2019年8月22日配信記事より
「在宅ホスピスの研究と普及」をミッションとして掲げ、超高齢社会における重要課題の一つである「看取り」へ対応するため、看護師・リハビリ療法士・介護士を中心に在宅ホスピスサービスを提供している、日本ホスピスホールディングス株式会社。同社の、常務取締役 管理本部長である加藤晋一郎氏にお話を伺いました。
ホスピス住宅は、自宅と病院の「いいとこ取り」 最期の時間を、自由に、安心して過ごしてほしい
― まずは、御社の事業内容をお聞かせください
主な事業は、在宅ホスピス事業で、弊社は、入居者を主に末期がんや難病の患者に限定して、ホスピス住宅にてケアサービスを提供しています。
現在、日本では社会保障費が増大していることもあって、病院を中心とした施設から在宅(自宅)へと医療がシフトしています。また、昨今は、終末期を自宅で過ごしたいと希望する患者さんが多くなっている一方で、介護するご家族も高齢化が進んでいるため、ご家族の負担は大きく、そうなるとご本人も遠慮したり、という話をよく聞きます。プロの医師や看護師が不在なので、いざというときにも困りますしね。さらには、末期がん患者等が増加している中、受け入れる施設数が圧倒的に不足しており、「医療難民化」が進行してるんです。
そこで、弊社は、事業としてホスピス住宅というものを考え、造りました。ホスピス住宅は、自宅の自由度と病院の安心感、どちらの要素も兼ね備えています。過ごし方に制限はなく(=自宅の自由度)、看護師や介護士、リハビリスタッフが常駐しているので、医療依存度の高い方も安心して過ごすことが出来るんです(=病院の安心感)。
― なるほど。今後、高齢化社会が進むにつれて、より需要が高まっていきそうですね。その意味で、国策ともかかわる事業になりますか?
そうですね。むこう何十年と課題になるものですから、密接にかかわっています。
弊社は、現時点では、サービス対象者を限定しているので、超巨大企業になる事を想定していませんが、コンパクトに、社会に必要とされるサービスを提供していきたいと思っています。自分自身もコンパクトな企業が好きですし。
初めてホスピス住宅を訪れた時、自分や自分の両親も、こういうところで最期の時間を過ごせたら良いなと感じました。
海外移住の夢を現実にしたら、気づけばシリコンバレーで社長に就任していた。
― コンパクトな企業が好きということですが、それは昔からですか?
段階的にそう考えるようになっていきました。
最初は、公認会計士の資格を取って監査法人に入ったのですが、学生時代、漫然と就職活動をする気になれずにいて、会計士になったら、創業社長と話す機会がたくさん出来るのかなと思って、選んだんです。そこで8年やって、確かに多くの経営者とお話できるのはすごく刺激的でおもしろかったのですが、監査はあくまでも、事業会社が作成した決算書等を検証する仕事ですので、徐々に、事業会社のなかで、プレーヤーとして物事を動かしてみたいという思いが強くなっていきました。
そこで、転職しようと考えていたのですが、この頃に結婚をしまして。新婚旅行で海外に行ったときの体験が素晴らしく、海外に住んでみたいという強い気持ちが生まれました。
このとき、SARSという感染病が流行った時期で、海外渡航者が少なく、キャンセルも多く、行く先々で、ホテルや航空券のグレードアップ等、良いサービスをしてもらえました。素晴らしかった体験というのは、これです(笑)
とにかく、いままで一度も海外に興味を持ったことが無く行ったこともなかったのに、急速に海外に惹かれていきました。良いサービスを受けられたのもそうですが、肌に合っていたのかなと思います。
英語が全く話せなかったので、帰国後は英会話スクールに通ったものの、会話が出来るようになるまで時間がかかり過ぎると感じ、米国の公認会計士を受験する事にしたんです。試験に合格したのち、転職活動を経て、米国シリコンバレーの医療機器メーカーにCFOとして入社することになりました。
― 有言実行されたのですね。海外でのご経験で印象に残った出来事はありますか?
すべてが印象的で、この時期の経験は私のなかでとても大きな財産になっています。
そのなかでも、世界中のエンジニア等と現場で密にやりとりしながら、ゼロから最先端の医療機器を作り上げたことと、その会社のCEOになったことが大きなトピックスですね。まさか、アメリカで社長業をやることになるとは思いませんでした(笑)
― なぜ、CEOに就任することになったのですか?
前任のCEOが退任することになりまして。そうしたら、CFOであった私にオファーが来たということです。エンジニアやドクターと話しながら事業を進めていくことに面白さも感じていたので、お受けしました。途中、米国ボストンにある会社の会長職も兼務するなど、貴重な経験をさせてもらいました。
言葉の壁を乗り越えたのは「ピアノ」と「歌」だった
― かなりキャリアの幅があったのですね。英語は最初から話せたのですか?
最初は全く話せませんでした。日本である程度習得してから行きたかったのですが、やはり日本で働きながら週1くらい英会話教室に通うだけでは身につかなくて。これはもう、住めば話せるようになるだろうと思って飛んで行きました(笑)
最初、コミュニケーションを取るのに役立ってくれたのが、ピアノと歌だったんです。実は、音大志望でピアニストになりたかったんですよ。歌うことも大好きで、どんな場所でも歌います(笑)
会社には広いフリースペースがあったので、グランドピアノをレンタルして、リクエストを受けて弾き語りしているうちに、最後は募金箱まで置かれるようになって、、、音楽に国境はないんだなって思いましたね。
ちなみに、今でも当社のホスピス施設や、他社の老人ホームなどで弾き語りさせてもらう機会は多いです。人間の五感のなかで、聴覚は最後まで残ると言われているので、利用者さんが喜んでくださるなら、どこにでも行って弾いて歌います。
― ピアノまで弾けるとは驚きました。もちろんCFOの仕事の範疇ではないですが、仕事をこだわりで選ぶようなことはあまりないのでしょうか?
それは全くないですね。
基本的に、ベンチャー企業の良い意味で混沌としている環境や、創業社長の持っている独特な価値観が好きで、今の会社には、IPOをプレーヤーとして経験してみたい、日米で携わっていた医療系のビジネスにも関わりたい、という理由で入社しました。
「数字」の正しい扱い方が分かったことが自分の強み。
― いままでも事業会社に籍を置かれていましたが、日本ホスピスホールディングスでは、またさらにベンチャー企業に転身されています。今までの経験が活きていると感じることはありますか?
シリコンバレー時代から米日通算で約8年間、管理部門や数値とは離れ、研究開発の現場で、毎日エンジニアと仕事をしてきました。現場との連携や対話をとても大切にして働いてきましたので、事業数字の正しい扱い方が分かるようになりました。
書類上で見る数字は、ただの数字ですが、その裏側には様々なひとの働きやドラマがあるんです。特に医療系の事業だと、その数字が数字として表れるまでに、5年、10年といった長い年数がかかることも珍しくありません。研究開発や検証を繰り返して、やっと数字として回収できますから。その数字を一緒に作ってきた経験があるということが、私の強みになっていますね。
現場が好きなので、これからも管理本部をむやみに大きくせず、バンランスのよいCFOでありたいと思っています。
涙の上場日。上場後の変化とは?
― そのなかで、御社は今年の3月28日に東証マザーズに上場されました。そのときの加藤さんのお気持ちや、社内の雰囲気はいかがでしたか?
上場はゴールではなく、スタートだと思っていますが、当日は感慨深いものがありました。
午前9時に株式市場がオープンするのですが、それに合わせてカウントダウンがあるんです。感極まってしまい、それを自分たちの上場へのカウントダウンと勘違いして、涙がこぼれてきました。誰も予想していないタイミングで、しかも勘違いで泣いてしまったので、カメラ隊からは「撮影のタイミングを逃した」とあとで怒られました(笑)
それまでは、自分のキャリアのなかで、アメリカで社長に就任した瞬間が1番想い出深いイベントでしたが、それに勝るとも劣らない経験でした。
― お茶目なエピソードもあり(笑)加藤さんの人生においても貴重な経験となったのですね。上場から半年ほど経って、何か変化はありましたか?
特段、大きな変化があったわけではないですが、上場したことで、投資家さまと会う機会が多くなり、関連業務は増えました。
― 業務を拡大していくうえで、専門職(看護師、介護士)の方の採用も課題になって来ると思いますが、この採用への変化はなかったのでしょうか?
おかげさまで、看護師等の専門職の採用は、ずっと好調なんです。
看護師さんの心根には、患者と寄り添いたいというホスピタリティがあります。その一方で、先ほど申し上げた社会保障費の増大という課題解消のため、病院では患者の入院日数の短縮化が進んでおり、最後まで患者に寄り添うことが難しくなってきている、そんな話をよく聞きます。
そういった環境の変化のなか、最後まで患者に寄り添いたいと思う看護師、主に、病院で緩和ケアを長年経験したベテランの看護師が来てくださることが多いです。
緩和ケア、ホスピスの領域は、医師ではなく看護師が主役となれるフィールドですので、彼ら彼女たちの看護観を叶えることができる、当社はそういった場所を提供したいと思っています。
これまでのキャリアを振り返って思うこと。今後の目標
― 働く方も、利用者の方も、お互いの希望が叶えられる場所になっているのですね。 加藤さんご自身は、今までのご自分のキャリアを振り返ってみて、いま何を感じますか?
その時々の、自分のなかのベストを選択してこられたかなと思ってます。総じて、自分の仕事人生は、昔も今も楽しいです。
会計士から始まり、海外でCEOを経験し、上場会社の執行役員や外資系企業のCFOを経て、いまは上場会社のCFOという立場ですが、すべてその時々に一番やりたいことを選択してきました。また、どの時代にも言える事ですが、仲間に恵まれていたと強く感じます。
これからCFOになりたいと思っている方にも、自分の性格をよく知った上で、素直に選択することが一番大切なことではないか、とお伝えしたいです。職種に限らず、その時々で、これを頑張りたいなと思うことを頑張ってやると、必ず良い道が開けると思っています。
CFOにも色々なCFOがいますし、事業フェーズによって求められる資質と役割が変わってきます。自分がCFOになりたいのだとしたら、どういうことをするCFOになりたいのか?自分の性格に応じてしっかり考えて選択すると良いと思います。
― 自分の人生を決めていくうえで、自分を知るということはとても大切なことですね。これからの加藤さんの目標や目指すところはどこにあるのでしょうか?
まずは、目先のことでいうと、東証一部への市場変更を目標にしています。それに応じて、事業レベルをもっと引き上げていきたいですね。
また、冒頭お話したように、国策とも密接にかかわる事業ですので、国や自治体とも対話を重ね、質の高いサービスを提供し続けたいと思っています。社長が色々なアイデアを思いつくタイプなので、飽きませんし、楽しいですよ。
自分たちの創る事業によって、よりたくさんの方の幸せに貢献出来たらこんなに嬉しいことはないので、社員一同、引き続き頑張っていきたいと思っています。
― CFOという仕事の枠にとらわれず、いつもご自分の人生のなかでのベストを選択されている加藤さんのお話は、とても楽しく貴重なお話でした。ありがとうございました。
【プロフィール】
加藤晋一朗(かとうしんいちろう)日本ホスピスホールディングス株式会社 常務取締役 管理本部長
公認会計士としてIPO目的会社を含む多くの法人に関与。監査法人退職後は、米国にて医療機器メーカーのCEO/CFOを歴任し、その後、国内上場企業(医療機器メーカー)にて執行役員COOに就任。外資系企業のCFOを経て、2015年9月に当社グループに入社、2017年1月より現職。
1998年10月 太田昭和監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)
2006年4月 Avantec Vascular Corp. CEO
2010年4月 グッドマン株式会社 執行役員COO(開発・製造・品質管理)
2013年7月 Reed Exhibitions Japan Ltd. CFO
2015年9月 ナースコール株式会社 執行役員 管理本部長
2016年3月 同社取締役就任 常務執行役員 管理本部長
2017年1月 日本ホスピスホールディングス株式会社 常務取締役 管理本部長