横尾忠則は日本を代表する現代美術家の一人です。グラフィック・デザイナー、イラストレーターとしての商業デザインの数々と、いわゆる「画家宣言」後に誕生した絵画作品の数々。さらには、写真、エッセイ・小説執筆と、その表現活動は多岐にわたります。
1960年代に時代の寵児として一躍注目を浴びて以来、常に第一線で作品を生み続け、その作品と活動は、2000年代以降、あらためて研究・評価されています。
この記事では横尾忠則について経歴から作品まで解説していきます。
画像引用:横尾忠則現代美術館
横井忠則の経歴
ここからは、横尾忠則の経歴について少年時代からデザイナーとしての活動期間、画家としての活動期間とわけて見ていきます。
少年時代
1936年生まれの横尾忠則。幼少の頃から絵が上手く、自分で創意工夫して描くというよりも、お手本を見て模写することが得意で、絵本や漫画を大量に描き写していました。養子として育った家は呉服屋で、華やかな反物や、デザインの見本帳などが常に身近にあったことも、構図・デザイン感覚に影響を与えています。
小学校高学年の頃から、当時発行されるようになった漫画雑誌に漫画やポートレートを投稿するようになり、いずれ漫画家か挿絵画家になりたいと考えていました。一方、戦時中の体験も鮮明で、特に義母と闇市に商売に出かけた際に見た、大阪市内の空襲跡の風景に衝撃を受けたといいます。
戦争・空襲という非日常が日常であるという倒錯は、横尾少年の精神世界に大きな影響を与えました。
グラフィック・デザイナー
高校卒業後は、美大への受験を取りやめて印刷屋さんに就職。20歳の時に「神戸新聞」宣伝技術研究所にグラフィック・デザイナーとして入社しました。その後上京し、日本のトップデザイナーが集まって設立した「日本デザインセンター」に入社。本格的にグラフィック・デザイナーとしてのキャリアがはじまります。
次第にイラストやデザインが業界のなかで認められるようになり、1964年に独立。独立後は、同時代のさまざまな才能との交流をしながら、着実にキャリアを積んで行きました。
寺山修司、和田誠、赤瀬川原平、三島由紀夫、篠山紀信、唐十郎、土方巽、高倉健、大島渚……。
こうした交流のなかで、横尾忠則の活動は次第にグラフィック・デザインの範疇を超え、さまざまな領域へと展開していきました。
画家としての活動
1960年代~70年代は、まさに横尾忠則の時代で、その評価は国内に留まりませんでした。ポスター作品で世界的に認められると、ニューヨーク近代美術館での個展をはじめ、各国美術館で個展が開かれるようになります。ジョン・ネイスン、アンディ・ウォーホル、ジャスパー・ジョーンズ、ヘンリー・ミラー、ポール・デイビス……。
多様なジャンルの才能との交流は、国内外を問わずさらに広がります。1980年ニューヨーク近代美術館でのピカソ展を見たことが、画家への転身のきっかけとなりました。
自伝の中で横尾忠則は、「ピカソのような生き方、つまり創造と人生の一体化が真に可能ならそれに従いたいと思った」と書いています。
1980年代「新表現主義」の画家として出発したものの、その後は独自の絵画表現を見出し、「現代美術」であることから解放された絵画作品を多数生み出し続けています。
個展『自我自損』の開催
2019年9月14日(土)〜12月22日(日)、横尾忠則自身がゲスト・キュレーターとなり、自ら出品作品を選定し展示プランを考案した展覧会が、横尾忠則現代美術館で開催されました。
タイトルの『自我自損』とは「エゴに固執すると損をする」という意味の造語です。
その背景には、自らの旧作に容赦なく手を加えて新たな作品へと変貌させたり、同一人物とは思えないほど大胆にスタイルを変化させたりする、横尾忠則の絶えざる自己否定、そして一貫したテーマである「自我からの開放」がありました。
現役の作家が自らの個展をキュレーションするのは、公立美術館では初の試みで、その野心的な取り組みは、美術関係者から大きな注目を集めました。
横尾忠則の展示会
では、横尾忠則の作品が展示されていた展示会や展示されている美術館を紹介していきます。
GENKYO
2021年7月17日(土)~ 10月17日(日)、東京都現代美術館で開催された『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』(愛知県美術館、大分県立美術館巡回)は、画家宣言後の絵画作品を中心に、初期のグラフィックの作品も加えた600点以上の出品作品からなる、大規模な展覧会となりました。
タイトルの「GENKYO」には、3つの意味が含まれています。横尾忠則が数多の独創的な絵画に描き出してきた、すべての人間の魂のふるさと「原郷」、そこから汲み上げた豊かで奔放なイメージの世界「幻境」。そして、この展覧会で覗き見ることのできる作家の「現況」。
「作品による自伝」をテーマに企画された「GENKYO横尾忠則」愛知展から出品作品を半分以上入れ替え、作家自身が再編集した展覧会。なかでも、ここで初公開となった、コロナ禍下の2020年〜21年に制作した30点以上もの新作は、この展覧会の目玉となりました。
横尾忠則現代美術館
横尾忠則現代美術館は、神戸市灘区にあった兵庫県立美術館王子分館(旧兵庫県立近代美術館、村野藤吾設計)の西館をリニューアルし、2012年11月に開館しました。兵庫県西脇市出身である横尾忠則自身からの寄贈・寄託作品を、適切な環境で保管しています。
また多くの人に鑑賞してもらうために、コレクションを軸に、関わりのある様々な分野のアーティストの展覧会や横尾作品に関連するテーマ展など、多彩な展覧会を開催しています。
膨大な関連資料の保管・調査・研究を行うアーカイブルームは、この美術館の特長のひとつ。横尾忠則の創作の秘密に迫る資料の数々は、その幅広い交流関係を反映し、戦後文化史を物語る貴重なものとなっています。
横尾忠則の作風
1980年代「新表現主義」の流れに沿った画家として出発した横尾忠則でしたが、世界の現代美術シーンは、概念や倫理や言葉にとらわれ、流行に左右されすぎると感じ、距離を置くようになりました。
そして誰とも異なったオリジナルな表現を実現するために、さまざまな手法を導入していきます。異素材のコラージュ、絵画の統一性の放棄、複数のスタイルを横断的に取り入れる、自己反復……。
これらの手法により、過去の作品、日本神話、夢、精神世界と、あらゆるものが絵画の中に取り込まれています。
既存の絵画の暗黙の枠組みや前提を疑い、「今までに誰もやったことがない」ことこそが、試みる価値のあるものとなっていきました。そうして独自の絵画表現を見出し、「現代美術」であることから解放されることで、ますます「誰も見たことのないような絵画」を生み出し続けています。
横尾忠則の人気グッズ情報
横尾忠則の作品はグッズとして購入することが可能です。ここではグッズについていうつか紹介します。
Kora-ju ミート皿
コラージュデザインの美濃焼のミート皿。横尾作品グッズのなかで最初の洋食器として売り出されたもの。直径27.5cm × 高さ2.8cmと大きめです。
髑髑お猪口
髑髏(どくろ)デザインの美濃焼のお猪口5客セット。5つとも絵柄が異なります。直径8cm × 高さ6.2cm。蕎麦猪口としてはもちろん、湯呑みや小鉢など幅広い用途で使えます。
魔除猫
磁器(瀬戸焼)製の猫の置物。高さ25cm×幅12cm。100個限定制作でエディションナンバーとサイン入り。色は赤・白・黒・金の4色ですが、限定制作のため人気色は完売のものも。受注生産で、制作期間として約1か月かかります。
スーツケース ART TOUR
ケース前面に20枚以上の横尾作品が印刷してあるスーツケース。本体はポリカーボネート、ABS樹脂制。機内持ち込みサイズのH550mm×W360mm×D230mmで、容量は31L。
スカジャン Jirocho Flowers
リバーシブルのスカジャン。粋で華やかな次郎長フラワーデザインをひっくり返せば、反対側は「TADANORI YOKOO」のタグのみのブラウンの無地。サイズは、MとL。表地裏地はポリエステル97%/ポリウレタン3%、リブ部分はポリエステル100%。
まとめ
幼いころ模写が得意で、いずれ漫画家か挿絵画家になりたいと思っていた横尾少年は、1960年代にイラストレーター、グラフィック・デザイナーとして時代の寵児となりました。国内外での華々しい受賞歴と展覧会で、その評価を確固なものとしましたが、1980年に観たピカソ展をきっかけに、画家に転身します。以降40年以上に及ぶ画家としての活動と作品で、「誰も見たことのないような絵画」を生み出し続けています。