要旨
● 日本政府は2030年代半ばまでに国内の新車からガソリン車をなくし、全てをハイブリッド車や電気自動車などにする目標を発表した。背景には、これまで日本の基幹産業を担ってきた自動車産業における経済構造転換を早めに促す大きな狙いがある。また、欧米に対して出遅れているグリーン・デジタル投資で巻き返しを図る狙いもある。
● 日本は脱ガソリン車の動きも遅れている。技術的には、環境に配慮した自動車生産に関して日本はトップクラスと言われている。しかし、日本が優位性を有するハイブリッドやプラグインハイブリットはガソリンを使うため、「脱ガソリン」ということになると、世界における日本の自動車産業の技術的地位が覆る可能性がある。
● 自動車産業は日本の基幹産業であり、最もすそ野が広い業界である。総務省の平成27年産業連関表によれば、生産誘発係数が2.73と187部門中一位となっており、それだけ関連する企業を支えている産業といえる。しかし、自動車が家電化されれば日本の優位性が失われる可能性が出てくる。政府は資金的な面も含めて自動車関連産業を後押ししていく必要がある。
● 何よりも重要なのは、そうした分野に対応できる人材を育成することが必須の課題になる。世界がグリーンやデジタルの技術開発でしのぎを削る中、ゼネラリストが優遇され、スペシャリストを蔑ろにしてきた現状を改善しなければ、いくら予算をつけて有形無形資産の投資が増えても、それを扱う人材が育成されなければ、満足のいく結果を出すのは難しい。また、ガソリンスタンドに変わるインフラ整備が不可欠という意味では、そうした環境整備を進めるための税制面の優遇なども必要になってくる可能性もある。現状の車体価格を今後の量産化や技術革新でどれだけ下げられるかもカギを握るだろう。
● 日本が脱ガソリン車に向けた動きを進めるには、産業構造の変化に伴い労働市場の移動が余儀なくされるため、労働者が新たなスキルを身に着けることやアップデートするための学び直し=リカレント教育の機会を増やす必要性が出てこよう。また自動車関連産業の場合、それ自体が地域の基幹産業であることも珍しくなく、それが傾けば町ぐるみの不景気になるリスクもあるため、そうした状況にならないためにどう支えるかも重要となってこよう。そして、何よりも脱ガソリンは経済問題と同時に環境問題でもあるため、双方の面で国際的に何が求められているのかを冷静に判断し、バランスの取れた政策を進めていくことが必要になってこよう。
(*)本稿はNHKラジオ「Nらじ」での筆者のコメントを基に作成。
はじめに
CO2を排出しない自動車の普及を進めようという世界の流れを受けて、日本政府は2030年代半ばまでに国内の新車からガソリン車をなくし、全てをハイブリッド車や電気自動車などにする目標を発表した。
こうした「脱ガソリン車」についての取り組みの背景には、これまで日本の基幹産業を担ってきた自動車産業における経済構造転換を早めに促す大きな狙いがある。
また、菅総理は会見で、我が国に必要なものはポストコロナにおける成長の源泉であり、その軸となるのがグリーンとデジタルと述べていたが、欧米に対して出遅れているグリーン・デジタル投資で巻き返しを図る狙いもあるだろう。
そして、コロナを見据えた短期的政策だけではなく、中長期的なビジョンも視野に入れた経済政策の提示という意味合いもある。事実、コロナ対策は切実だが、政府としては、それだけだとインパクトある経済政策を打てない。また、コロナの感染拡大自体が経済の転換を促した面もあり、そうした意味でも先を見据えて政策の提示は必要と考えているのだろう。また、環境問題に対するスタンスがこれまでのトランプ氏とは真逆のバイデン次期大統領に対する配慮もあるのかもしれない。
海外に遅れる脱ガソリン車の動き
日本はグリーン投資などの環境問題を考慮した投資が出遅れているとされているが、脱ガソリン車の動きも遅れている。 例えば、イギリスでは2020年11月17日にガソリン車とディーゼル車の新車販売を2030年、ハイブリット車を2035年までに禁止すると発表している。また、同時期にカナダのケベック州も2035年までにガソリン車の新車販売を禁止と発表している。
米国でも、カリフォルニア州が2035年までにはプラグインハイブリッド車も含めて禁止と発表しており、こうした海外の動きを受けて日本も後に続いたという形となっている。
技術的には、環境に配慮した自動車生産に関して日本はトップクラスと言われている。しかし、日本が優位性を有するハイブリッドやプラグインハイブリットはガソリンを使う。このため、「脱ガソリン」ということになると、世界における日本の自動車産業の技術的地位が覆る可能性がある。
すそ野が広い自動車産業
そして何よりも、自動車産業は日本の基幹産業であり、最もすそ野が広い業界である。例えば、車一台に必要とされる部品は3~4万点と言われているが、総務省の平成27年産業連関表によれば、ある産業がその生産物を1単位生産した場合に、それが各産業に対して直接・間接にどれくらいの生産波及効果を及ぼすかを示す生産誘発係数が2.73と187部門中一位となっている。つまり、自動車産業で1単位生産が増えると他の産業も含めて2.73単位の生産が波及することを意味し、それだけ関連する企業を支えている産業といえる。
しかし、自動車が家電化されれば、家電のように高品質な部品を世界からかき集めればどの国でも生産がしやすくなるため、日本の優位性が失われる可能性が出てくる。
一方、リーマンショックでGDPが最も大きく落ち込んだ国が日本だったわけだが、背景にはリーマンショックで最も大きくダメージを受けた産業の一つが自動車産業であり、日本ではその自動車産業が経済を支える構図だったことがある。 確かにリーマンショックと異なり、脱ガソリンの動きは急激に進むわけではないが、脱ガソリンに向けた備えが後手に回れば、時間はかかっても結果的にリーマン級の打撃が日本経済をむしばむ可能性もあるだろう。従って、政府は資金的な面も含めて自動車関連産業を後押ししていく必要がある。
最大の課題は人材や暮らしへの影響
菅首相は経済成長の軸にグリーン、デジタルを掲げているが、何よりも重要なのは、そうした分野に対応できる人材を育成することが必須の課題になるだろう。というのも、日本はこれまで、技術者などが報酬体系面も含めてあまり優遇されてこなかったことが指摘されている。
しかし、世界がグリーンやデジタルの技術開発でしのぎを削る中、ゼネラリストが優遇され、スペシャリストを蔑ろにしてきた現状を改善しなければ、いくら予算をつけて有形無形資産の投資が増えても、それを扱う人材が育成されなければ、満足のいく結果を出すのは難しくなろう。
また、脱ガソリン車が暮らしへ及ぼす影響も考慮が必要だろう。というのも、電気自動車を生活必需品として暮らしや仕事で使うことを考えた場合、さまざまな影響を解消する必要がある。
まずは、ガソリンスタンドに変わるインフラ整備が不可欠となろう。という意味では、電気スタンドの普及や拡大が最大の課題となるが、例えばコンビニや家庭などでも短時間で充電できるような環境の整備が有効となるだろう。このため、そうした環境整備を進めるための税制面の優遇なども必要になってくる可能性もある。
また、価格の問題もある。例えば電気自動車であれば、現状の国の補助金を考慮しても300万円以上かかり、燃料電池車に至っては500万円以上かかる。となると、こうした現状の価格を今後の量産化や技術革新でどれだけ下げられるかがカギを握るだろう。
おわりに
以上を踏まえれば、日本が脱ガソリン車に向けた動きを進めるためには、技術開発もさることながら、産業構造の変化に伴い労働市場の移動が余儀なくされる。このため、労働者が新たなスキルを身に着けることやアップデートするための学び直し=リカレント教育の機会を増やす必要性が出てこよう。
また自動車関連産業の場合、それ自体が地域の基幹産業であることも珍しくないため、それが傾けば町ぐるみの不景気になるリスクもある。これまでも、経済のグローバル化などに伴う工場撤退により地域全体が経済的に大きなダメージを受けた事例もあるため、そうした状況にならないためにどう支えるかも重要となってこよう。その場合、国からの補助金を有効活用するというのも一つの打開策になるかもしれないが、無駄に活用されないように、国や地域住民による監視も必要になってこよう。
そして、何よりも脱ガソリンは経済問題と同時に環境問題でもあるため、双方の面で国際的に何が求められているのかを冷静に判断し、バランスの取れた政策を進めていくことが必要になってこよう。(提供:第一生命経済研究所)
第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部 首席エコノミスト 永濱 利廣