この記事は2022年3月28日に「ニッセイ基礎研究所」で公開された「一億総『推しあり』政策-だれにでもある熱量バリバリの消費」を一部編集し、転載したものです。
トラベルミステリーの第一人者の西村京太郎氏が亡くなられた。氏は600冊以上の作品を世に送り出し映像化された作品も多い。筆者は、西村氏の大ファン。出張に出るときは新作を買って鞄に入れている。新幹線に乗り新作を読んでいると、通路を挟んだ向こうにも同じ本を読んでいる人がいる。中年のあるあるだ。
若い時から西村氏の作品を読むようになって、テレビで放送される『十津川警部』や『タクシードライバーの推理日誌』の元刑事の運転手・夜明日出夫を演じる故・渡瀬恒彦氏の大ファンになった。特に十津川警部を演じる渡瀬氏と相棒役・亀井刑事役の伊東四朗氏の掛け合いがたまらない。再放送の2時間サスペンスを観まくっている。
家族に言わせれば、2時間の放送の間にあれだけ人が殺されるわけがない。番組の最後になると、真犯人、被害者家族、刑事がみんな崖の上に集まり一連の殺人事件の振り返りをするが、そんなわけはない。家族は、番組の「現実離れしている観」をあげつらい、文句だらけだ。
それでも西村氏の新作を購入し、西村作品のテレビ番組を見ては、昔読んだ作品をまた購入して読み直す。家族に何を言われようと、それだけはやめられない。西村氏が亡くなり、この先「新作買い!」と自分の熱で買うものが1つなくなってしまったことは、残念でたまらない。
一方、家族の推しは、韓国の俳優やアーティスト。寝る間を惜しんでは、DVDやいろいろなサブスクで、映画や動画コンテンツを見まくっている。
聞くところによると、BTSだけで100万人以上の日本人がファンクラブに加入しているという。すごい数だ。いろいろなメディアで「沼」特集がされている。日本の中で沼にはまってしまった人達が、あちらこちらにたくさんいる。
コロナ禍で人との付き合いが減る中、同じ推し同士がSNSなどで繋がり合い、同じテーマを共有することで心を豊かにし、いつも心の平安を得ている。社会が大変だからこそ、より絆が深まる世界だろうと感じる。SNSを閲覧するだけで楽しむ人もいるが、グッズや動画などでお金をかける人も確実にいる。韓国のエンターテインメントは、大きな沼だ。ただ、私はその沼にはまりそうにはないし、家族も私の沼には、この先興味を示すことはないだろう。私の推しと家族の推しは、この先もお互い交わることはなさそうだ。
「萌え」「推し」「オタク」など、いろいろなワードが使われる。消費市場の中には、特定コンテンツが消費者の心を強くとらえ、提供者と需要者の距離を非常に近くする構造が存在する。おそらくマーケティングに関わる人は、どうやったら自社製品を消費者に届けられるか、どうやったら消費者に訴求できるか、常日ごろ距離感を縮める努力をしているだろう。このような市場は、その理想に近いはずだ。消費者にとっても、熱狂できることはすごく幸せに違いない。そのような消費は、熱量が相当高い。
マクロで言えば、日本経済の5割は消費であり、経済を牽引する。しかし、マクロの消費は他国に比べてずっとさえない(図表)。今回のコロナでも、日米の消費を見ていると、勢いに大きな差があることに気づく。同じ消費なのに、何か温度差を感じるのは、私だけではないだろう。
私のエコノミストとしての頭の中の「消費」は、マクロの実質所得があり、それに消費性向をかける。消費が落ちるとすれば、景気が悪くなって、賃金やボーナスが減り所得が減少するか、消費税率が上がって実質所得が減る、あるいは将来不安が高まり、消費性向が低下するときだ。それは数式で自動的に算出される、無機質で冷たい「消費」である。
一方、ミクロには、熱量バリバリの消費がたくさんあり、その両者には開きがある。こんな私でも西村ワールドに引き込まれて、ミステリーの沼にはまっている。この乖離は、きっと推しがいない一部の富裕層が、消費せずに巨額の貯蓄をしているからに違いない。そういう人がいないと、マクロ消費の不振とミクロの推し消費の活況の差は説明できない。私にもあったのだから、貯蓄をしている人にも推しができるはずだ。そう考えれば、「一億総『推しあり』」計画を実現すれば、消費を伸ばし、経済を広げるチャンスが、日本にもあるはずである。
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矢嶋康次(やじま やすひで)
ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 研究理事 チーフエコノミスト・経済研究部 兼任
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