本記事は、和田秀樹氏の著書『老人入門 - いまさら聞けない必須知識20講 -』(ワニブックス)の中から一部を抜粋・編集しています。
自分の老いにすら気づかない人がいます
幸せな老いを楽しむためにはいくつかの前提があります。
まず何よりも、最低限の体力は保っている必要があります。生活のために欠かせないことは自分でできて、近所を歩くぐらいの体力も残っていなければいけません。
そして、大らかでなければ困ります。
怒りっぽくなったり頑固になったり、
どちらもそれほど難しいことではありません。かりにいまのあなたが70代だとすれば、このふたつぐらいは備わっていると思います。以前ほどの体力がないのは仕方ないとしても、まだまだ日常生活に不便はありません。旅行に出かけたりウオーキングで気に入った場所を見つけると少しぐらい遠くても毎日通うことだってできます。
大らかかどうか、これは自分に問いかけてみてください。
「少しイライラしやすくなったかな」とか、他人に反論されるとつい自分の主張にこだわってしまうとか、その程度のことでしたら自覚しているかもしれません。あるいは「頑固は性格だから直らない」と諦めているかもしれません。
でもまあ、これも少しぐらいは良しとしましょう。誰に対しても穏やかに接して、相手の言うことを素直に聞き入れるなんて、よほど人間ができている人に限られます。
ところでもうひとつ、大切な前提があります。「老いる」とはどういうことなのかを知っていることです。
じつはこれが難しいのです。それも当然で、一般的な老いへのイメージは持っていても、自分が老いればどうなっていくかということは案外、知らない人が多いのです。身近な人間の老いを見守る経験がなくなってきたせいもあります。不安を
そもそも、誰にとっても老いは初めて経験することばかりです。
ほんとうはただの老いが原因なのに「おかしい、以前はこんなじゃなかった」と焦ったり不安になる人がいます。
「こんなことで諦めてはいけない、頑張らなくちゃ」と無理をしてかえって身体を弱らせてしまう人もいます。
「まだ70代なのに、いまからこんなじゃ先が思いやられる」と悲観的になってしまう人もいます。
つまり老いに対しての知識がないことで、不安になったり自分を追い詰めてしまう人が出てきます。それによって老いが加速したり、不幸な老い方をする人が出てくるのです。
「老い」について押さえたい基本的な知識
そこで長年、高齢の方と向き合ってきた精神科医として、これだけは知っておいたほうがいいですよという基本的な知識を説明してみます。老いが誰にとっても初めて経験する世界だからこそ、知識は備えておいたほうがいいです。そのほうが憂いなく老いを迎えることができるからです。何より知識があれば余計な不安は持たなくて済みます。
不安は高齢者の心に悪い影響しか与えません。
まず、最初に基本的なことをふたつだけ挙げましょう。
(1)「老い」は個人差が大きい
(2)「老い」はゆっくりと進む
このふたつです。
(1)の個人差が大きいというのは、人それぞれだということです。
90歳過ぎても足取りがしっかりした高齢者もいれば、70代で認知症が始まって生活に不便を感じる人もいます。
同じ80代でも、元気な人は自分で車を運転して旅行に出かけたり、スポーツを楽しむこともできますが、逆に寝たきりになって周囲の力を借りないと日常生活ができなくなる人もいます。
10代や20代のころの個人差なんて、せいぜい体力や筋力ぐらいのもので、それも大きな差にはなりません。5キロぐらいの距離を歩いて1時間かからない人ともうちょっとかかる人がいるという程度の違いです。これが80代になると50メートルも歩けない人と5キロくらいなら平気で歩く人に分かれます。老いてくると、それくらい個人差が大きくなってきます。
この「個人差が大きい」ということを知っていると、同世代の高齢者と自分を比べて嘆くことがなくなります。「老いはそういうもんだ」と受け止めればいいのです。
体力はガクンと落ちても、本を読んだり映画を観たりといった知的な時間なら同世代の誰よりも楽しむことができるかもしれません。それならそういった知的好奇心を満足させるような毎日の暮らしを作っていけばいいことになります。
「でも、それで身体がどんどん衰えてしまったら困る」と心配する人もいるでしょう。
これも案ずるには及びません。
「老い」はゆっくりとしか進まないからです。
(2)のゆっくりと進むというのは、慌てなくても打つ手はあるということです。「歳かな」と気がついたときに老化防止のためのさまざまな手を打っても間に合うということです。たとえば足腰の筋肉が衰えてきて歩行に不安を感じるようになったとします。
「ああ、歳なんだなあ」と誰でも気がつくし、「これからどんどん衰えていくんだろうな」と悲観的な気持ちにもなってきます。
でも、そこで日常生活にできるだけ歩く習慣を取り入れるようにするだけで、少なくともしばらくの間はフレイル状態にはならないで済みます。このフレイルというのは、自立と要介護の中間状態とされるものですが、高齢になってくると気がつかないうちにフレイルから要介護に進んでしまうことが多くなります。
もちろんゆっくり進むから安心していいということではありません。それだけ油断してしまうことが多くなるし、気がついたら手遅れということだってあり得るのです。そうならないための対策もこの本で学んでいきましょう。
「老い」にはそれぞれのフェーズがある
あなたがいま70代半ばだとします。
60歳になったときどう感じたでしょうか。
たぶんほとんどの人が「こんなものか」と思ったはずです。
「昔なら還暦だ。いい歳だけど60なんてこんなものか」と拍子抜けしたと思います。
70歳になったときも同じような感覚が生じたでしょう。「70なんてこんなものか」という感覚です。古希なんて言葉を思い出してもピンときません。
「少しガタが来ているけど、老いなんて恐れるに足りないな」と思ったかもしれません。
では80歳、90歳を迎えたときの自分を想像することができますか。
「そのころはもう、どうなっているかわからない」とほとんどの人が考えるはずです。
「だいいち、生きているかどうかもわからない」
「まあ、元気でいたいけど、こればっかりはなってみないとわからない」
たぶんそんな答えが返ってくるでしょう。急に弱気になってきます。
「なってみないとわからない」というのはまったくその通りで、たった数年、あるいは十数年先の自分でも、どうなっているかわからないのですから、私たちはこれからやってくる老いに対しては何もわかっていないことが多いのです。
そこで老いに対しての基本的な考え方をもう1つ挙げてみます。
(3)老いにはそれぞれのフェーズがある
ということです。70代の10年間と80代の10年間は同じではなく、まったく違う10年になります。老いにはそれぞれの年代によって特有のフェーズ(局面)があるということです。それぞれのフェーズに応じて、暮らし方や生き方を選んでいくことも大事になってきます。
過ぎた10年をもとにしてこれからの10年を予測するのは不可能だということです。
「いい老い方をする人」「悪い老い方をする人」
あなたはいま「老い」に対してどんなイメージを持っていますか。たぶん、いいイメージは持っていないと思います。
それは当然のことで、老人には若者のような明るい未来がありません。しなやかな身体もないし、シャープな頭脳もありません。
いろいろな病も抱えています。もの忘れがだんだんひどくなってきて、そのうち認知症の仲間入りをするかもしれません。とにかく老いには弱っていく、枯れていく、衰えていくという印象しかないのですから、いいイメージは持ちようがありません。
では世の中の高齢者はみんな身体が衰えてやりたいことができない人ばかりでしょうか?
認知症になって何もわからない人ばかりでしょうか?
そんなことはありませんね。80代でも90代でも、やりたいことや好きなことを楽しんでいる人は大勢います。認知症が始まっていても、けっこう論理的な話し方をしたり、家事や人づき合いもいままで通りに続けている人が大勢います。
もちろん、さらに老いてくるとやりたいことの半分もできなくなったり、周囲の助けを借りないと暮らせない人も出てきます。
それが本人にとってつらいこと、生きにくいことなのかというのは、じつは本人でなければわかりません。欲望も小さくなってしまえば、案外、穏やかな気持ちで幸せに暮らしているかもしれないのです。
あるいはこういう考え方もできます。
自分の老いすら想像もできないのに、悪いイメージだけで「老い」を塗りこめてしまう。
もしかするとそれが「悪い老い方」を作っているのかもしれません。
私は老いにはふたつの種類があって、幸せな80代90代を送る人は「いい老い方」ができた人、不幸な80代90代を送る人は「悪い老い方」をしてしまった人ではないのかなと考えるようになっています。
老いの悪いイメージだけに囚われてしまうと、老いは不幸な出来事でしかありませんが、楽になれると思えば老いの中にはそれなりの幸せが用意されていることにも気がつきます。人生の終盤に、どんな人にもやってくるのが老いなのですから、どうせなら幸せが用意されていると考えたほうがいいですね。そうでなければ長生きすることがただつらいだけのことになってしまいます。