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2019年9月4日配信記事より

「町田商店」に代表される“家系ラーメン”チェーンの運営会社として知られる、株式会社ギフト

「世界一のラーメン屋になる」というビジョンのもと、躍進を続けている秘訣は、ユニークなビジネスモデルと、強い管理部門の構築にありました。その管理部門の構築からIPOを果たすまで同社の管理部門をけん引した、取締役管理本部長 末廣紀彦氏にお話しを伺いました。

数字が嫌いではなかった学生時代。経営学部で学んだ、ある財閥経営の形がCFOを目指すきっかけに。

― 本日はよろしくお願いいたします。まず、学生時代に明治大学経営学部で学ばれたことをお聞かせいただけますか?

元々、数字が嫌いではない自覚があって、経営学部を選びました。

当時、研究していたのが財閥経営についてで、私は安田善次郎という、安田財閥創設者の研究をしていたのですが、そのなかで興味深かったのは、安田さんが事業の実業を浅野総一郎さんという人に任せ、自分はファイナンシャルな観点から事業を支援していくということをされていたのです。財閥自体は、安田財閥と浅野財閥に分かれているのに、事業を後ろから支える役割をしている安田さんの存在に、強い感銘を受けました。

この、安田さんと浅野さんの関係は、CFOとCEOの関係そのものであるので、今思えば、このときからCFOという役割について興味を抱いたのかもしれませんね。

新卒入社からの様々な経験。「後方支援」がキャリアのキーワードに。

― なるほど。既に学生時代からCFOの役割を認識していらっしゃったのですね。 その気持ちを持って社会に出るわけですが、新卒入社からはどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

新卒で最初に入った会社は、セイコー電子工業(現:セイコーインスツル)という、時計や精密機器のメーカーでした。就職活動をする際、事業会社を希望していましたので、希望通りの入社となりました。ただ、コミュニケーション能力を活かしたいと思い、営業部への配属を希望していたのですが、実際に配属されたのは経理部でした。ここで営業部に配属されていたら、また違う道を歩んでいたかもしれませんね。

数字は嫌いではなかったので、経理部への配属も良かったのですが、経理業務はあまり好きではありませんでした。とても大事なことなのですが、経理業務においての数字は、事後にまとめるもの、という印象がありましたので、もっと数字を使って事業を前に進めるような仕事がしたいと思うようになりました。そして、経営企画部への異動を申し出たら了承いただけて、社内異動が叶いました。ここでは、新規事業や海外事業に関わる仕事をさせてもらえて、事業を進めるみんなの後方支援をして、事業結果が出たら、それがイコール自分の評価だと感じることができました。このような経験から、経営企画や事業企画が自分の生きる道だと感じるようになりました。

その後、自分の考えを経営TOPに届けたいと思うようになり、思い切って、セイコー電子よりも比較的規模の小さい会社へ転職しました。この会社は、当時上場直後でした。ここでは、経営管理室という部署を任せていただき、社内最年少の執行役員にも就任出来、大変貴重な経験をすることが出来ました。

その後は、IPOを経験したいという想いから、また違うメーカーへ転職し、ここで初めてCFOと名乗って仕事をすることになるのですが、そこではIPOが実現できず、また別の会社でIPOを経験することになります。IPOを実現出来た会社は、当時ベンチャー企業でしたので、管理部門の体制作りからする必要がありました。これは大変だなと正直思いましたね。

ただ、今までの会社もそうなのですが、関わる業種を好きになれるかどうかを重視する傾向がありましたので、その想いを元に、上場するまで乗り越えられたのかなと思います。

この想いは、今のギフトに入社するときも、非常に重視した点です。

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そして飲食業界へ転職

― 段階的に、着実にファイナンスの経験を積まれていったのですね。その後、株式会社ギフトへ転職することになるわけですが、なぜ飲食業界、そしてギフトを選んだのでしょうか?

飲食業界への転職というのは、今まで全く考えたことはなかったんです。

ただ、ギフトの前の会社を短期間で退職したあと、エージェントさんにお願いして真剣に就職活動をしているときに、別の飲食会社を紹介してもらって飲食業界も視野に入れるようになりました。何度か飲食業界を受けていて、あまり良い印象を持てなかったのですが、当社を紹介されたときにはラーメン屋の会社だと聞いて、気が変わりました。私はラーメンが大好きなのです(笑)

それでエージェントさんから詳しい話を聞いてみることになって、ちゃんと聞いてみるとビジネスモデルがとてもユニークでした。上場を目指しているということも、ここで聞きました。

運命的なタイミングでの内定連絡

― ギフトさんがラーメン屋だからこそ出会ったのですね。その後、入社までどのように運んだのですか?

エージェントさんから詳しい話を聞いた数日後に、ギフトの社長(代表取締役 田川翔氏)が何人かの候補を集めて順番に面接をする会がありまして、そこでラーメン談義しかしていないのですが、結果は合格でした。

その、内定の電話がまた運命的なタイミングでかかってきたんです。

当時、その前の会社を短期間で退職してしまったので、かなり真剣に就職活動をしていて、何社か平行して受けていたんです。そのなかの1つで、規模が大きいけれども未上場の会社のCFOで既に内定をいただいており、そこの社長さんと、細かい条件を決める目的で会食をしていたときでした。内定を受諾するかどうかの問いに対して、YESと言う寸前、ちょっとトイレに立ったときにエージェントさんから電話がかかって来まして、「ギフトの田川さんが、ぜひ末廣さんに来て欲しいとおっしゃっています」と言われました。このタイミングじゃないと電話も取れませんでしたので、かなり劇的なタイミングでしたね。結局、会食していた会社には、いったん返事を先延ばしにし、その日は帰宅しました。

そして検討した結果、ギフトの事業可能性と社長の目線の高さにかけて、入社を決めました。ギフトなら絶対上場出来ると思いましたので、頑張ろうと思えました。また、そのとき入社を検討していた企業のうち、ギフトは1番規模の小さな会社でしたが、自分が1番納得する企業に行きたいと思っていたので、迷いはありませんでした。

社長はラーメン屋であり経営者、ユニークなビジネスモデルで多店舗展開を実現

― 本当に、来るべくしてギフトさんへいらっしゃったのですね。社長の目線の高さとビジネスモデルに惹かれたということですが、具体的にどのような点に惹かれたのですか? 社長は、1店舗のラーメン屋から始めてギフトを大きくしてきているわけですが、本当にラーメン屋であり経営者であると感じます。

まずビジネスモデルですが、直営店舗だけでも「町田商店」に代表される家系ラーメンのほかに数業態あったり、家系ラーメンでも、店舗ごとに屋号を変えていたりすることに加えて、「プロデュース事業」を展開していることが1番の特色です。

プロデュース事業というのは、ラーメン屋を開きたいというパートナー企業さんに対して、食材の提供や、店舗デザイン、従業員研修、開店後のフォローなどを支援しています。ラーメンの味が良いだけ、接客が良いだけでは繁盛店にならないと考えているので、パートナー企業さんへは、直営店での経験を活かして、ギフトのメソッドをお伝えしています。パートナー企業さんへは、食材を購入してもらうことだけお願いしていて、その他の経営指導料はいただいていないです。でも、責任を持って繁盛店にするお手伝いをして、信頼関係を築けていっています。こうすることで、参入障壁を低くすることも出来ています。

職人の自我を通すだけでは、ビジネスとしては成り立ちません。社長は、こだわるところはこだわりながらも、ビジネスとしてしっかり展開していくことに注力しているので、最初は本当にラーメン屋かな?と思ったくらいクレバーだなと思います。

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そしていよいよ上場へ。

― 今や海外へも展開していますし、ますます今後が楽しみですね。入社時のミッションであったIPOも果たされましたが、上場準備期間のことや、上場した今、どのように感じていらっしゃいますか?

そうですね。上場準備に関しては、実は思ったよりも大変ではなかった印象なんですよ。もっとハードワークを想像していたので、体力が持つか心配だったのですが(笑)結果的に、スケジュールに1日も遅れることなく上場出来ました。常に追われている感は持っていましたが、それは悪い意味ではなく、やることが膨大にあって尽きないなかで、それをしっかり着実にこなせていったなと感じています。

とはいえ、上場までの2年10カ月のうち、最初の10カ月くらいは、まず管理本部の体制作りに少し苦労しました。入社した当初は、管理本部の半分が派遣社員だったんですよ。そこから、上場経験者が総務で入社したり、私とほぼ同じ時期に公認会計士が入ってくれたりして、徐々にキーパーソンが増え、強いチームにしていくことが出来ました。おかげで、スケジュールの遅れも、そこまでのハードワークもなく上場出来たと思います。

業績が良かったことも大きな要因ですので、これは、アルバイトさんも含めてすべての社員さんに感謝ですね。

― 社長の田川さんとも、協力して上場準備を行ったことと思います。日々、社長とCFOの関係性において、意識されていることはありますか?

距離感が非常に大切だと思っています。社長もCFOも、それぞれのプロフェッショナルであるので、組織図的にはもちろん社長の立場が上にはなりますが、従順に何でも言うことを聞くということはしないです。先ほどお話した通り、私は後方支援をして事業を下支えするCFOになりたいと思っているので、そのためにはYESを言うだけではなく、時には冷静に、意見をぶつけ合うことも必要だと考えています。

「世界一のラーメン屋になる」が会社ミッション、今後の展開や、末廣さん自身の目標とは

― 体制作りから上場まで、ご経験があったからこそのスムーズさだったのですね。上場したことで、社員採用がしやすくなったりとメリットはたくさんあると思いますが、今後の展開としてはどのようなことを考えられていますか?

そうですね、まず、最近M&Aを実施したリリースを出させていただいたのですが、栃木県にある「ラーメン天華」さんにジョインしていただきました。

ギフトは「世界一のラーメン屋になる」というミッションを掲げていまして、M&Aは、そのための方法のひとつです。世界一と言うと定義は曖昧に聞こえるかもしれませんが、役員のなかでは、この定義も共有されています。家系ラーメンだけでは、世界一になるというのは難しいと考えているので、自社で別業態を出すこともしています。それに加えて、まだ店舗展開していない地域に、その地域に根付いたお店に、働いている従業員さんごとジョインしていただくことで、さらに展開を加速することが出来る。出店エリアと、業態の補完が目的です。

ただ、M&Aというのは、拒否反応が出てしまうこともあります。今回そうならなかったのは、社長の田川と、天華の社長さんのラーメンに対する想いがマッチした点が大きいと思います。天華さんにとっては、弊社に自分の子供ともいえる事業と従業員さんを託してくださるわけですから、相応の想いを持った経営者に託したいですよね。もし、弊社がラーメン以外の業態も展開していたり、経営の軸が定まっていない会社であったなら、今回のようなお話にはなっていなかったんじゃないかなと思います。

弊社は、世界一のラーメン屋になって、ラーメンのデパートみたいな存在になりたいと思っているんです。気づかなかったけど、あの店もこの店もギフトのラーメン屋だった、みたいな。そうなるために、今後もM&Aは積極的に行っていきたいですね。可能性を大きく感じるので、うきうきわくわくしていますよ。

― たしかに、すごく可能性を感じますね。その未来が楽しみです。末廣さんご自身は、どのようなことを目標にされていますか?

私自身としては、もう少し下のメンバーを引き上げることをしていきたいですね。そこが出来ないと、なかなか引退できなくて。よく引退をちらつかせていて、社長にまたですかと言われていますけどね(笑)。従業員のみんなからも、ラーメンが好きなら、引退後はオーナーとして1店舗経営したらどうですか?と言われています(笑)老害にはなりたくないなと思っているので、みんなについていけなくなったらすぐに引退したいと思っています。ただ、まだそういう脅かされるような状況になっていないので、そこはもっと伸びやかに仕事をさせてあげられていない私の責任だなと思います。

― プロフェッショナルとして上場企業のCFOを務め、今後の展開にもわくわくされていると笑顔でお話してくださった末廣さん。株式会社ギフトさんの今後の展開がとても楽しみです。ありがとうございました。

【プロフィール】
末廣 紀彦(すえひろのりひこ)株式会社ギフト 取締役管理本部長
昭和59年4月 セイコー電子工業株式会社
平成5年10月 株式会社協和コンサルタンツ 執行役員経営管理室長
平成15年6月 株式会社ファインディバイス 取締役CFO
平成17年10月 日本マニュファクチャリングサービス株式会社 常務取締役コーポレート本部長
平成27年8月 地盤ネットホールディングス株式会社 CFO 兼 執行役員管理本部長
平成28年1月 株式会社ギフト入社 管理本部長
平成28年9月 株式会社ギフト取締役管理本部長(現任)