本記事は、白井旬氏の著書『人的資本経営×ESG思考』(合同フォレスト)の中から一部を抜粋・編集しています。

人的資本と連動する「社会関係資本」と「心理的資本」
「個人の活躍に関する方程式《個人の活躍=能力×状態》」を企業全体に拡大すると、《事業の発展=人的資本×社会関係資本×心理的資本》に展開できます。
しかし、「社会関係資本」や「心理的資本」になじみのない方もいらっしゃるかもしれません。そこで、これら資本の中身と重要性を、時代の変遷とともに説明します。
経済的資本(Economic Capital):何を持っているか?
かつて、企業の成長は経済的資本(資金や設備、インフラなどの物的資源)に依存していました(図表3-3)。具体的には、金融資産や有形資産(建造物、設備、原料、製品、特許、データなど)が挙げられます。

しかし、現代では知識経済や技術革新の進展により、企業の競争力は物的資源ではなく、人材の持つ知識やスキル、すなわち人的資本に大きく依存するようになってきています。
人的資本(Human Capital):何を知っていて、何ができるか?
人的資本とは、従業員が持つ知識やスキルなどのことで、一般的に「能力」を指します。ノーベル賞の受賞者である経済学者ゲーリー・ベッカーが提唱したこの概念は、教育や訓練を通じて従業員の能力を高め、企業全体の成果を向上させることを目的としています。具体的には、能力、持ち味、知識、スキル、ノウハウ、アイデア、情報などが含まれます。
社会関係資本(Social Capital):誰を知り、誰とつながっているか?
社会関係資本とは職場の信頼関係や社内外の協力体制などを指します。ロバート・パットナムが提唱したこの概念は、絆や信頼が組織全体の生産性や効率を向上させる要因であることを示しています。
具体的には、職場の人間関係、上司と部下の信頼、社内外のネットワーク、相互支援の組織風土、感謝の企業文化などが挙げられます。
心理的資本(Psychological Capital):前向きな心をどう保つか?
心理的資本とは、従業員が自信や希望を持って仕事に取り組む精神的な状態を指します(その基盤となる身体の健康≒身体的な状態も含む)。ルーサンスらが提唱したこの概念は、ストレスマネジメントやポジティブなマインドセットを通じ、個人のパフォーマンスを最大化するために不可欠です。
具体的には、仕事や自分に対する自信、将来への希望、体調、自己効力感、会社への愛着や貢献意欲が含まれます。
これらの人的資本、社会関係資本、心理的資本は単独ではなく、相互に連動してこそ最大の成果を生み出します。事業の発展には、優秀な人材(保有している能力・スペック)だけでなく、「絆や信頼」そして「自信や調和」が組織全体で醸成されることが不可欠です。
経済的資本の重要性が減少しつつある現代において、これら3つの資本を適切に活用することが、これからの時代における持続可能な経営のカギとなります。
そこで、先に述べた《個人の活躍=能力×状態》を順を追って、企業全体に拡大して考えると、次のように、方程式《事業の発展=人的資本×社会関係資本×心理的資本》に変換できます。
- 「個人の活躍=能力×状態」における「状態」を「職場」と「個人」に分ける。
- 方程式を展開する。「個人の活躍=個人の能力×職場の状態×個人の状態」となる。
- 「個人の能力」を「人的資本」、「職場の状態」を「社会関係資本」、「個人の状態」を「心理的資本」に置き換える。
- 最終的に、「事業の発展=人的資本×社会関係資本×心理的資本」となる。
このように、《個人の活躍=能力×状態》の組織としての総和が《事業の発展=人的資本×社会関係資本×心理的資本》であることが明らかです。
これは、渋沢栄一の合本主義(一人ひとりの資本は小さいが、合わせれば大きな力になる)ともリンクしており、組織全体のパフォーマンスは、個々の能力と組織全体の連携の総和であるという実感を私たちに強く与えます。
綱引き実験に見る! それって“人手不足”? それとも“活躍不足”?
人的資本と連動する「社会関係資本」や「心理的資本」の働きを理解するために、「綱引き実験」の事例を紹介します。この実験は、農学者リンゲルマンが行い、集団作業時に個人のパフォーマンスが低下する現象「社会的手抜き」を明らかにしました。
この背景には、社会関係資本が未整備であることが影響しています。さらに、社会心理学者スタイナーが提示した以下の公式は、組織内での「活躍不足」がどうして起こるのかを理解するのに役立ちます。
スタイナーの公式
実際の生産性 = 潜在的生産性 − プロセスロス(欠損)+プロセスゲイン(利得)
綱引きの例で見るプロセスロスとプロセスゲイン
スタイナーの公式を、綱引きに当てはめてみましょう(図表3-4)。左側の黒色帽子チームは1人で300kgの力を持っています。対する右側の白色帽子チームは、1人あたり100kg(3人で300kg)の力を持っています。
通常であれば、白色帽子チームは合計で300kgとなり、両チームの力は均衡するはずです。
しかし、図表3-4にあるように、白色帽子チームでは「呼吸が合わない(不一致)」「引く方向が揃わない(不揃い)」「意思疎通が不十分」といったプロセスロス(欠損)が生じています。

このロス(不○○)のため、実際には180kgしか引けなかったのです (100kg×3人×0.6=180kg)。これは、社会関係資本や心理的資本が未整備であったことが原因と考えられます。
そこで、チーム内で話し合いや練習を重ねて呼吸や方向を合わせること(不の解消をする)によって、プロセスゲイン(利得)が発生し、最終的には330kg(100kg×3人×1.1=330kg)の力を発揮できるようにすることも可能です。つまり、社会関係資本の効果で、心理的資本も連動して向上し、メンバー全員のパフォーマンスが大きく改善されたのです。
このように、人的資本だけでなく、社会関係資本や心理的資本を整えることで、チームのパフォーマンスは劇的に向上することが示されます。
プロセスロスと実際の企業事例
プロセスロスは、従業員の人数が増えたり、拠点・部署が多岐にわたる場合に、特に発生しやすくなります。
例えば、当法人がサポートしたある企業では、長年「人手不足」に悩まされていました。
さらに同社は複数の部署がビルの3階から7階に分かれて配置されており、部署間のコミュニケーションが不足していることが懸念材料となっていました。
その後、事業拡大に伴い、全部署を1フロアに集約できる新しいビルに移転したところ、自然とコミュニケーションが活発になり、社会関係資本が強化されました。
その結果、様々なプロセスロス(不○○)が解消されてパフォーマンスも向上。社員のモチベーションなどの心理的資本も高まり、間もなく人手不足も解消されました。長年「人手不足」と感じていた問題が、実は「活躍不足」が原因であったことが明らかとなったのです。
以上のように、チームや組織内での「コミュニケーション不足」や「連携のズレ」は、社会関係資本の未整備から生じることが多く、これがプロセスロスを引き起こし、結果として生産性を低下させます。このような場合、課題は必ずしも「人手不足」ではなく、「活躍不足」にあるのです。しかし、呼吸や意思疎通を合わせ、互いの力を最大限に引き出すことでプロセスゲインが生まれ、組織全体の力を大きく引き上げることが可能です。
企業や組織が真の力を発揮するためには、個々の能力(人的資本)を高めるだけでなく、社会関係資本と心理的資本を整備し、強化する取り組みが不可欠です。例えば、定期的なフィードバックの提供や、チームビルディング活動を実施することで、プロセスロスを最小限に抑え、チーム全体の生産性とパフォーマンスを向上させることができます。
さらに、健康経営やメンタルヘルスのケア、自己効力感を高める研修などを通じて、心理的資本を強化することも重要です。
ただ単に「人手不足」と嘆くのではなく、「それって本当に人手不足? 実は“活躍不足”なのでは?」と、一度立ち止まって考える時間を設けてみては、いかがでしょうか。

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