本記事は、桑原晃弥氏の著書『自己肯定感を高める アドラーの名言』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
頭の中でいくら夢を見たところで、
その思いが実現されることはない。
言い訳をしたり、後悔するくらいなら、
「まずやってみる」を習慣にしよう。
強い虚栄心を持つ人は、何とかして自分が優れているという「酩酊」の中にあり続けようと、さまざまな条件を持ち出すといいます。
その1つが「実現不可能な時間への要求」です。
たとえば、「以前に1度何をしていたら」「学んでいたら」「知っていれば」「他の人が何かをしたらよかったのに」「他の人が何かをしなかったらよかったのに」といった決して実現されない要求です。あるいは、「私が男なら」「私が女なら」という、これも実現不可能な要求を持ち出すこともあります。
このような口実を持ち出して、ムダにした時間のことを考えなくてもいいように睡眠薬をつくることに満足しているのがこうした人たちの特徴だといいます。
アドラーが『イソップ寓話集』にある、こんな例を挙げています。
国ではぱっとしない五種競技の選手が海外遠征から帰り、あちこちの国で勇名を馳せ、特にロドス島ではオリンピア競技者よりもすごいジャンプをしたと大言壮語しました。
噓だと思うなら、ロドス島の人に聞いてみればいいとも付け加えました。
すると、居合わせた1人がこう声を掛けました。
「おい、そこの兄さん、それが本当なら、証人はいらない。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」
本当にそれほどの実力があるのならロドス島の人に聞くまでもなく、ロドス島以外でも素晴らしいジャンプができるはずです。
証人がいないことをいいことに、「俺はロドス島ではすごいジャンプができる」と威張ったものの、それは実現不可能な口実に過ぎませんでした。
単なる虚勢に過ぎなかったのです。
こんな口実に逃げ込んではいけません。時間のムダです。
こんなことを繰り返しているうちに時間はただ過ぎ去って、何ができるかを示すチャンスは消え去ってしまいます。アドラーはこう指摘しています。
「夢を見て熟考している間に、時は過ぎ去るのである。しかし、時が過ぎてしまうと、せいぜい彼(女)には今や自分ができたことを示す良い機会はもはやないという言い訳しか残っていない」
虚栄心を満足させるほどの成果を上げる自信がない人間に限って、あれこれ言い訳をして「時が過ぎる」のを待つことになるのです。
誰かが素晴らしい製品を発明した時に、「これは自分が前から考えていたものと同じだ」などと強がりを言う人がいます。
たしかにそうなのかもしれませんが、実際に成果を手にするのは「考えていた人」ではなく、「実際にやってみた人」です。
どれほどすぐれたアイデアを持っていたとしても、それを頭の中で考えているだけではダメで、実行に移すことで初めてアイデアは形になり、他者に先んずることができるのです。しかし、実際には多くの人が頭の中で考えることはあっても、行動に移すことはありません。そうやって夢を見て熟考している間に、時は過ぎ去り、自分が素晴らしいアイデアの持ち主であったことを証明する機会はすっかり失われてしまうのです。
自分に行動力が足りないと感じている人は、「こうしたい」と思ったら、すぐに行動してみることです。時には失敗もあるかもしれませんが、少なくとも「あの時、あれをやっておけばよかった」と後悔することや、先を越されて悔やむことはなくなるはずです。
アドラーの名言:夢を見て熟考している間に、時は過ぎ去るのである。
目標があるからこそ
歩き出すことができる。
目標があるからこそ
歩き続けることもできるのである。
第5回WBCで日本代表を優勝に導き、MVPを獲得した大谷翔平選手が高校時代に数十年にわたる人生の目標を掲げ、そのために「何をすべきか」についてさらに細かな目標や行動計画を立てていたのはよく知られています。
驚くことにそこには「27歳でWBCでMVPを獲得する」という目標まで書き込まれており、1年のズレはあっても、その目標を見事に達成しています。同時にこうした目標があればこそ、大谷選手はストイックなまでに自分を鍛え、技術を高めることができたのもまた事実です。
何かを成し遂げたいのなら、「まず動く」ことが大切ですが、「動く」ためには、「目指す目標」が必要で、目標があればこそ人は行動し続けることもできるのです。
人間は行為に先立って何かをしようという目標があり、その目標を実現するために考え、行動するというのがアドラーの考え方です。
たとえば夜1人で寝る子どもが泣くのは、母親の注目を引くという目標のためです。同じように我儘を言ったり、少し乱暴を働くのも自分への注目を集めたいという目標がそこにあるからです。
このように「何のため」という目標が分かればなぜそのような行動をとるのかを理解することもできます。
目標の設定は非常に早い時期から始まります。
アドラーが人生の目標を定めたのは5歳の時です。
冬の日、友だちとアイススケートに出かけて置き去りにされたアドラーは自力で家に帰りついたものの肺炎に罹ってしまいました。
医師が「この子は助かりません」と宣告するほどの重症でしたが、幸いにも両親の手厚い看病のお陰で肺炎から回復したアドラーはこの時、「私は医師にならなければならない」と決心しています。
途中、挫折しかけたこともありますが、「目標に到達しよう」という意欲を失うことはありませんでした。
目標があったからこそ前に進むことができたアドラーはこう考えました。
「1本の線を引く時、目標を目にしていなければ、最後まで線を引くことはできない」
目標があるからこそ人は前に進むことができます。もし目標がなければどちらに進み、どのように努力すべきかも考えることができなくなるのです。
このように人が人生をどう生きるかは、遺伝や環境によって決められているわけではなく、1人1人が自分の意志で目標を定め、その目標に向かって最初の一歩を踏み出すことで決まります。
しかし、その際に共同体感覚が欠けていると、せっかくの目標が人生の有用ではない面に向かうことがあるだけに注意が肝要です。こうした人生は決して本人にとっても社会にとっても有用なものになることはありません。
アドラーは医者になりたかった理由について、「私は死と戦いたかったし、死を殺し、死をコントロールさえしたかった」と述べた後、こう付け加えています。
「医師になるという目標も、生と死の主人になりたいという神のような欲求をめぐって形作られるものである。しかし、ここでは目標は社会に奉仕することを通じて実現される」
何かを成し遂げたいなら、「まずやってみる」ことを習慣にしますが、そこに「有用な目標」が加わることで、「やり続ける」ことができるようになるのです。
アドラーの名言:1本の線を引く時、目標を目にしていなければ、最後まで線を引くことはできない。