AI技術の進展はこの社会に、淘汰される恐怖とチャンスへの期待とが交錯する状況を生み出している。チャンスをつかむ側に回るために求められるのは、変化を先読みする「未来予測力」ではないだろうか。

この未来予測力の磨き方について、企業の長期戦略立案のプロであり、先読み力が問われるクイズの世界でも活躍する鈴木貴博氏が、具体的な事例とともにアドバイスする。

※本稿は『THE21』2020年3月号より一部抜粋・編集したものです。

将来人口の予測は必ずその通りになる

未来予測力,鈴木貴博
(画像=THE21オンライン)

ビジネス全般で未来予測の重要性が高まっています。この連載ではプロのコンサルタントが使っている未来予測の技術についてお話しします。

私がコンサルティングファームにおいて未来予測の技術として教えられたことの一つは、「将来人口は確実にその予測通りになる」という教訓でした。

この教訓はとても実用的です。今から10年後の若者の消費を予測しようと思えば、過去10年の出生数を見ればほぼ確実に消費者規模を予測できます。同様に、高齢者向けの介護サービス事業の規模を予測するにあたっても、10年後、20年後の後期高齢者人口規模はほぼ予測通りになるはずです。

私がコンサルタントとして活動をし始めた1980年代当時は「団塊の世代」についての人口予測が経営のさまざまな分野で「使える重要指標」として用いられていました。

「団塊の世代」とは76年に経済評論家の堺屋太一さんが発表した概念で、戦後のベビーブームである1947年から49年までの3年間に生まれた世代です。平均で一学年が267万人にのぼります。

2019年の出生数はいよいよ90万人割れが確実な状況ですので、今と比較してほぼ3倍の子供が誕生していた世代ということになります。

ちょうど私の叔母がこの世代にあたっているのですが、私と同じ公立の中学校に通っていた叔母の世代は、一学年が24クラスあったといいます。私の時代が12クラスで、現在では一学年はわずか5クラスですから、いかに団塊の世代が人数的に突出していたかがわかります。

そして、日本の様々な経済予測は、この団塊の世代がどのような「時代」をすごしているのかによってほぼほぼ予測が可能でした。

バブル時代には団塊の世代が30代後半を迎え、それまでは成立していた日本企業の年功序列が崩れると予測されました。

実際に日本の大企業は、最初のうちは「担当課長」など管理職の肩書きを乱発して年功序列を守ろうとしたのですが、名ばかりの課長職、部長職には限度があり、結局は90年代を通じて日本の大企業の年功序列は崩れていきました。

2000年代は、団塊の世代が大量の定年を迎えることで、マンパワー不足が社会問題になると予測されてきました。この問題は当時の60歳定年制を法律で改めて65歳までの継続雇用を奨励することで、労働力の一斉大量消失問題は回避されました。

このように団塊の世代の動向は常に日本社会の未来予測の中心テーマとなっていて、人口構成的には常にその予測は当たってきました。

一方で、気をつけなければいけないことは、「確実に当たるのは、そのような人口構成に日本社会が変わるという事実だけだ」ということです。そこで起きる問題をどのようにして解決していこうかさまざまな当事者たちが様々な施策を考えることで、未来は不確実な形へと変わってきます。

団塊の世代が80代になる2030年に起きること

その観点で今、未来の社会問題として注目されているのが、2030年問題です。

2030年には団塊の世代が80代前半に突入します。団塊の世代が後期高齢者入りすることで、日本の要介護人口はいよいよもって、過去想定されてきたピークの規模に到達しそうです。

さらに同じタイミングで、団塊ジュニアと呼ばれるもう一つの人口のボリュームゾーンが50代後半に入り、その一部は還暦を迎えます。

そして若い世代は年々出生数が減っている状況にあり、結果として生産年齢人口が激減する。これが2030年問題です。

2030年にどれくらいの労働力が不足するかというと、現在の経済インフラを維持するという前提で試算すると、実に850万人の労働力が不足するという計算結果があります。

「現在の経済インフラを維持する」ということは、コンビニやファミレスの24時間営業や、物流の翌日配送、工場の24時間稼働といった夜も眠らない日本の経済活動を前提にするということなのですが、そこで850万人もの労働力が不足するということは、もはや「眠らない国」としての経済インフラは維持できないことを意味します。

加えて言えば、後期高齢者が激増することで医療や介護の現場の人手不足は今以上に大きな社会問題になるはずですから、いったいどうやってこの状況を乗り切るのかを考えると、今から10年後の日本は大きな社会問題に直面することが容易に想像できます。