経営者なら、「会社の倒産」を考えることもあるだろう。債務超過や赤字が継続すれば、会社は倒産する。会社が倒産すると従業員の雇用は失われ、経営者自身も個人保証によって破産することがある。しかし、会社を再生できるケースもある。再生できれば従業員の雇用は守られ、金融機関にも借入金を返済できる。この記事では、企業再生の成功事例として日本航空、カネボウ、ダイエーのケースを紹介する。

企業再生とは?

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(画像=PIXTA)

企業再生とは、債務超過や赤字など経営不振に陥っている企業の事業を再建することだ。企業が経営不振に陥る原因には、

・設備投資の過剰
・事業多角化の失敗
・営業力不足
・競争力不足

など、さまざまなものがある。企業再生を行うにあたっては、経営不振の原因を分析し、その原因を排除することによって経営を安定させることになる。再生の手法としては、

・借入金返済のリスケジュール
・中小企業再生支援協議会などによる私的整理
・民事再生や会社更生などの法的整理

などがある。

会社が経営不振になると、倒産を考えることもあるだろう。会社が倒産すると、経営者の収入が途絶えるだけでなく、従業員の雇用も失われる。経営者が金融機関に対して個人保証をしていれば、経営者が破産することもある。

会社の今後について悩んでいる場合は、企業再生の可能性について検討すべきだ。

企業再生の成功事例1 日本航空

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企業再生の成功事例として、最初に日本航空のケースを見てみよう。日本初の国際線定期航空運送事業の免許会社として発足した日本航空は、2010年に破綻したものの、企業再生支援機構の支援により、V字回復の再生を果たした。

破綻の原因

破綻の直接的な原因は、2008年のリーマンショックだ。しかし、長年にわたって形成されてきた以下のような脆弱な企業体質も破綻の原因と言われている。

・大型機を大量に保有していたため、供給座席が需要に対して過剰になりがちだったこと
・ホテルなど関連事業に対する投資が本業の足を引っ張っていたこと
・複数の労働組合が存在し、労使関係・労々関係が紛糾していたこと
・政治的な理由から、採算が取れない地方路線への就航を強いられたこと

企業再生支援機構による経営の立て直し

日本航空の経営再建は、企業再生支援機構のもとに行われることとなった。2010年に会社更生法の適用が申請され、金融機関が5,215億円の債権を放棄し、企業再生支援機構から3,500億円の公的資金が注入され、株式の100%減資なども行われた。

その上で、徹底的な組織改革が行われた。座席の供給過剰の原因となっていた大型機は売却され、中型機を主軸とする機体編成へ転換した。また、当時は将来性が高いと言われていたJALカードなどを含め、関連会社も次々と売却された。

希望退職が複数回にわたって募集され、大幅なリストラも敢行された。残った社員の給与水準も引き下げられ、給与体系は能力主義になった。それまで行われていたパイロットのハイヤーによる送迎や、非乗務時間にも支給されていた給与なども廃止された。

稲盛和夫氏の手腕

日本航空の企業再生が成功したのは、会長に就任した京セラ創業者 稲盛和夫氏の手腕によるところが大きいと言われている。例を挙げると、それまで日本航空では「路線ネットワーク」単位で収支を計算していた。しかし、稲盛氏は個別路線ごとの収支を重視し、セミナーなどを通して幹部社員を中心にそれを徹底させていった。

リストラや給与水準の引き下げ、差別化などについては、労働組合からの反発が予想された。結果的に組合側が協力することになったのは、組合自身が会社の将来に対して大きな危機感を抱いていたことに加えて、支援機構および稲盛氏が高い交渉力を発揮したためと考えられている。

このような経営改革が行われたことにより、2010年は1,337億円の赤字だった日本航空は、2012年3月期に2,049億円の営業黒字を達成し、まれに見るV字回復を遂げた。2012年9月には再上場を果たし、その後の経営は順調に進んでいる。

企業再生の成功事例2 カネボウ

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次に、カネボウのケースを見てみよう。1887年創業の名門企業カネボウは、2003年に深刻な債務超過などによって破綻、産業再生支援機構の支援により再生した。

破綻の原因

カネボウが破綻した原因は、「ペンタゴン経営」と呼ばれる多角化路線の失敗と言われている。もともと紡績業だったカネボウは、日用品、化粧品、食品、住宅・不動産に進出して事業を行っていた。

化粧品事業は1970年代から80年代にかけて大きく成長し、多角化に成功したと言える。しかし、バブルが崩壊すると、さまざまな歪みが生じた。

特に繊維事業の赤字が続いていたため、テコ入れするために化粧品事業の利益が投入された。そのため、成長性が高い化粧品事業に対する再投資が行われにくくなっていたことが大きな問題となっていた。

化粧品事業の再生

カネボウを再生するにあたり、化粧品事業を他の事業部門から切り離し、分離・独立させることになった。新会社カネボウ化粧品に対して、産業再生支援機構から860億円、カネボウ本体から140億円が出資され、機構は85%の議決権を持つこととなった。

カネボウ化粧品の再生にあたっては、貴重な人的資源である8,000人のビューティーカウンセラーのモチベーションの維持・向上が最も重視されたという。また、流通チャネルの見直しやブランドの統廃合などが行われ、業績は順調に回復していった。

カネボウ化粧品は2006年に花王に売却され、今日に至っている。

カネボウ本体の再生

カネボウ本体は、ホームプロダクツと医薬品、食品の3事業をコア事業として再生し、それ以外のノンコア事業は売却された。995億円の債権放棄と400億円のDES(債権の株式化)、99.7%の減資、および10株を1株とする株式併合などが行われ、再生が順調に進んでいたところで、過去の粉飾決算が発覚した。

上場廃止となったカネボウ本体は、上場による株式売却というエグジットを失い、M&Aによってエグジットするほかなくなった。売却先の選定が行われ、花王と国内3ファンドが引受先となった。カネボウ本体は、現在は「クラシエ」と社名・ブランド名を変更し、業績は好調に推移している。

企業再生の成功事例3 ダイエー

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最後に、ダイエーのケースを見てみよう。深刻な経営危機に陥ったダイエーは、2004年に産業再生支援機構が支援に入った。支援は成功し、2013年にイオンの連結子会社となったが、結局2014年に上場廃止となり、ダイエーは事実上消滅した。

経営危機の原因

1957年に「主婦の店ダイエー」として大阪で創業したダイエーは、大量仕入・大量販売による「価格破壊」で急成長した。1972年には旧三越の売上高を抜き、小売業界でトップになった。また、米国で誕生したプライベートブランドをいち早く取り入れ、効率性が高いビジネスモデルを確立したことでも知られている。

ダイエーがバブル崩壊とともに低迷した主な原因は、不動産を自社保有して大量出店していたことと考えられている。地価の下落とともに含み損が増え、十分な収益を上げられない店舗も増えていった。

また、ホテル建設などの不動産事業に進出していたことで、バブル崩壊による地価下落の影響の直接受け、不良債権を増大させた。さらに、全国共通の商品供給を継続したことで消費者ニーズとの乖離が生じ、消費者が離れていった。

産業再生支援機構による企業再生

ダイエーはメインバンクの支援のもとリストラなどを行ったが、経営不振が深刻化したため、2004年に産業再生支援機構が支援することとなった。産業再生支援機構がまず行ったのは、ビジネスモデルの再構築だ。

小売業をコア事業とし、ノンコア事業である福岡ダイエーホークスや福岡ドーム、ローソン、リクルートなどは売却された。小売業に関しても、不採算店53店舗を撤退・売却、新規出店は食品スーパーを軸とし、総合スーパーの出店を控えた。

金融支援に関しては、1兆5,000億円の有利子負債のうち4,050億円が債権放棄、また1,195億円の資本金は1,190億円に減資され、株式は10株が1株に併合された。一方で、大規模改装や情報システムのために機構などから1,100億円が出資された。

支援終了~上場廃止

産業再生支援機構の支援は2006年に成功裏に終了し、ダイエーは丸紅の傘下となった。その後、2013年にはイオンの連結子会社となっている。しかし赤字体質は改善されず2014年に上場廃止、イオンの完全子会社となり、事実上消滅した。

ダイエーが消滅は、店舗の老朽化などに十分なコストを捻出できなかったこと、また安さを追求するというビジネスモデルが時代と乖離したため、収益を生み出せなくなったことが原因と言われている。

企業再生の可能性を模索しよう

日本航空とカネボウは、企業再生を見事成功させている。ダイエーについては、最終的には上場廃止となったが、一旦は企業再生に成功した。

企業再生を行うことで、従業員の雇用は守られる。また、金融機関に対しても、より多くの借入金を返済することができる。経営不振に陥った場合は手遅れにならないよう、早めに企業再生の可能性を模索することが重要と言えるだろう。(提供:THE OWNER

文・THE OWNER 編集部