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2019年7月22日配信記事より

1956年に設立し、家電から始まり、自動車のアンテナコイル(スマートキー開発)、ABSコイル(ポンピングブレーキの自動化)など、時代に合わせて電子部品の開発を手がけてきたスミダコーポレーション株式会社。東証一部に上場し、設立63年を迎えた同社のCFO、本多慶行氏にお話を伺った。

会計士を目指したのは「父の影響」

―本多さんのキャリアのスタートは外資系監査法人で、公認会計士の資格を取られています。公認会計士を志したキッカケは何かありますか?

劇的な何かがあったわけではないですが、父が事業をしていたので、いわゆる通常のサラリーマンになろうとは思っていなかったですね。資格を取って、手に職をつけようと思っていました。当時の会計士は、ローリスクで給与も高く、資格さえあれば一生食べていけるようなイメージでした。その後、時代が変わって公的な意味合いの大きい職業に変化したように感じています。

働きながらMBAを取得、キッカケは「先輩の影響」と「流行」だった

―最初の就職先に外資系である「クーパースアンドライブランド(現プライスウォーターハウスクーパース)」監査法人を選んでいますが、日本の監査法人ではなく、あえて外資系を選んだのはどうしてでしょうか?

当時、日本よりもアメリカの方が監査業界が進んでいると感じたからです。例えば、アメリカの会計士は、最初のキャリアで監査法人ではなく、事業会社を選ぶ人も少なくない。日本でも、監査法人から事業会社に行くキャリアパスも見られてきましたが、ごく最近のことだと思います。アメリカでは、監査法人でパートナーになる難易度が高く、マネージャーまでやって、その後事業会社へ行くのが、よく見られるキャリアパスでもありますね。

―その後、同シカゴ事務所に転籍し、働きながらMBAを取られていますが、MBA取得を目指したキッカケは何でしょうか?

今、中国からアメリカの大学に留学する人が多いように、当時日本ではMBAを取ることが流行っていたんです(笑)あとは、会計事務所の先輩にそういう人がいらっしゃったんですね。それで、キャリアにもプラスになると思って目指しました。最初は退職して留学するつもりだったのですが、事務所が奨学金を出してくれるというので、現地法人に転籍して、昼間は仕事、夜はシカゴ大学経営大学院に通って、無事MBAを取得できました。

―かなりハードな日々を送られていたんですね。実際に、MBA取得はその後のキャリアにプラスに働きましたか?

そうですね。クーパースのあとは事業会社に転職しているのですが、転職にあたっての良いフックになったと思います。経営大学院での勉強というのは、いまのCFOという仕事にもとても役立っていますしね。

監査法人から事業会社への転職、キッカケは1本の電話

―監査法人のあと、事業会社(ペプシコ・インク ニューヨーク本社)へ転職されていますが、このキャリアチェンジのキッカケは何だったんでしょうか?

スカウトですね。有名な人材サーチ会社からいきなり電話がかかってきたんですよ。怖いですよね(笑)でも、元々 、一生アメリカにいようとは思っていなかったので、 転職を決めました。その後は、しばらく現地で働いたあと、日本法人のファイナンス責任者になってくれないかとの打診をいただき、帰国しました。

―監査法人の退職は、すんなりできましたか?

当時、パートナーに選任されたタイミングだったので、怒られましたね(笑)でも、アメリカのクーパースに転籍して7年間住んでいて日本に帰国する機会はそういつもあるものではないので、決意しました 。

帰国後に経験した試練が、次のキャリアのキッカケに

―帰国後は、日本ペプシコーラ社の経営企画部長を経て、財務本部長の仕事をされていますが、どういったことをされていたのでしょうか?

これは大変でしたよ。あまり知られていませんでしたが、当時のペプシコーラのニューヨーク本社は、サントリーさんに日本のペプシコーラ事業を営業譲渡することを検討していたんです。これは日本法人では数人しか知らないことで、アメリカ本社で1年くらいかけて水面下で営業譲渡の条件交渉を進めていました。いわゆるチェンジオブコントロールを始めて経験しました。本部長以上は全員退職、他の社員は全員転籍という条件でしたので、私は退職することになっていました。このとき42、3歳でした。

そんなときに、またペプシコに転職したときと同じ人材サーチ会社から電話がかかってきて(笑)スカウトを受けて、シスコシステムズ株式会社に財務本部長として入社しました。このときはITバブルで時価総額世界一になったこともありました。後に、バブルバーストも経験しましたが。

―帰国後、激動のキャリアを歩まれたのですね。その後も各事業会社で経験を積まれて、平成14年に入社されたディーアンドエムホールディングス株式会社で始めてCFOに就任されました。その後のキャリアはずっとCFOを歴任されていますが、業種が様々ですね?

そうですね。変わったところだと、コロンビアミュージックエンタテインメント株式会社の取締役にも就任していましたよ。他にも複数社の取締役に就任しました。というのも、平成17年にCFOとして入社した株式会社RHJIインターナショナル・ジャパン(旧リップルウッド・ジャパン)は、経営不振企業を買収し、企業価値を高めてから売却して利益を得る再生ファンド、バイアウト・ファンドと言われる組織だったんですね。そこで代表取締役CFOに就任し、買収した各企業の取締役に入って再生を手がけていたわけです。

―なるほど。しかし、今でこそ一般的なバイアウト・ファンドですが、当時はまだ先駆けですよね。風当たりは強くなかったですか?

それはもう強かったですよ(笑)。聞いたこともあるかもしれませんが、ハゲタカファンドなんて呼ばれていましたからね。嫌われていたと思います。しかし、裏側に目を向ければ、投資をして利益を得ているのは日本の会社を含めて資金をファンドに運用委託している投資家なんです。バイアウト・ファンドは、誰がベストオーナーか(誰が株主になったら会社が伸びるのか)を判断してブリッジをする役割なので、今はそれが理解されていると思います。

「株主視点」がCFOとしての強みに

―多くの会社で多くの仕事を経験されていますが、現在までCFOとして仕事をするにあたり、これはプラスになったと思うことは何でしょうか?

アメリカでの職務経験や、旧リップルウッドでの経験が大きいですが、株主・投資家視点で会社を見ることが出来るというのは大きいですね。CFOの仕事というのは、短期視点では務まりません。PLで収益性を見るだけでは短期視点になってしまうので、中期的な事業計画をPLだけでなく、BSやCFに及んで見るのも大切ですし、PLにしても、3年スパンくらいで見た方がいいと思います。財務体質の改善は、1年でやるものではないですからね。

アメリカでの職務経験が株主視点に及んでいるというのは、アメリカ事業会社の報酬体系によるところが大きいです。アメリカの経営者の報酬は、エクイティを使った業績連動型が主流です。株式市場の会社の評価、投資家と利益が一致するということですね。会社のキャッシュから支払われるのではなく、株式市場から支払われるので、キャッシュフローも痛まず、株主から見て公平です。 

日本でも、今後はこの報酬体系が主流になると思いますね。スミダコーポレーションは、元々時代に先駆けて中国など海外展開を早い段階から行っていましたし、CEOの八幡は香港在住者ですので、このあたりの感覚を持っていて、既にこの報酬体系を導入しています。アメリカは少し極端なところもあるので、ヨーロッパをベースに、バランスの良い体系になっていると思います。

スミダコーポレーションCFOとしてのミッションとは

―数々のご経験を経て、現在はスミダコーポレーションでCFOとして仕事をされています。 未上場の企業であれば、わかりやすくIPOをミッションとされることが多いなか、一部上場企業の御社においてのミッションはどのようなものだったのでしょうか?

株価を上げる=事業を伸ばすことと、グローバル企業としての株式価値を上げるということですね。先程も申し上げたように、CEOの八幡は元からグローバルな視野を持っておりますので、私の海外経験のバックグラウンドともマッチしました 。あとは、今は代表執行役として執行業務をしていますが、これからはしっかり人を育てていきたいとも思っています。

CFOに必要なマインド、必要な学問とは

―人を育てるというお話がありましたが、そのなかにはCFOを目指す方もいると思います。 CFOに必要なマインドや、必要な学問とは何でしょうか?

CFOに必要なマインドは、2つあると思っています。

1つは有名な伊藤レポートにもあるように「経営者としての財務最高責任者」の意識や視点を持つことです。最高経営責任者であるCEOが思い切った経営執行をするには、経営者と二人三脚で企業経営を行うCFOの存在が必要です。たまに、「組織に依存しないCFO」というようなCFOの仕事や存在が、会社と切り離されているように感じる記事を目にしたりしますが、それではCEOの意思決定を助けて一緒に経営していくという状態にはならないかと思います。

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もう1つは「有視界飛行と計器飛行」の視点です。CFOの仕事というのは、ひとくくりに出来るものではなく、会社の規模やステージによって異なると思うんです。例えば、規模の小さい会社だとCFO自身が経理などのハードスキルを持っていることが重要だったりすることもあると思いますが、規模が大きくなると、そこは人に任せて、より全体を見なければいけませんよね。

有視界飛行は、自分の目視で運転する飛行方法なので、ハードスキルで自分が手を動かす、規模の小さい会社のCFOに例えられます。一方、計器飛行は常に航空管制官の指示に従って飛行する方法なので、規模の大きい会社で社員と連携しながら業務を行っていくCFOに例えられます。

規模の小さい会社で、自分で全体を見渡せる段階から、規模が大きくなると自分で全体が見えなくなるので、そうなったときにいかに社員に任せて、社員を成長させていけるかも、CFOの重要な仕事であると思っています。

―なるほど。有視界飛行と計器飛行の例はとても分かりやすいですね。そのようなCFOを目指すにあたって、必要な学問はありますか?

学問でいうと、コーポレートファイナンスがCFOには1番身近であると思います。日本では、なかなか大学院への進学率が少なく、学べる機会が少ないなと感じていますが。会計教育は大学でもありますが、コーポレートファイナンスになると、経営大学院になります。もちろん後からでも勉強することは出来ますが、より早いうちに学べる機会がもっとあっても良いなとは思いますね。

―本多さんの様々なキャリアのお話と、CFOとしてのマインドの話など、とても参考になりました。 ありがとうございました。

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【プロフィール】
本多 慶行 (ほんだよしゆき)スミダコーポレーション株式会社代表執行役 CFO

1956年1月8日 東京都千代田区生まれ
1978年10月 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業
1990年12月 シカゴ大学経営大学院修了(MBA)

1992年まで日本、米国で監査業務に従事していた公認会計士出身CFOの“草分け”的存在。USペプシコ本社に勤務後、日本ペプシコーラ社に転勤、経営企画部長、財務本部長を歴任。サントリーへのペプシコーラ事業の営業譲渡後、シスコシステムズ株式会社に入社、財務本部長に就任。ペプシコ、シスコシステムズでアメリカ型の多国籍企業の先進的経営を経験。その後、プライベイト・エクイティー、リップルウッドの投資先、株式会社ディーアンドエムホールディングスCFOに就任、事業会社の買収、統合を通して株主価値を創出するビジネスモデルを経験。その後、株式会社RHJインターナショナル・ジャパン(旧リップルウッド・ジャパン)CFOとしてディーアンドエムホールディングスを含む幅広い投資先の取締役、監査役として経営に参画。現在、スミダコーポレーション株式会社のCFO、日本マクドナルドホールディングス株式会社の社外監査役として、今までの豊富な経験を生かしつつ、新たな取り組みを積極的に推進している。