(本記事は、永井竜之介氏の著書『リープ・マーケティング 中国ベンチャーに学ぶ新時代の「広め方」』イースト・プレスの中から一部を抜粋・編集しています)

マイナス回避の日本人、プラス促進の中国人

中国
(画像=XiXinXing/Shutterstock.com)

人のマインドは、家庭や学校の教育を通じて幼少期から無意識のうちに養われていくものだ。日本に生まれて自然に年を重ねていけば、必然的に「マイナス回避」のマインドが身につく。

親からも教師からも「人に迷惑をかけないように」と言われ、「(周囲と同じように)ちゃんと『いい子』になりなさい」と教えられる。「(周囲とは違う)変なことはしないように」「飛び出た杭にならないように」という教育が疑問なく行われる。だから、日本人のなかで「出る杭は打たれる」の固定観念は根深い。迷惑をかけないように、恥をかかないように、笑われないように、と様々なマイナスを回避しようとするマインドが、知らず知らずのうちに浸透している。

一方、中国人が養っていくのは、プラス促進のマインドだ。中国では、「人にだまされないように」「下に見られないように」と教えられ、安易に周囲へ合わせるのではなく、確固たる自分自身を強く持つことがよしとされる。だから、自分なりの強みを見つけて高めていこうとする「出る杭は、さらに伸ばす」の価値観が強い。

とくにベンチャー企業が飛躍的な成功を収めた2000年代以降、中国人のプラス促進のマインドはより一層強くなっている。その要因となっているのが、馬雲(ジャック・マー)氏というモデルケースの存在である。

「BAT」の中でも異質の存在

アリババ,ジャック・マー氏
(画像=Frederic Legrand - COMEO/Shutterstock.com)

中国ベンチャーを代表するBAT3社のうち、B(バイドゥ)とT(テンセント)の創業者は、学歴・キャリアの高いエリート層といっていい存在だ。それに対して、A(アリババ)の創業者であるジャック・マー氏には、学歴もキャリアもなかった。彼は高校受験にも大学受験にも、就職活動にも失敗した。欧米への留学経験もなく、特別な血縁も強力な人脈もなかった。それでも、大学の英語講師という立場からわずか十数年で中国ビジネスのトップ、世界ビジネスのトップ10へ急激に成り上がった。

中国において、出自・血縁・学歴はもちろん重要だが、ベンチャーが活躍する社会になったことで、「誰もが」「どこからでも」「どんな方法でも」成功を狙えるようになった。成功の種類も、成功への道のり・勝ち方も、数多く存在しているのが現在の中国であり、だからこそ中国人は自分なりの強みを伸ばすことに貪欲になれている。

プラス促進が生みだすイノベーション

プラス促進とマイナス回避。この2つのマインドの違いは、プロダクトアイデアの発想を大きく変える。物事のプラスの面に注目し、良さ・強みをさらに高めていこうとするプラス促進のマインドだからこそ生みだせるイノベーションが、中国では次々に生まれている。ここでは教育と医療におけるイノベーションを紹介しよう。

中国では教育系アプリサービスが広く浸透している。そもそも、中国の多くの学校には部活動がなく、朝から晩まで勉強漬けだ。日本とは比べ物にならないほど激しい受験競争が行われるため、学習第一の環境になっている。そのため、効率のよい学習をサポートしてくれるアプリの需要が高い。

その1つがバイドゥのインキュベーション施設から生まれた「作業幇(ゾゥイェバン)」だ。2014年のサービス開始以来、1億人以上のユーザーを獲得している。最大の特徴は、「拍照捜題(パイジャオソウティ)」と呼ばれるAIサービスにある。

中国の教育はプロセスより効率重視

これは、数学などの問題文をスマートフォンのカメラで撮影すると、画像を解析して自動で類似問題をデータベースから検索し、回答を提供してくれるものだ。その他、名門校志望者に向けた模擬テストやオンライン講義なども充実している。

こうしたサービスは、マイナス回避で考えると、「学習プロセスをないがしろにする」「子どものためにならない」と非難され、学生と講師が顔を合わせる従来式の学習塾だけが残り続けることになるだろう。効率や生産性をより高める手段を追求するプラス促進のマインドが備わっているからこそ、教育というデリケートな分野においても、新たなイノベーションが輩出されている。

教育よりもさらにデリケートな医療の場面でも、マインドの違いは顕著だ。医療分野は、世界のAI開発の最前線になっている。“ AI for everyone ”(すべての人のためのAI)を進めるグーグルがもっとも重要視している領域である。

中国では、ベンチャーの平安健康医療科技(ピンアン・ヘルス&テクノロジー)を筆頭に、医療アプリの普及が加速している。同社のオンライン診療アプリ「平安好医生(ピンアン・グッドドクター)」は、提供開始から3年で登録者が2億人を超えた人気サービスだ。

AI活用による医療現場の革新

中国では、人口と比べて病院・医師の数が大きく不足しており、診察のために数時間待つことも珍しくない。だからこそ、待ち時間0のオンライン診療のニーズは極めて大きい。平安好医生は専属の医師約1,000名を抱え、24時間体制での診療サービスを提供している。

加えて、これまでに蓄積した3億件以上の診断履歴や病歴などのデータに基づき、医師の診断をサポートするAIも開発した。このAIの初期診断を活用することで、医師の1日当たりの診察対応件数を、通常の5倍の500件にまで引き上げ、1日あたり37万件もの診察に対応している。提携する3,000以上の病院にはアプリで入院予約ができ、1万を超える提携薬局からは診察後1時間以内に処方薬が配送される体制を整えている。

これもマイナス回避で考えれば、「万が一、誤審した場合の責任を取れない」「リスクが大きい」という声によって実現は困難になるだろう。しかし、中国では医師の診断をAIがサポートする医療が「新しい当たり前」になっていたからこそ、コロナウイルスの診断においても迷わずAIを活用することができた。

こうしたイノベーションの実現に、プラス促進のマインドは不可欠となる。マイナス回避で敬遠することは簡単だが、それではいつまで経っても、教育や医療の現場に革新をもたらすことはできないだろう。

リープ・マーケティング 中国ベンチャーに学ぶ新時代の「広め方」
永井竜之介(ながい・りゅうのすけ)
早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、同大学大学院商学研究科修士課程修了の後、博士後期課程へ進学。同大学商学学術院総合研究所助手、高千穂大学商学部助教を経て2018年より現職。専門はマーケティング戦略、消費者行動、イノベーション。日本と中国を生活拠点として、両国のビジネス、ライフスタイル、教育等に精通し、日中の比較分析を専門的に進めている。主な著書に『イノベーション・リニューアル ― 中国ベンチャーの革新性』『メガ・ベンチャーズ・イノベーション』『脱皮成長する経営 ― 無競争志向がもたらす前川製作所の価値創造』(いずれも共著、千倉書房)がある。本作が初の単著。

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