本記事は、上阪徹氏の著書『文章がすぐにうまく書ける技術』(日本実業出版社)の中から一部を抜粋・編集しています。
どうしてこんなに文章が書けないのか……
勘違いしてコピーライターという職についてしまった私は、20代前半、とにかく悩んでいました。言葉が出てこない。うまくつながらない。締めが浮かばない。美しい文章にならない……。
それでも当時はまだインターネットがありませんでしたから、メールもなかった。
仕事柄、レポートのようなものも求められる環境になかったし、日報も求められない会社でした。
あの頃から比べると、いまは環境が激変しています。メール、LINE、Slack、メッセンジャーはもちろん、誰でもパソコンを使いますから、提案書や企画書、レポートなども当たり前に求められるようになっています。
「書く」機会は、昔に比べて爆発的に増えているのです。また、「書く」ことが仕事の成果に、さらには評価に、ダイレクトにつながってしまう時代です。昇進の条件になっている可能性すらあります。
そんな中で、「書くことがつらい、苦しい、苦手」となったら大変です。ところが、そんなふうに感じてしまっている人が、実はたくさんいるのではないでしょうか。
しかし、それは当たり前だと私は思っています。なぜなら、「仕事の文章」「ビジネス文書」は、誰も書き方をこれまでに教わってきたことがないからです。
だから、書けないのは当然なのです。
しかも、かつて教わった文章、小学校だったり中学校だったりで書かされた作文や感想文は、むしろ「仕事で書く」ときに足を大きく引っ張ります。
なぜか。子どもの頃に学んだ作文や感想文の文章と、仕事で使う文章とは似て非なるものだから。まったく違うものだからです。
にもかかわらず、あの頃の作文の印象で文章を書こうとするから困ったことになる。実は、書けない元凶は、小学校で習った作文にあったのです。
小学校で習った作文がすべての元凶?
私が20代に文章を書く仕事を始めたばかりの頃、なぜ書けなかったのか。実は、いまは理由がわかっています。それは、子どもの頃に教わったことを実践しようとしていたから。こうした小学校の作文の呪縛が足を引っ張っていたからです。
「美しい、立派な文章、正しい文章を書かないといけない」
「文章で人をうならせないといけない」
「ハッとするような言葉を見つけないといけない」
「起承転結のある見事な構成を作らないといけない」
文章とはそういうものだと思っていたし、そういう文章を書かないといけないと思っていました。事実、子どもの頃には、そういう文章が書ける同級生もいたし、彼らは先生に褒められていました。
しかし、いまは立派な文章を書こう、などとはまったく考えません。何より、そんなことを考えていたから書けなかった、ということを知っているのです。
たしかに書けた同級生もいましたが、だんだんわかっていったのは、こういうことです。
彼らには、生まれつきの文才があった。もともと書けたのです。大した努力をしなくとも。世の中には、そういう人がいるのです。
足が速いとか、算数が得意とか、手先が器用で技術が好き、と同じことなのです。
「書きたいこと」ではなく、「相手が求めるもの」を書く
教わったのは、思いを書くことだけ
そして小学校の作文とは、どんなものだったか。思い出してみてください。
基本的に自分の「思い」を書き連ねていくものなのです。しかも、一方的に書いていくだけです。それを美しく、立派にしたものが評価される。
では、ビジネスの文章ではどうでしょうか。思いを書き連ねていく文章でしょうか。
違います。必要なことは、「事実」であり、「数字」であり、「エピソード(出来事やコメント・感想など)」なのです(この3つについては、第4回でも解説します)。
しかも立派な文章や美しい言葉は、ビジネスの文書では必要とされません。そんなことで肩に力を入れる必要はまったくなかったのです。
読者対象がいない、相手が想像できない
さらに、子どもの頃の作文や感想文には、大きな特徴があります。それは、読者が想定されていない、ということです。
さて、あれは誰に向けて書いていた文章だったのでしょうか。先生? 審査員? 親? それとも自分?
読者対象は、すべてかもしれないし、特定されていないかもしれない。そういう文章が、子どもの頃に習った文章なのです。
言い方を変えれば、一方的に自分が言いたいことを言いっぱなしにする文章、ということになります。読み手がどんなことを求めているのか、とか、どんなことを考えているのか、とか、そんなことはお構いなしに書くことになるのです。
これは、大学時代のレポートも同様でしょう。
しかし、社会に出ると、そうはいかなくなります。ビジネスの文書には、必ず読み手という相手がいるからです。メールしかり、日報しかり、提案書しかり。
つまり、相手のニーズに合わせて書いていかないといけないのです。この「読み手を意識する」ということが、子どもの頃の作文にはまったくなかったことなのです。
ただ、このことに気づくと、1つ理解できることがあります。それは、「相手が求めているものを書けばいい」ということです。
自分が書きたいことではなく、相手が求めているものを書く。
ビジネス文書、もっといえば大人の文章では、この発想転換が求められるのです。
そして実はこれができると、文章はグッと書きやすくなります。
起承転結はやってはいけない文章
もう1つ、子どもの頃の作文で教わって、強烈に頭の中にインプットされているものがあります。それが、起承転結に代表される構文です。
文章には構文がないといけない。書き出しから、きれいな締めに至っていかないといけない。
そんなふうに思い込んでいる人も少なくないのではないでしょうか。
しかし、実は起承転結は、むしろビジネス文書では絶対にやってはいけない文章です。なぜなら、結論が最後に出てくるから。
ビジネスの世界では、早く結論が欲しいのです。まずは結論を書き、それからその理由を書いていく。これこそが、ビジネス文書の王道です。
なのに、起承転結で書いてしまったらどうなるか。いつまでも結論が出てこなくて、読み手をイライラさせてしまうようなことになりかねないのです。
実は起承転結というのは、物語を作るときの構文です。つまり、ストーリーライティングのためのもの。ビジネス文書は物語ではありません。
読者対象しかり、構文しかり、子どもの頃に教わった作文と、ビジネス文書に求められるものとは、実は逆なのです。まずは、そのことに気づいておく必要があります。
わかりやすさこそが最強、という発想転換
無理に言葉を見つけたりする必要はない
20代の私がなかなか文章を書けなかった理由は先に書いていますが、とりわけ私を苦しめたのは、「言葉がなかなか出てこない」ことでした。
立派な文章、美しい文章、カッコいい文章を書こう、ハッとするような言葉を探し出そうと、とにかく悪戦苦闘していたのです。
そして、どうして自分が子どもの頃、作文が嫌いだったのかを思い出しました。
やれ文法がどうだとか、「、」と「。」の位置がどうだとか、言葉の順番がどうだとか、助詞だの形容詞だの文法をどうするとか、とにかくルールが面倒だったことです。
そういうルールを覚えたり、こっちは○でこうしたら×で、みたいなものが、私は大嫌いだったのでした。そんなのいちいち覚えていられないし、書くたびに振り返っていられない。そんなものにがんじがらめになっても、ちっとも楽しくなかったからです。
では、文章を書く仕事でフリーランスになり、もう30年近くになる私はいま、どうしているのか。
言葉を探す? 文法? まったくそんなことは考えていません。
言葉を探し出そうとすることもないし、見つけようとすることもない。
文法の本を読んだこともないし、構文もまったく考えない。
本当です。
というのも、ごく普通に日常的に使っている言葉で、まったくもって充分だからです。書き手の私も困らないし、何より読み手が困らない。
小難しい言葉やもったいぶったような言い回しをされたところで、理解が遅くなるだけです。
そんなことより、すばやく必要なことを理解したい。
自分にもわかりやすい言葉で説明してほしい。
みなさんも文章を読むとき、そう思っているはずです。ならば、書き手としても、それを実践すればいいのです。