
これまでの事業変遷
—— これまでの御社の事業の変遷についてお聞かせください。
株式会社スリーリングス 代表取締役・三輪 賀一氏(以下社名、氏名略) もともとはカプコンで働いていたのですが、元専務の方が独立したのをきっかけにその会社へ転職し、約7年、開発業務やディレクションを担当しました。しかし、その会社の経営が厳しくなり、私もこの先の人生を考えていたところ、前職の上司から「一緒に会社をやらないか」という話をいただきました。そして、6、7人の仲間と共に立ち上げたのがスリーリングスです。
最初は全然お金もないため、マンションの一室を借りたものの7人が働けるスペースもなく、大手の会社に出向して仕事を進めていました。
仕事内容は、チームの立ち上げから、リリースまでをメインに行っていました。それを1、2年続け、少しずつお仕事をいただけるようになり、仲間も増やしていきました。おかげさまで設立2年目からは新卒採用も始められました。
その後、ソーシャルゲームのブームが来て、我々もソーシャルアプリを作ろうと決意しました。たまたま、1本目でうまくいったことで、嬉しいことに事業の拡大のチャンスとなり、事務所も現在の横浜へ引っ越しすることができました。これが設立から約10年の流れです。
—— 三輪さんは大学卒業後、新卒でカプコンに入られたんですか?
三輪 いえ、幼少期からゲームは大好きでしたが、仕事は居酒屋の店長をしていたんです。ですが私が19歳の頃、父が大病を患い入院しなければならなくなりました。私の家庭は父子家庭だったので、病院に通い看病するために当時の仕事を辞めました。そして、病院の近くで通いやすいアルバイトで始めたのが、カプコンとの出会いでした。
カプコンではデバッグの仕事をしていました。しかしながら、ゲームを作りたい熱意が強過ぎて、デバッグという業務に留まらず、作品のクオリティがアップする箇所を見つけては提案するといった、怖いもの知らずな行動を継続して行っていました。
そうした日々を送っていたところ、品質管理部の上司に気に入られ、アルバイトながらリーダーを任されることになりました。その頃は家計を支えていたため、幸いなことに時給も上がり、苦しい生活環境ではありましたが、当時のアルバイト代としては破格でかなり助かりました。そんな日を過ごしていると、社内の上層部で面白いやつがいるといった声が届いたようで、正社員化されることになりました。
—— プランナーとしてのスタートはどのようなものでしたか?
三輪 25歳ぐらいの時から始めたので、大学から入った人たちと比べると、スタートが遅れたことで経験から差がありました。
上司には「クリエイターとしては4、5年遅れている。だから人の4倍5倍働け」と言われました。その言葉を胸に、一生懸命働きました。その頃には結婚もしていたので、家族を養う責任感もありました。
気が付けば、入社したての3年間はほとんど家に帰らず、会社で仕事をしていました。でも、ゲームを作れるようになってくると本当に嬉しくて、努力している時間も、本当に楽しいと思えたからこそ、これまで続けてこれたのだと思います。その経験が今の自分を支えています。
—— 大変な仕事も楽しむメンタリティがあるのがすごいです。
三輪 単純なのだと思います。私の信念として仕事は楽しむもので、楽しめないのならやめた方がいいとすら考えています。苦しい時はありますが、根本は好きだからやっているのです。
—— 大手企業から転職された際の心境を教えていただけますか?
三輪 当時カプコンという大きな会社には、仕事の魅力だけではなく安定もしていましたし、その頃は少しずつ部署も大きくしていく等、チャレンジができる環境にも恵まれていましたので、責任もやりがいも感じていましたね。それと同時に、私は飽き性という性格もあり、物足りなさも感じていました。
私はあるゲームプロデューサーを非常に尊敬しており、勝手に師匠だと思っている方がいるのですが、彼が楽しんで仕事をしている姿を見て、そのエネルギーに触れた時、これからもその人と一緒に仕事をしていきたいという思いがあったのです。 エネルギーあふれる人と働くことで、新しい自分が生まれるのではないかと心のどこかで考えていたのだと思います。
自分の可能性を知りたかったし、ゲーム業界で活躍できる作り手になりたいという思いもありました。また、師匠も自身の会社を立ち上げるべく着々と準備を進めている最中だったのですが、そんな時に声を掛けていただき、これはチャンスだと感じました。失敗しても何か大きな力が身につくし、この実績を次のステップに繋げられる。人生においてチャレンジすることをしっかりと見据えていた時期でもありましたので、これはチャンスだと思い、チャレンジしようと一歩踏み出しました。
飛躍的な成長を遂げた秘訣
—— 飛躍的な成長を遂げた秘訣について、振り返ってお聞かせいただけますでしょうか?
三輪 私はずっとゲームを作り続けてきましたが、会社を立ち上げてからは経営にも関わらなければならなくなりました。その中で、会社を維持し成長させるために何が必要かを深く考えるようになりました。私たちの業界では、ヒット作が出れば成功するという側面があります。しかし、それ以上に大切なのは、ヒット作を生み出すための「人の力」だと考えています。
ものづくりを進める中で、同じ志を持った仲間たちが同じ目標に向かって働ける会社にしたいと思っていました。その考えに共感してくれた熱意ある社員が集まったことが、今思えば飛躍的な成長を遂げたタイミングです。作ることや新しいことにチャレンジすることを恐れず、楽しめてしまう姿勢が大切だと感じています
普通なら安定を求めて、安全な仕事を選びがちですが、私たちはあえて新規の案件に挑戦しました。当時の社員には、かなりの無茶な指令でしたが、失敗を恐れずに挑戦することが、私たちの強みです。
今では口癖のように社員に伝えていますが、「自分たちが熱意を持てるものには挑戦しよう」という気持ちでクリエイティブを続けてきたことが、飛躍的な成長の原動力になったと思います。システマチックなことや組織の成り立ちも重要ですが、何よりも自分たちの情熱を持って恐れずに挑戦することが、成長の秘訣だと考えています。
経営判断をする上で重要視している点
—— 経営判断をする上で、大切にしているポイントを教えてください。
三輪 私たちはものづくりの会社なので、本来は「売る」ことを第一に考えなければいけませんが、それよりも「面白いゲームとは何か?」を大切にしています。 私たちは受託開発をしているので、スケジュールやマイルストーン、予算など、多くのハードルがあります。それらはビジネスとして当然の要素ですが、それ以上に「ユーザーに届けたい本当の面白さは何か?」を社員にも自分にも常に問い続けています。そこが明確ではない仕事は、たとえ条件が良くても、熱意が持てないなりの作品となってしまうため、お断りしています。
—— 具体的に、そうした判断の一例はありますか?
三輪 例えば、過去にある大規模なゲーム開発プロジェクトのオファーをいただいたことがありました。しかし、お話を聞くと、「既存のシステムや仕様が完全に決まっており、新しい要素を加える余地がほとんどない」というものでした。長く続いているシリーズ作品にありがちなことですが、それを聞いたときに「自分たちが関わる意味があるのか?」と疑問を持ちました。 クリエイターとして、新しい挑戦ができないプロジェクトには魅力を感じませんでした。ビジネス的には安定した収益が見込める仕事だったのですが、心が動かなかったので最終的にお断りしました。
—— 従業員の方々からは反対の声もあったのでは?
三輪 もちろんです。「なぜ受けなかったのか?」と聞かれました。でも、私自身がやりたくない仕事を無理にやることで、結果的に会社全体が疲弊することを経験してきました。だからこそ、「本当に熱意が持って面白いと思える仕事」を優先するようにしています。今となっては、受けておけば良かったなと思う事もありますが、それでも大切にしたい考え方です。
—— 短期的な利益より、長期的なビジョンを重視しているということですね。
三輪 ビジネスとして利益を追求することも必要ですが、それだけでは会社は成長しません。私が大事にしているのは、「この仕事をやることで会社がどう成長するか」「クリエイターがどれだけ育つか」「どれだけクリエイティビティを発揮できるか」です。そう考えたときに、自分たちの挑戦にならない仕事は選ばないようにしています。
—— その考えは、組織全体にも浸透しているのでしょうか?
三輪 昔からいるメンバーには伝わっていますが、会社が急成長して社員が増える中で、新しく入った人にはまだ十分に伝わっていない部分もあります。そこで、2024年から新たに社内ブランディング向上のため、「Renew(リニュー)プロジェクト」を始めました。
2024年から1年かけて、私の想いであるコアマインドからミッション・ビジョン・バリューまで、組織文化をしっかり浸透させる取り組みを進めています。5年後、10年後により社員が熱意もって働ける会社にするために、今こそやるべきだと考えています。まだスタートしたばかりですが、しっかりと言語化し、組織全体に共有できるように取り組んでいるところです。
今後の事業展開や投資領域
—— 今後の事業展開や投資領域について、お聞かせください。
三輪 ゲーム業界全体を見ても、市場は今後さらに成長すると考えています。その中で、弊社はこれまでゲームソフトの開発に特化してきましたが、まだその分野において結果を残せたと思っていません。
これまで以上に、ユーザーにご満足いただける作品を、スリーリングスから展開していけるように、地盤固めではないですが、「開発プロセス」から見直しを行っていく予定です。先ほどお伝えしたプロジェクト、Renewのお話しはしましたが、その中に企業理念として「ゲーム好きが次のゲーム好きをつくるゲームをつくる会社」を掲げています。正にそれが成し遂げられる体制の構築を第一に取り組んでいきます。
また、それに通じる話しですが、今後は販売戦略やビジネスモデルの構築にも力を入れたいと考えています。 面白いゲームを作るだけでなく、それをどう売り、どうユーザーに届けるか。ここへ本格的に取り組むことで、単なる開発会社ではなく、より広い視点を持った事業展開ができるようになります。最終的には、自社でパブリッシングまで手がける会社を目指しています。
—— お客様に直接届けることを意識されているのですね。
三輪 ゲームをプレイするのはお客様ですから、どう届けるかを考えられる会社でありたいと思っています。その結果、ユーザーのフィードバックを活かした開発が可能になり、より良いゲームを作るサイクルが生まれます。
—— 同時に組織の強化も必要になりそうですね。
三輪 そうですね。特に意識しているのは、国内市場だけに限らず、海外も視野に入れて積極的に展開することです。すでにゲーム業界ではグローバルな市場が当たり前になっており、国内だけでは成長が難しくなっています。
世界も拠点の一つとして、現地のクリエイターとの協業を進めながら、海外市場への足がかりを作っていきたいと考えています。
—— そうした展開によって、よりダイナミックなビジネスが可能になりますね。
三輪 従業員にも、こうした挑戦を楽しんでほしいと考えています。仕事をただの義務ではなく、ワクワクできるものにしたい。組織の成長とともに、個々の夢も実現できる環境を作ることが重要です。
—— そういう会社なら、働くのが楽しみになりますね。
三輪 月曜日が憂鬱になる会社にはしたくないんです。社員が「早く次のプロジェクトに取り組みたい!」と思えるような会社を引き続き目指していきます。
メディアユーザーへ一言
—— メディアユーザーへメッセージをいただけますでしょうか。
三輪 世の中にはいろいろな職業がありますが、共通して言えるのは、仕事は楽しむものだと思うんです。自分が楽しめていないと、会社を作るにしても、仕事をするにしても、その価値は高まらないと思います。
そして、自分のために仕事をするのではなく、誰かのために仕事をすることが大切だと思っています。根本を見たときに、今自分がやっている仕事が世の中の人のためになっているかどうかを考えると、やりがいに繋がります。
私は、エンターテインメント業界に関わっている身として、人を楽しませる良い仕事をしていると誇りに思っています。ゲームは衣食住で言うと必要ないものかもしれませんが、娯楽として人間が生きていく上で重要なものだと思います。
人を楽しませたい、喜ばせたいと思ったら、まず自分が楽しめないと無理です。これから頑張ろうと思っている人たちに伝えたいのは、本当に心底仕事を楽しんでくださいということです。起業するのは勇気がいりますし、不安もたくさんあると思います。でも、心から楽しみながら世の中の人のために頑張ろうと思えれば、何でも乗り越えられるのではないかと私は思っています。
- 氏名
- 三輪 賀一(みわ のりかず)
- 社名
- 株式会社スリーリングス
- 役職
- 代表取締役