この記事は2023年12月7日に「The Finance」で公開された「顧客本位の業務運営に関する金融商品取引法等の2023年改正と保険実務への影響」を一部編集し、転載したものです。
2023年11月20日、「金融商品取引法等の一部を改正する法律」(以下、「改正法」という。)が衆議院本会議で可決され、成立した。改正法の内容は多岐にわたるが、保険業界への影響が注目される改正項目の一つとして、最善利益義務(最終的な受益者たる金融サービスの顧客や年金加入者の最善の利益を勘案しつつ、誠実かつ公正に業務を遂行すべきとする義務)が挙げられる。最善利益義務は、従来から「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2において同様の内容が定められていたものであるが、これが法律上の義務になったものといえる。本稿では最善利益義務の内容と予想される保険実務への影響について解説する。なお、本稿の意見にわたる部分は筆者の私見である。
目次
最善利益義務
(1)最善利益義務に関する改正法の規定
改正法では、最善利益義務について、金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律(以下、「改正金サ法」という。)2条1項において以下のとおり規定する。その主な内容としては、「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」は、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」としている。
金融サービスの提供等に係る業務を行う者は、次項各号に掲げる業務又はこれに付随し、若しくは関連する業務であって顧客(次項第十四号から第十八号までに掲げる業務又はこれに付随し、若しくは関連する業務を行う場合にあっては加入者、その他政令で定める場合にあっては政令で定める者。以下この項において「顧客等」という。)の保護を確保することが必要と認められるものとして政令で定めるものを行うときは、顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない。 |
改正法は、最善利益義務の主体を「金融サービスの提供等に係る業務を行う者」とし、金融事業者や企業年金等関係者について幅広く規定している(改正金サ法2条2項)。保険分野に関しては、保険業、保険募集などの業務について、「当該業務を行う者並びにその役員及び使用人」が対象となる旨規定している(同項10号)。そのため、保険会社、少額短期保険業者、保険募集人、保険仲立人などは全て最善利益義務の対象となる。また、保険会社や保険代理店などの事業者のみでなく「その役員及び使用人」についても対象とされている点に留意が必要である。
最善利益義務の内容(「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」)については、前述のとおり「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2において同様の内容が定められていたことを踏まえると、「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2において金融事業者に期待されてきた内容が法令上の義務として求められる、と考えるべきであると思われる。ただし、最善利益義務の内容は全ての事業者について一律ではなく、各金融事業者の提供するサービスによって異なると考えられる。この点については、後述の「金融審議会 市場制度ワーキング・グループ 顧客本位タスクフォース 中間報告」においても、「金融事業者一般に共通する義務とされる場合であっても、その内容は全ての金融事業者に一律というものではなく、金融事業者の業態、ビジネスモデルなどの具体的な事情に応じて個別に判断されるべきである」との意見があったことが紹介されている。
(2)顧客本位タスクフォース中間報告
改正法のうち最善利益義務に係る部分については、2022年12月に公表された「金融審議会 市場制度ワーキング・グループ 顧客本位タスクフォース 中間報告」(以下、「中間報告」という。)を踏まえたものである。そのため、以下では中間報告の内容について解説を行う。
最善利益義務については、前述のとおり、「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2において、同様の内容が定められている。「顧客本位の業務運営に関する原則」は、「プリンシプルベース・アプローチ」とされ、金融事業者が本原則を採択する場合には、顧客本位の業務運営を実現するための明確な方針を策定し、当該方針に基づいて業務運営を行うことが求められてきた。
顧客本位の業務運営に関する原則 原則2
【顧客の最善の利益の追求】 原則2.金融事業者は、高度の専門性と職業倫理を保持し、顧客に対して誠実・公正に業務を行い、顧客の最善の利益を図るべきである。金融事業者は、こうした業務運営が企業文化として定着するよう努めるべきである。 |
中間報告では、金融事業者による顧客本位の商品・サービスを提供する取組みの現状について、「道半ば」と評価している。具体的には、①リスクが分かりにくく、コストが合理的でない可能性のある商品が推奨・販売されているのではないか、顧客利益より販売促進を優先した金融商品の組成・管理が行われているのではないか、といった、商品組成・選定や説明のあり方、提案方法等に関する課題が引き続き指摘されている点を挙げているほか、②顧客本位の業務運営に関する原則を採択していない、あるいは、方針等を公表していない金融事業者も多く存在していることを挙げている。このような状況を受けて、金融審議会市場制度ワーキング・グループ顧客本位タスクフォースでは、上記の原則2について法令上の義務とすることを求める発言がなされていた。これを踏まえ、中間報告では、顧客本位の業務運営に関する原則に定められている金融事業者について、顧客に対して誠実・公正に業務を行い、顧客の最善の利益を図るべきであることを広く金融事業者一般に共通する義務として定めることなどにより、顧客本位の業務運営に関する原則に沿った顧客・最終受益者の最善の利益を図る取組みを一歩踏み込んだものとすることを促すべきである、とされた。
(3)最善利益義務違反の効果
最善利益義務違反の効果については、同義務違反が行政処分の根拠となるか、との点が論点となると思われる。この点については、当該義務が保険業法などの各業法ではなく改正金サ法に規定されることとの関係で議論があり得ると考えられる。しかし、「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2において定められていた内容が法律上の義務になったもの、との点などを踏まえると、最善利益義務違反は保険業法を含む各金融業法に基づく行政処分の根拠となると考えられる。
保険実務への影響
(1)最善利益義務への対応
繰り返しになるが、最善利益義務については、「顧客本位の業務運営に関する原則」の原則2の内容が法律上の義務になったものといえる。そのため、事業者において「顧客本位の業務運営に関する原則」の下で十分な対応を行ってきたということであれば、改正法において特段の対応は不要ともいえる。一方で、従来「顧客本位の業務運営に関する原則」についてはプリンシプルベースのアプローチとされてきたところ、最善利益義務については法律上の義務となったことで位置づけは大きく異なることになる。また、次に述べる監督行政への影響も考慮すると、各事業者において、自らが関与する各業務について、最善利益義務の観点から改めて検証を行うことは有益と思われる。
(2)監督行政への影響
最善利益義務違反が保険業法に基づく行政処分の根拠となると考えられることは前述したとおりであるが、行政処分以前の監督の段階についても「各事業者が最善利益義務を果たしているか」との点を重視することになると思われる点には留意が必要である。最善利益義務が法律上の義務として定められたことを踏まえると、当該義務は金融庁が2018年に策定した「金融検査・監督の考え方と進め方(検査・監督基本方針)」でいうところの「最低基準」(ミニマム・スタンダード)となったと評価できるものと考えられる。このことが近時の監督行政の流れの中でどのように位置付けられるのか、という点については措いておくとしても、従来プリンシプルベースのアプローチとされてきた「顧客本位の業務運営に関する原則」から法律上の義務となったことによって、当局における最善利益義務の位置づけも異なってくるものと思われる。具体的には、最善利益義務を重点的な監督対象とすることや、個別事案においても、事業者に対し最善利益義務の観点から一歩踏み込んだ対応の検討を求めることも、ありうるように思われる。
(3)形式重視から実質重視へ
今回の改正については、金融行政の「形式から実質へ」の視野の拡大の一環と評価することができるように思われる。金融規制の手法としては、伝統的には情報開示義務や書面交付義務など金融機関の行為の形式的な面をとらえた規制が重視されてきた。しかし、そのような義務を課すのみでは顧客保護・顧客本位の観点から不十分ではないか、との観点から、実質面をも重視した政策へと変化が生じつつある。このような流れは日本の金融当局のみに見られるものではない。最善利益義務自体が米国のベストインタレスト規則(Regulation Best Interest)を参考にしたものといわれており、また、英国ではさらに進んで、金融機関は金融商品・サービスの提供にあたって顧客に良い結果(outcome)をもたらすよう行動することが必要であるとされ、金融機関に対してその点について定期的に検証することなどを求める新規制(Consumer Duty)が導入されている。前述の中間報告でも、最善利益義務について「同義務を定めることによって、誠実公正義務と同様に、具体的な行為規制が捕捉しづらい行為を規制する際の指針としての役割を果たすことが期待される」とされていることもあり、各事業者においても「必要な手続が履践されているか」といった形式的な面のみを重視するのではなく、金融商品・サービスが顧客の最善の利益を勘案したものとなっているか、といった実質的な観点も含めて検討していくことが、これまで以上に重要になると考えられる。
シニア・アソシエイト 弁護士
2013年弁護士登録、森・濱田松本法律事務所入所。2018年から2020年にかけて、金融庁監督局保険課にて課長補佐(法務担当)として勤務し、総合政策局総合政策課金融行政モニターサポートスタッフ、法令等遵守調査室を併任。2022年オックスフォード大学ロースクール(MSc in Law and Finance)修了後、Herbert Smith Freehills法律事務所ロンドンオフィスにて保険関連業務(再保険取引、カバレッジ、保険訴訟など)に従事。