち合うことはできても、楽しみは共にできないお人だ。

こうして范蠡は、せっかく手に入れた大将軍の地位を惜しげもなく捨てて勾践と袂を分かち、一族を引き連れて北の斉(せい)に移り住みます。そして斉では一転して経済活動に従事して、またたく間に巨万の富を築き、盛名(せいめい)に包まれながら死去したといわれます。

この人は、仕えては出処進退を誤らず、経済活動でもめざましい成功を収めました。それというのも、人間を読み、情況を読む能力がひときわすぐれていたからです。

「明哲保身(めいてつほしん)」(『詩経(しきょう)』)という四字句があります。「明」も「哲」も、深いヨミのできる能力を指しています。これがあってこそ身を全うできるのだというのです。

范蠡こそ、まさしく明哲保身の人といってよいでしょう。

この先、仲間と起業しようという人もいるかもしれません。

よく、二人で分け合えば苦しみは半分に、喜びは二倍になるなどといいますが、喜びが現物としてある場合は、この限りではないということでしょう。

苦しみが半分になるのは歓迎だが、楽しみが半分になるのは勘弁だという、手柄を独り占めしたいタイプの人はいます。

一緒に苦労をしてきたとしても、成果の分配がもめ事の発端になり、憎み合うぐらいなら、いっそ相手にあげてしまったほうがまだましかもしれません。

共同経営者の場合はそうもいかないでしょうが、人付き合いも利益が絡むと、また別の注意が必要になります。

危険を避け安全を保つ、明哲保身の術が身についているかどうか。

後半生を生き抜いていこうとするなら、そのあたりもしっかりチェックしてかかることが望まれます。

ピンチこそチャンス
守屋 洋
著述家、中国文学者。1932年、宮城県生まれ。東京都立大学大学院中国文学修士課程修了。書籍の執筆や講演等を通して中国古典をわかりやすく解説。SBI大学院大学で経営者・リーダー向けに講義を続けている。著書多数。

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