この記事は2024年11月6日に「The Finance」で公開された「銀行業界における人材投資・リスキリング戦略」を一部編集し、転載したものです。


昨今の顧客ニーズの変化やデジタルテクノロジーの発達を背景に、銀行業界においても「リスキリング」の重要性が高まっている。本稿では、銀行業界におけるリスキリングの現状を見たうえで、リスキリングの在り方と自律的なキャリア形成の重要性、そして今後の銀行業界に期待される役割について考察したい。

目次

  1. はじめに
  2. 銀行業界の現状
    1. 銀行業界の採用状況
    2. 求められる役割・人材の変化
    3. 銀行の人材における課題
  3. リスキリングの現状
    1. リスキリングとは
    2. 日本におけるリスキリングの現状
    3. リスキリング成功のために
  4. 最後に

はじめに

銀行業界における人材投資・リスキリング戦略
(画像=Smile Studio AP/stock.adobe.com)

昨今、「リスキリング」という言葉がよく聞かれるようになった。これは岸田政権下の「経済財政運営と改革の基本方針2023(骨太方針2023)」において示された「三位一体の市場改革」(ジョブ型人事の導入、労働移動の円滑化、リスキリングによる能力向上支援)の一つとして推進されてきた影響もあるが、環境変化により実際に「リスキリング」が必要とされるようになってきたことが大きな理由である。このような時代の流れは金融業界・銀行業界においても例外ではない。

銀行業界は、日々著しく進化するデジタルテクノロジーへの対応、金融サービス×ITを武器にビジネスを展開する新興企業の勃興、金利ある世界への回帰、融資手法の多様化等による業務内容の高度化、IT企業を中心とした産業・顧客企業の多様化、金融インフラとしての公共性・利便性に対する社会からの高い期待等を背景に、これまでのスキルセットでは十分に対応できなくなっている。

このように、高度な人材と知見の蓄積が求められる銀行業界において人材確保の難易度が上がり、新卒市場においては、他業界含め優秀人材の獲得競争が激しくなっている。各行は優秀な第二新卒・中途の採用に急速に力を入れ始めているものの、銀行特有の文化や組織風土がハードルとなり、必ずしも即戦力として活躍できる訳ではなく、現場レベルでは必ずしも順風満帆にいっていないのが実情である。

これらを背景として、銀行業界では既存社員の学び直し=「リスキリング」の重要性がますます高まっている。しかしながら、「リスキリング」の重要性の理解と効果的な実践が行われているかといえば、まだまだ途上と言える。

銀行業界の現状

銀行業界の採用状況

長らく銀行業界においては新卒総合職採用が主流であったため複数の人事異動が繰り返され、ジェネラリストが重宝される傾向にあった。近年はスペシャリストを目指すコース別の新卒採用の実施に加え、専門性を持つ即戦力人材に対するニーズの高まりから中途採用比率が大幅に増えている。2024年度の3メガバンクの新卒と中途を合算した採用予定数は2500人強、そのうち中途採用は1200人で5割に近づいているとの報道もある。例えば、みずほフィナンシャルグループでは第二新卒の採用にも積極的に取り組んでいるほか、中途採用において、従前からの人事部主導ではなく各事業部門(カンパニー)が採用活動を主導する等、人材確保の手法に変化が見られるようになってきた。

求められる役割・人材の変化

冒頭で述べた通り、急速に発達するデジタルテクノロジーや顧客ニーズの多様化により、銀行の役割も変化し、それに伴い求められる人材の要件も拡大している。

ブロックチェーンやオープンAPI等の活用によりフィンテック企業による決済分野への進出が進んでいる。昨今ではブロックチェーンを活用した決済プロトコルである「Ripple」が、かつては数日以上かかっていた銀行間の国際送金の高速化・低コスト化を実現しており、スペインのサンタンデール銀行は「One Pay FX」というアプリの中でRippleを活用している。また、三井住友はエンベデッドファイナンスに強みを持つインフキュリオンに出資し、Oliveと並ぶようなBtoB領域における包括サービスの拡充を目指す動きがある。このようなフィンテック企業との連携は今後も増加すると予測される。

また、融資手法も多様化しており、シンジケートローン、ABL(動産・売掛債権担保融資)、メザニンファイナンス、グリーンローン、サスティナビリティローン等、高度な知識と専門性が求められるようになっている。加えて、中堅・中小企業の事業承継やM&A、経営支援、ESGアドバイザリー等、コンサルティング・アドバイザリー等の幅広い分野への対応が必要であり、銀行業界は金融サービスの提供者としてのみならず、総合的なソリューションを提供するパートナーとしての役割がより求められている。りそな銀行のプライベートバンキングでは、事業承継や資産承継に向けた全面的なサポートを行っており、自社株評価額の試算や承継方法の検討、りそな総合研究所・りそなキャピタルと連携での中期経営計画策定、経営管理体制見直し、新体制に向けた経営幹部育成、人事評価制度再構築等の支援を実施している。

これらの幅広い社会からのニーズに応えるためには、特定領域における高度な専門知識・知見に加え、顧客の持つ潜在的なニーズや課題を明らかにしながら最適なソリューションを提案するという、自発的・自律的なマインドセットが求められる。

《参照》
YouTube|Ripple News: Banco Santander’s Payment App Runs on Ripple
SMBCグループと株式会社インフキュリオンによる資本業務提携締結について
事業承継 業務詳細 | プライベートバンキング|りそなグループ (resonabank.co.jp)

銀行の人材における課題

銀行業界における人材戦略上の課題は大きく2点あると考える。

1点目はスキルの理想と現実のギャップである。近年は専門的な人材の採用や教育に力を入れているものの、これまで長らくジェネラリスト育成を基本とした人事異動や人材教育が実施されてきたことにより、前述のような特定分野に対する専門的な人材が社内に不足していると考えられる。また、従来とは異なるマインドセット、行動特性・コンピテンシーが必要とされるなか、実際には従来と大きな変化が見られず、現実とのギャップが生まれているのではないかと考える。

2点目は、エンゲージメントの低下である。十数年前と比較すると長期的なキャリア形成の観点で転職する人が増えていることや、他業界・業種からの高額オファー等を背景に優秀人材の流出が見られる一方で、魅力的なキャリア形成を支援する人事制度、能力に見合った報酬(給与制度)の整備が追い付いておらず、エンゲージメントが低下する傾向にあるのではないかと考える。また、中途採用者についても、銀行特有の文化・組織風土に馴染むことが難しく、能力を発揮できずに一定期間のうちに退職してしまうケースがある。

これらの課題を解決する一つの方法として「リスキリング」が大きな鍵を握ることとなる。

リスキリングの現状

リスキリングとは

ここで改めて「リスキリング」という言葉の意味を考える。「リスキリング」という言葉が初めて登場したのは2018年の世界経済フォーラム年次会議(通称ダボス会議)であり、「リスキリング革命」として「第4次産業革命に伴う技術の変化に対応した新たなスキルを獲得するために、2030年までに10億人により良い教育、スキル、仕事を提供する」という目標が掲げられた。会議の中では、第4次産業革命によって数年で約8,000万件の仕事が消失する一方で、新たに9,700万件の仕事が生まれるとの予測を言及している。これを受けて、岸田前首相は2022年10月3日の所信表明演説で、リスキリング支援として5年間で1兆円を投じると表明した。リスキリングとは、既存分野から新興の成長分野へ労働力を分配するための世界的・国家的戦略であり、単なる個人の学び直しやリカレントとは異なるものである。主役は働き手の個々人ではあるが、投資や環境整備については国や企業がその責を負う。

日本がこれから再成長していくためには、企業が過去の栄光に縋ることをやめ、個々の働き手が過去の成功体験をアンラーン(学習棄却)しながら新たな価値観・能力・知識を蓄積し、社会変革を推進していく必要がある。リスキリングとは人材の「トランスフォーメーション」である。

《参照》
令和4年10月3日 第二百十回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)

 

日本におけるリスキリングの現状

日本でもリスキリングに向けた取り組みは浸透しつつある。帝国データバンクの調査によると、リスキリングについて何らかの取り組みを一つ以上実施している企業は全体の48.1%と、約半数が何らかの取り組みに着手している。

金融業界での例では、三井住友信託ではリスキリングのレベルを4段階に分け、2025年に向けた目標人数を設定することで段階的な成長を目指している。レベル1ではITパスポート相当の知見を習得させ、システムの受け入れテスト等ができるようにし、レベル2では1億円未満のシステム導入案件の推進・保守・運用、レベル3では専門的知見を持ち、大規模案件の指揮ができるスキルを身に付けることを目指している。その他銀行業界の例として、りそなホールディングスはDXを全社的に推進するために、IT専門部隊・本部・全社員の三区分を設け、それぞれに適切な教育・研修を実施している。三井住友フィナンシャルグループではグループ全従業員に対してDX研修を実施、あおぞら銀行も21年度から全行員約2000人にデジタル教育を開始する等、金融業界・銀行業界でのリスキリング事例も見られる。しかし、成果が発揮されるまでには時間を要するのも事実だ。リスキリングを成功に導くためには、組織内に根差すコンピテンシーの根本的な変革を併せて行う必要がある。

《参照》
リスキリングに関する企業の意識調査 | TDB景気動向オンライン (tdb-di.com)
100年目のリスキリング 「正社員7割、DX人材」への挑戦 金融PLUS 金融グループ次長 浜 岳彦 – 日本経済新聞 (nikkei.com)

リスキリング成功のために

前述の通り、銀行業界におけるリスキリングはいくつかの取り組み事例が見られるものの、まだまだ発展途上である。では今後、銀行業界がリスキリングを推進し、企業・業界全体の人材変革を実現するためには、何をすべきか。

3-1「リスキリングとは」で述べた通り、リスキリングとは企業・個人が過去の成功体験をアンラーン(学習棄却)し、新たな知識・知見・価値観を獲得することである。リスキリング成功のためには、以下3つの阻害要因の排除が必要である。

  • 文化的要因
  • 経済的要因
  • 組織的要因

【文化的要因】
銀行業界には少しずつ変革が見られているとは言え、終身雇用制や年功序列、縦割り組織等が未だに残存している。一般的に、年功者が発言力を持つ組織においては、組織としての新たな知識や価値観の獲得に対して抵抗感が生まれる傾向が強いと考えられる。また、銀行業界は規制業種であり社会インフラとしての役割を担う側面があり、リスクを伴う新たなテクノロジーの導入や業務プロセスの改革には慎重なアプローチが求められ、結果的に業界全体がイノベーションに対して保守的になる傾向がある。積極的なアジャイルプロジェクトの導入や多様な背景を持つメンバーの配置、イノベーションを奨励する社内制度の導入などにより、リスクを最小限に抑えつつ変化を受け入れる文化の醸成が重要である。

【経済的要因】
組織が短期的な利益追求と投資コスト回収を目指す場合には、リスキリングの本来の目的が達成できない恐れがある。リスキリングは一人一人の行動特性やマインドセットの抜本的な変革を目指すものであり、組織の変革なしに実現するものではない。組織は経営戦略とともに人材戦略を明確に描き、十分な投資をして一過性の取り組みとせずに継続的に取り組むことが求められる。

【組織的要因】
固有のヒエラルキーや縦割り組織は、リスキルした人材の活躍を阻害する要因となり得るため注意が必要である。リスキリングの成功には、組織の変革と個人の変革が両輪で回っていくことが必要であり、組織・部門ごとに求められるスキルや能力を明確化し、適切な人員配置や活躍・成長の機会を組織全体で創出する必要がある。

最後に

銀行業界がリスキリングを成功させるためには、組織が変革していくとともに銀行で働いている個人の意識・価値観の変革が必要不可欠である。失われた30年の間、トップダウンの指示のもと変わらぬ日々の業務をこなしていた人もいるのではないだろうか。これからは、どのような価値を出し、組織・社会にどう貢献するのかを自律的に考え、行動していただきたいと考える。そして、組織は個人の取り組みを最大限支援し、変革を受容できる体制づくりに取り組んでいただきたい。

銀行業界に対する世の中の期待は非常に大きいものがある。本稿をきっかけに自らのキャリアを見つめ直し、変革にむけた後押しとなれば幸いである。

佐藤 瑛吾 氏
株式会社クニエ
東京外国語大学国際日本学部を卒業し、新卒でクニエに入社。金融領域を中心に幅広い業界における事業戦略策定、組織風土改革、業務プロセス改革などのプロジェクトに従事。