本記事は、桑原晃弥氏の著書『自己肯定感を高める アドラーの名言』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
「イエス」だけだと
単なる「便利屋」になってしまいます。
嫌われることを恐れず、
「ノー」と言う勇気を持とう。
アドラーは、「良い友人とは何か」について、こういう言い方をしています。
「この人は良い友人であるが、他の人を怒らせることを恐れない。しかし、いつも他の人の幸運に関心があるだろう」
良い友人は、何でも相手のいいなりで、自分の考えを持たない、控え目な人のことではありません。他の人を怒らせるのは決して望ましいことではありませんが、かといって「こんなことを言ったら怒らせてしまう、嫌われてしまう」と顔色をうかがいながら、言いたいことも言わないなど遠慮ばかりするのは、良い友人とは言えません。
友人が間違ったことをしたり、間違ったことを言っているのに、適切な助言をためらうのは、健全な交友関係ではありません。
仕事でも私生活でも、同僚や友人から「あれやって」「これやって」と頼まれると「ノー」とは言えない人がいます。
頼む側からすると何とも頼りになる存在ですが、こうした人に限って、「どうして自分はノーと言えないんだろう」「自分はこんなにやってあげているのに周りからはちっとも感謝されない」と不満を感じていることが少なくありません。
しかも、こうした人が感謝され、尊敬されているかというと案外周りからは「頼めば何でもやってくれる便利な存在」、言わば「便利屋さん」と思われています。
一方、時に友人に強いことを言う人の方が、相手からは尊敬され、信頼されているというのもよくあることです。
なぜこんなことが起きるのでしょうか?
大切なのは、なぜ時に「ノー」と言うのか、なぜ怒らせることを恐れないかです。威圧して屈服させるためなら問題ですが、相手の幸福のためであれば、怒らせることは歓迎すべき行為となります。
良い友人とは、時に厳しい友人でもあるのです。良い友人は、友人が間違ったことをしているのなら厳しい言動をとることも辞さないし、相手から嫌われることを恐れて発言をためらうことはありません。決して他の人から賞賛されようとも考えていません。
仕事でも同じことが言えます。
仕事でもスポーツでもチームで戦う時、しきりと強調されるのが「チームワークの大切さ」ですが、チームワークをただの「仲良しクラブ」と勘違いしてしまうとまるで成果の上がらないチームになってしまいます。
チームがまとまり、機能するためには、メンバー全員が不安や恥ずかしさを感じることなく、リスクある行動をとることが必要になります。重要なのはチームのメンバー全員が自分の意見をしっかりと言えるかどうか、みんながその意見に耳を傾けるかどうかです。
大切なのがアドラーの言う「良い友人は人を怒らせることを恐れない。しかし、いつも人の幸福に関心がある」という考え方です。良いチームワークは、単なる仲良しクラブではダメで、仲の良いケンカができることが求められます。みんなが言いたいことを言い、そこからより良いものを生み出していくという率直な姿勢からチームワークは生まれることになるのです。
人は「嫌われたくない」気持ちが強すぎると、心をすり減らすことになりがちです。
それよりも「嫌われてもいい」と開き直って、時に「ノー」と言い、時に相手のために言うべきことを言う。そんな人をこそ人は「本当の友人」として信頼するのです。
アドラーの名言:この人は良い友人であるが、他の人を怒らせることを恐れない。
「自分だけ」にとらわれず、
かといって「他人だけ」でもダメで、
自分を持ちながら、
自分を離れた客観的な目も大切にしよう。
アドラーの心理学は「個人心理学」と呼ばれています。
しかし、それは自分(個人)が世界の中心だと思うことではありません。
ある人が今の時代、自己中心に生きる人たちのことを「今だけ、金だけ、自分だけ」と批判していましたが、こうした人ばかり増えると、世の中はお金中心のギスギスしたものにならざるを得ません。
自分が世界の中心だと思う人は、他人は自分のために生きていると勘違いし、その勘違いが満たされないと怒り出します。それは単なる「自分への執着」です。
アドラーは、自分に執着しすぎる人に対しては、他者への関心を持つように援助することが重要だと考えていました。
個人心理学の中心には、共同体感覚があります。
共同体感覚を持つためには、自分以外の他者の存在を認め、他者に関心を持ち、共感できることが重要になります。
アドラーは医者になりたいという子どもにこうアドバイスしています。
「良い医者になるためには、君自身以外の他の人にも関心を持たなければならない。病気になった時に他の人が何を必要としているかを理解するためだ。良い友人になり、自分自身のことはあまり考えないようにしなければならない」
他者に関心を持つのがひどく難しいと感じる人は、恐らく「好き嫌い」といった関心にとどまっています。そうではなく、相手と自分を同一視して、「この場合、この人ならどうするだろう」と考えるのが他者への本当の関心です。それをアドラーは「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」と表現していました。
ビジネスの世界でよく言われるのが「お客さまのために」という言い方です。そこにあるのは「お客さまのためにベストのサービスを」という考え方ですが、セブン-イレブンの創業者・鈴木敏文さんは「顧客のために」という発想では「売り手の立場」や「つくり手の立場」から脱却できないとして、社員にこう言い続けていました。
「『顧客のために』ではなく『顧客の立場』で考えろ」
「顧客のために」はあくまでも売り手やつくり手の立場からの発想になるのに対し、「顧客の立場」に立てば、顧客の心理が分かり、「何をすれば一番嬉しいか、ありがたいか」がよく分かるという意味です。
そしてそこからヒットが生まれると言います。
人はどうしても「自分」や「自社」中心に考えがちですが、だからこそ「他人の目や耳、心」で感じることがとても大切になるのです。
世阿弥に「離見の見」という言葉があります。
演者が、自分を離れ、観客の立場に立って自分の姿を見ることで、自分について自己満足せず、客観的な視点を持つ大切さを教える言葉です。
アドラーの言う「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」は「共感」を重んじた言葉ですが、ここでアドラーが強調したいのは「自分だけの考え方」にとらわれることなく客観的な視点を持つことです。
人は「自分だけ」にとらわれてもダメだし、自分をなくして「他人だけ」に振り回されてもダメになります。
しっかりと「自分」を持ちながらも、「自分を離れた視点」も持つことで初めて人はより「自分らしく」生きられるし、「社会の中の自分」を自覚することもできるのです。
アドラーの名言:他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる。