1981年3月 慶應義塾大学 商学部卒業
1985年6月 ニューヨーク ペース大学 経営学修士卒業(MBA)
1985年6月 ブラウン・ブラザース・ハリマン・アンド・カンパニー ニューヨーク本社入社
1995年1月 同社マネージャー
1995年1月 ブラウン・ブラザース・ハリマン・アンド・カンパニー 東京駐在員事務所
1997年4月 ブラウン・ブラザース・ハリマン投資顧問株式会社 マネージングディレクター
2000年7月 ヤマト株式会社 代表取締役社長
創業からこれまでの事業変遷とヤマトの強み
—— 創業から現在までの事業の変遷と、御社の強みについてお聞かせいただけますか。
ヤマト株式会社 代表取締役社長・長谷川 豊氏(以下、社名・氏名略) ヤマト株式会社は、1899年に薪炭商の木内弥吉 が創業した会社です。薪炭商は、炭を持ち運ぶための紙袋も自分たちで作るんです。これに封をするために糊をつけるのですが、糊がすぐ腐ってしまうため、保存のきく良い糊を作ろうとしたところが始まりでした。この会社を、近くで呉服商を営んでいた長谷川家がM&Aで取得しまして、その後、家族代々経営を受け継いでおります。私は四代目として2000年に社長に就任し、歴史を守りながら事業を進めています。
当社は昔から多角的 な取り組みをしてきました。例えば、1942年には戦時中に食品会社の東洋食品工業株式会社を買収したり、1960年には、三代目である私の父が米国に行き、米国スリーエム社と業務提携し、日本におけるスコッチテープをはじめとした同社製品の販売を開始しました。
—— そのような歴史の中で、現在の事業内容について教えていただけますか。
長谷川 現在、ヤマト株式会社はステーショナリーの部門とインダストリー部門の二つの柱を持っています。文具事業では、主に糊をはじめとする接着・粘着商品の他、ホビー・クラフト商品を中心に展開しています。工業用品の方では、自動車産業や製紙産業、電子部品産業等に向け、接着を中心とした部材加工や工業用製品を提供しています。
特に、塗装時に使われるマスキングテープやブラックアウトテープの加工など、ニッチな分野での技術力を強みとしています。接着・粘着テープの企業から原材料を仕入れ、それを加工する技術を持っています。これにより、特殊なニーズに応える製品を提供しています。
父の代でグローバル化を進めた結果、現在ではアメリカ、タイ、トルコ、メキシコに拠点を持っています。
承継の経緯と当時の心意気
—— 事業承継についてお伺いしたいのですが、当時の経緯やお気持ちを教えていただけますか?
長谷川 もともと私は子供の頃から家業であるヤマト糊の工場の近くに住んでいて身近に見てましたので、将来は会社に入ろうと思っていました。しかし、会長は大学を出たら大学院へ行き、その後は外で働いてこいという考えでした。運よく学生時代にご縁があってアメリカに行くことになり、MBAを取得してそのままアメリカのプライベートバンクに入りました。
10年ほどアメリカで働き、その後同社の日本での投資顧問会社を設立したり、5年間日本の支店で働いた後、会長が体調を崩したことやヤマトの100周年ということもあり、後継として入社しました。ただ、当時のヤマトは事務消耗品の製造メーカーで、最初は金融業界との文化の違いに非常に苦労しました。
—— 外資系から日本の伝統的な企業への移行は大変だったでしょうね。
長谷川 はい。私のいた会社は日本の基幹投資家さんがメインで、年金の運用などをしていましたので扱う金額も大きく、そのギャップに驚いたり、何より日米の文化の違いに驚きました。年功序列で 、流通の立場が強いという文化があり、女性もほとんどいませんでした。社内でも好奇的な目で見られていたり、そういった苦労もありましたね。 また、文具の流通は、それまで問屋さんから小売店へ行く流れがありましたが、通販といった新しい流れも出てきました。小学校の前にあった文房具屋さんが減っていく中で、百円ショップや量販店、通販が主流になってきたんです。
—— 確かに、今では百均や量販店で文房具を買うことも多いですね。ところで、これまでのキャリアで得た経験がどのように生かされていますか?
長谷川 ニューヨークでの経験や前職の影響はとても大きいです。特に上司の働き方を見て、自分が率先して行動すれば部下がついてくるという考え方を学びました。前職で学んだリーダーシップや、グローバルな視点を持って、今の事業にも応用しています。業界の文化が変わりつつある中で、新しい挑戦を続けていきたいと考えています。
ぶつかった壁やその乗り越え方
—— 今のお話につながるところですが、事業を承継されてからぶつかった壁についてお聞かせ願えますか?
長谷川 やはり古い体質の業界に入ったことが一番大きな挑戦でした。外部的にも内部的にも苦労が多かったです。特に初期の頃はそれが顕著でしたね。
また、販売において、先輩社員たちの過去のやり方を変えることが難しかったですね。近年では、コロナの影響で在宅勤務が一般化し、メンタリティには変化が見られましたが、それでもまだ課題は多いです。
さらに、新しい商品を営業マンに売ってもらうのも苦労しました。特に就任当初採用したホビー商品などは特に説明が必要ですから。のりやテープのような商品は自然に売れましたが、今は時代が違います。また、最近ではZ世代以下の若い人たちを対象にした商品を検討したり、いずれにしても商品の販売サイクルが非常に早く、時代の流れに対応するのも苦労しています。商品の露出に関しても、直接行けば話が進むのですが、問屋を通すことで、露出商品の優先度が変わってしまうこともあります。
直販会社を持っている大手企業のように多くの社員を抱えることができず、新しい部署を設けることも難しいのが現状です。
—— 若い人を大量に採用すれば解決するという問題でもありませんよね。
長谷川 そもそも若い人材は大手企業に流れる傾向があります。うちは接着・粘着で126年の歴史がありますが、それでも若い人材を引きつけるのは難しいです。課題は多くありますが、業界の変化に対応しつつ、若い世代にも魅力的な企業であり続けたいと思います。
今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
—— 新規事業の計画や既存事業の拡大など、今後の展望についてお聞かせください。
長谷川 当社としては、オリジナリティ、イノベーション、ローコストの3つを常に考えなさいと指導しています。オリジナリティで付加価値を高めれば、価格が高くてもお客様が買ってくれるという考えを持っています。そして、それを低コストで提供することが、メーカーとして重要だと思っています。
—— なるほど。その上で、利益率についてはどうお考えですか?
長谷川 利益率を重視する経営も必要です。ただ、値上げが難しい業界であることも事実です。例えば、ある定番商品は30年間全く値上げしていませんでした。しかし、原材料の価格が上がったり円安の影響を受けて、利益率を重視せざるを得ない状況にあり価格改定も行いました 。ですので、今後は利益率の向上に注力しながら、新たな用途の開発や販路の拡大も考えていく必要があると思います。 例えば、本来の接着の用途ではないので推奨はしていませんが、スティックのりはかつてルーズソックスが流行った時期に滑り止めとして買われている方がいたりもしました。
また、液状のりをスーパーボールなどの工作に活用できるなど、応用の可能性は無限にあります。こうした既存商品に新たな用途を見出し、さらに売り先を広げることを考えています。
—— M&Aや売却などについてはどうお考えですか。
長谷川 金融機関等のマッチングサービスなどに行くと、M&Aできる会社を探しているつもりが、相手から買収のお話が来ることも多いんですよね。特に、長い歴史を持つ文具屋さんなどは、大企業の一部として成長するケースが多いようです。しかし、私たちは売却は今のところ考えておりません。
メディアユーザーへ一言
—— 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いできますか。
長谷川 日本は今、少子高齢化と人口減少という大きな課題に直面しています。これが国全体に影響を及ぼしている状況です。また、地政学的リスクも無視できません。例えば、当社のトルコの工場はシリアなどの近隣国の影響を受ける可能性があります。さらに、メキシコで作っている商品はアメリカに卸すのですが、アメリカとの貿易においても、関税の問題が出てくるかもしれません。これらのリスクをしっかり考えていかなければなりません。
また、時代は変わり、企業の寿命も短くなっているように感じます。特に若い起業家たちは、上場してすぐに会社を売却するケースが多いようです。しかし、日本の中小企業が成長しなければ、国全体が心配になります。
日本の中小企業は、ハイテク産業の分野でも重要な役割を果たしています。文具業界においては、そろばんや墨などの伝統的な道具は、規模の縮小はあれど今でも普通に使われていますよね。日本の文具のクオリティは世界一だと思います。紙や筆記具など、どれをとっても非常に高品質です。これらの業種は、今後も需要があるので、日本はニッチな産業でグローバルにこれからも伸びていくんじゃないかと思います。
- 氏名
- 長谷川 豊(はせがわ ゆたか)
- 社名
- ヤマト株式会社
- 役職
- 代表取締役社長