この記事は2025年9月8日に配信されたメールマガジン「アンダースロー(ウィークリー):石破首相の辞任後のシナリオは?」を一部編集し、転載したものです。

シンカー
米国:幅広い業種で続く雇用減少
米国の8月雇用統計は雇用者数が前月比+2.2万人と小幅な伸びにとどまり、6月と7月はあわせて2.1万人下方修正されるなど労働市場の弱い動きが改めて示された。6月分は前月比―1.3万人と、2020年12月以来のマイナスとなった。全業種のうち雇用者数が前月から増加した業種の割合を示すDIは49.6と半分を割り、3ヵ月前比では51.2、6ヵ月前比では48.0である。幅広い業種で悪化が続いており、過去の景気後退局面でもみられてきた動きである。
関税引き上げの影響が直接的に表れると考えられる貿易関連や製造業、小売りなども、雇用はマイナスか、増加しても小幅な動きが続いている。新型コロナで著しく減少したヘルスケアサービスは、その後の回復過程で全体の雇用増加にこれまで寄与してきたものの、足元では過去トレンドに戻ったことで増加幅が小幅になりつつある。連邦政府部門も雇用減少が続いており、第二次トランプ政権下での政府機関の人員削減が影響している可能性がある。
こうした流れの中で、9日に公表される雇用者数のベンチマーク一次改定によって3月までの雇用者数の下方修正が予想されている。FRBのパウエル議長らは、中長期のインフレ期待が上振れない限りは関税による物価押上げは一時的であるとの見方をベースラインとし、より労働市場に配慮し、中立金利に向けた利下げを再開する姿勢にシフトした。今回の結果は、9月会合からの利下げ再開に向けた追加のサポート要因となった。9月会合から50bpの利下げを考慮してもよい状況といえるものの、依然インフレ動向に慎重なメンバーもおり、まずは25bpになるとみられる。
足元でサービス価格を中心にインフレ率がやや上昇傾向にあるものの、雇用や消費の減速により、長続きしないとの認識を維持するだろう。新型コロナ以降続いてきた雇用の拡大は、財政拡大などによる急激な需要の拡大、実質金利や実質賃金の低下、安い輸入品の寄与による交易条件の改善、供給制約に乗じた値上げも加わったマージン拡大、などによって支えられてきたとみられる。一方で、そうした高いマージンを維持、さらに拡大していく余地には限度があり、これまでの高い利益を前提にした、雇用含む投資は過剰となるリスクがある。関税引き上げもマージン圧縮に繋がることで、インフレ圧力も抑制されていくだろう。(松本賢)
石破首相の辞任後のシナリオは?
参議院選挙での自民党と公明党の連立政権の大敗を受けて、退陣を求める声が日増しに高まり、石破首相が辞任を決めた。自公政権は、衆参両院の過半数の議席を失った。国民は首相を直接的には選べないため、政権与党の党首が首相に就任するが、国政選挙で敗北した場合、政権が退陣することが憲政の常道である。衆議院選挙、都議会選挙、参議院選挙と主要選挙で三連敗した石破首相が居座る憲政の常道に反する行為を、自民党は許容しなかった。国民の生活の困窮にしっかり向き合うことができず、消費税率の引き下げに頑なに抵抗するなどした財政再建優先路線(緊縮財政)が支持を失った形だ。
野党間では、国家安全保障、憲法改正、保守対リベラルの思想で違いが大きい。野党が連合して、政権交代が起きる可能性は小さく、引き続き、政権は自公が中心となるだろう。自公政権は3年後の次回の参議院選挙で大勝(78議席以上)しなければ政権を安定化させることはできず、案件ごとに野党の協力を求める現行の政権運営は持続的ではない。自民党は新たな総裁の下、連立の拡大を模索することになるだろう。自民党の新総裁の選出は、党員投票を伴うフルスペックの総裁選になるか、緊急案件として両院議員総会による決定となるかは不確かである。両院議員総会の地方票は、前回の総裁選の党員票の結果に左右されるとみられる。
総裁選では、リベラル派・財政健全化派であった石破総裁のアンチテーゼとして、国民の支持を取り戻すため、自民党の中の保守派・積極財政派が主導権を奪取するとみられる。前回の総裁選で党員票獲得数が最多であった高市前経済安保担当大臣が、麻生元首相、旧安倍派、茂木前幹事長などの非主流派の支持を得て、女性としては初の総裁となる可能性が高い。小林元経済安保担当大臣と城内経済安保担当大臣などの保守派・積極財政派の議員が要職に起用され、経済安保シフトが敷かれるだろう。保守派・積極財政派が主導権を奪取すれば、積極財政・高圧経済への転換を名目として、国民民主党や参政党などの保守的な野党と連立を模索することになるだろう。国民民主党の玉木代表との距離の近い茂木氏が幹事長に再任されるかもしれない。フルスペックの総裁選になった場合、党員票の追い風を受けて、保守派・積極財政派が主導権を奪取する可能性が高まる。次回の衆院選では、石破首相の下で離反していた保守層と若年層の支持が回復し、新政権が勝利する可能性が出てくる。
その他の候補である小泉農林水産大臣は昨年の衆議院選挙で選挙対策委員長を引責辞任したばかりであり、林氏も官房長官として今回の大敗の責任がある。岸田前首相も、総裁選の決選投票で、党員票の結果を議員の力で覆し、自公政権の退潮の原因を作った責任がある。小泉氏、加藤氏、岸田氏などの中道派が主導権を奪取すれば、改革を名目にして、日本維新の会との連立を模索することになるだろう。林氏、河野氏、上川氏などのリベラル派・財政健全化派が奪取すれば、税と社会保障の一体改革を名目にして、立憲民主党との連立を模索することになるだろう。両院議員総会の総裁選になった場合、変化を好まない議員の票の動きによって、中道派やリベラル派が主導権を奪取する可能性が出てくる。両者のケースでは、保守層と若年層の支持は回復せず、自民党の退潮が更に進行し、多党制の時代への動きとなる可能性が高い。(政治シナリオの図を参照)
参議院選挙で議席を大きく増やした積極財政を推進する保守系の野党は、保守派・積極財政派である高市氏とは連携できるとみられる。ただ、連立拡大の構想の中で、自民党から次の首相が出せるのかどうかは不確かである。場合によっては、連立相手の党首を首相に担ぐこともありえる。連立が拡大すれば衆参の過半数の議席が確保され、政局は安定する。連立拡大に失敗した場合、自公政権が衆議院を秋の臨時国会で解散して、過半数の議席を回復させる方向に動く誘引となる。衆議院選挙で勝利すれば、民意の後ろ盾もあり、参議院の過半数に足りない3議席は、案件ごとに協力を求める形で手当てできるとみられる。
連立の拡大を模索していく中で、現行の財政再建優先路線から積極財政路線に転換していくとみられる。積極財政に加えて、高圧経済の方針が加わり、日銀の利上げペースの後ずれの影響が及ぶだろう。日銀は一年間は金縛りになって動けなくなるかもしれない。秋の臨時国会では、家計を支援する大規模な経済対策を実施することになるだろう。そして、来年1月からの通常国会では、減税と財政支出の拡大を含む拡張的な2026年度予算を成立させることになるだろう。保守系の野党の主張を取り入れ、所得税の基礎控除は大幅に引き上げられ、消費税も部分的な減税が行われるだろう。経済・社会課題の解決と、経済安全保障の確立のため、政府の成長投資も拡大するだろう。マーケットでは、日銀の利上げの抑制で金利が安定し、高圧経済の期待によって株式市場は上昇していく「高市トレード」が予想される。一方、リベラル派や中道派が勝利した場合、マーケットでは、日銀の利上げの加速による金利のさらなる高騰と、政治不安による内需の回復見通しの減退によって、いずれ株式市場には下落圧力となると予想される。
プライマリーバランスの黒字化の目標は更に形骸化し、来年の骨太の方針に向けて、マクロ経済の考え方を取り入れた柔軟な財政規律のあり方が議論されていくことになるだろう。プライマリーバランスの黒字化の目標は、減税を含めた財政政策による内需拡大と、防衛費の増額の障害となり、トランプ関税の交渉が滞る一つの原因となっていた。15%の相互関税と自動車関税は残り、外需には下押し圧力がかかり続けることになるが、十分な財政支出によって内需が拡大すれば、悪影響は相殺され、景気後退に陥るリスクは小さくなるだろう。円安の水準が、引き上げに対するバッファーとして「虎の子」である状態は変わらない。日銀の早期の利上げによって円高にすることはないだろう。
トランプ関税による外需の下押しに対処するためにも、政府は外需依存を内需拡大に転換させていく方向性を強くしていくだろう。内需拡大に転換しなければ、米国との貿易黒字を縮小することはできず、米国の関税がまた引き上げられるか、第二次プラザ合意に至り、大幅な円高となるリスクが残ってしまう。財政政策による内需の拡大と防衛費の増額も許容できる新しい財政規律の在り方が議論されていくだろう。1985年のプラザ合意後の円高不況で、外需依存から内需拡大に転換していったシナリオと同じである。
図1:政治シナリオ

図2:2024年の自民党総裁選の党員票獲得数

図3:米国雇用DI(50以上=半数以上の業種が雇用増加)

図4:米国企業の利益マージンとPCEデフレーター

以下は配信したアンダースローのまとめです
ネットの資金需要が過少ではトラス・ショックは起きません(8月13日)
政府の負債が増加すると、国民の資産も増加します。
政府のネットの負債残高から家計のネットの資産残高を引いたものも、財政余力を示します。
日本は世界最大のネットの対外資産残高を持っています。
日本の有事には、ファイナンスのために、対外資産が円に転換されることで、円安を止める力になります。
政府のネットの負債残高から家計のネットの資産残高を引いたものと、対外純資産残高は各国の総合的な財政余力を示します。米国やユーロ圏と比較すると日本が最良です。
日本は円で国債がファイナンスされているため、国債がデフォルトすることは理論上ありません。ネットの資金需要(企業貯蓄率+財政収支)が小さく、政府と企業のネットの負債残高が示す負債構造が安定化し、国際経常収支が黒字であれば、イギリスのトラス・ショックのようなことは起きません。
イギリスは、コロナ後のネットの資金需要があまりに巨大で、国際経常収支は赤字でした。
トラス・ショックのような間違った金利上昇が起これば、民間の資金需要の弱さを背景に金融機関は国債投資を大幅に増やし、金利は元に戻ります。
図1:対外純資産も考えた日本の総合的な財政余力は巨大です


図2:ネットの資金需要が巨大であった英国のトラス・ショックは日本では起きません

4-6月期のGDPは事実上のマイナス成長(8月15日)
4-6月期の実質GDPは前期比+0.3%(年率+1.0%)となった。トランプ関税前の駆け込みの生産・輸出があり、実質輸出が前期比+2.0%と強かった。10月のOSサポートの終了が迫り、PCの駆け込みの購入が増え、6月に出荷額が急増した。4-6月期の実質設備投資も同+1.3%と強かった。実質消費は同+0.2%と弱く、コロナ前の2019年平均にようやく戻ったにすぎない。4-6月期のプラスの成長は駆け込み需要に支えられた結果である。特殊要因がある設備投資と輸出の伸びが半分であれば、4-6月期の実質GDPはマイナス成長(前期比年率-0.3%)に沈んでいた。
2024年1-3月期の財政収支(GDP比、4QMA)は-1.3%と、税収の急増によって、財政収支の赤字はほとんどなくなっている。一方、家計の貯蓄率は+1.1%と、極めて低い水準に低下している。将来への貯蓄ができない、その日暮らしとなっている家計は増加しているとみられ、家計は困窮している。本来であれば、3月末に2025年度の政府予算が国会を通過した後、政府が経済対策の補正予算をすぐに組み、減税や給付金などで家計を支え、成長の失速を回避するはずであった。しかし、消費税率引き下げの議論につながることを懸念し、大胆な対策が打てず、予備費による対応しかできなかった。
トランプ関税前の駆け込み生産・輸出の反動が7-9月期以降に出てくるとみられる。企業が輸出価格を大幅に引き下げて対応してきたが、今後は価格引き上げにともなう輸出数量の落ち込みがみられるだろう。PCの駆け込み需要は続くが、トランプ関税とグローバルな景気減速による不確実性の増加によって、企業収益への下押し懸念で、設備投資が手控えられてしまうリスクがある。夏の猛暑は、外出を躊躇させ、消費活動にも下押しがかかっているとみられる。4月の建築基準法・省エネ法改正の実施前の駆け込み需要の反動で、住宅着工が激減している。7-9月期の実質GDPはマイナス成長となる可能性が高い。
国政選挙で連敗した石破首相は、自民党内での政治的求心力がなくなり、秋の臨時国会の前には辞任するとみられる。自民党の総裁選を経て、新たな総裁は、現在のリベラル・財政再建優先の路線から、保守・積極財政の路線へ転換していくとみられる。自公政権は衆参の両院で過半数を下回る議席となっているが、保守系の野党と連携しながら、国会を運営していくことになるだろう。まずは、秋の臨時国会で大規模な経済対策を実施し、家計への支援を拡大するだろう。2026年度の政府の本予算も、所得税の非課税枠の拡大や消費税率の部分的な引き下げなどを含み、拡張的なものとなるだろう。
政府の積極財政路線への転換には、国債市場の安定の条件となる緩和的金融政策の継続が必要になり、日銀は利上げを早期に再開しにくくなるだろう。秋の臨時国会では、政府は大規模な経済対策を実施するとみられ、政府が景気を押し上げようとしている時に、景気を押し下げる利上げを日銀はやりにくい。日銀法には、「その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」とされている。政府の経済政策の基本方針が変化すれば、日銀の金融政策への影響も大きいのは当然だ。
トランプ関税の影響を緩和するため、円安の水準は問題から虎の子に変わっている。石破政権が退陣し、新政権の経済政策の方針に、積極財政路線に加え、高圧経済の方針まで加われば、日銀の利上げは更に遠のくことになる。トランプ関税に対処するためにも、政府は日銀とも連携しながら、外需依存を内需拡大に転換させていく方向性を強くしていくだろう。1985年のプラザ合意後の円高不況で、外需依存から内需拡大に転換していったシナリオと同じだ。グローバルに景気が腰折れず、経済対策の効果もあり、10-12月期以降の実質GDPがプラス成長に戻る確信が、利上げの再開には必要だろう。次の利上げは最速で来年の1月であると予想する。
日本経済見通し


本レポートは、投資判断の参考となる情報提供のみを目的として作成されたものであり、個々の投資家の特定の投資目的、または要望を考慮しているものではありません。また、本レポート中の記載内容、数値、図表等は、本レポート作成時点のものであり、事前の連絡なしに変更される場合があります。なお、本レポートに記載されたいかなる内容も、将来の投資収益を示唆あるいは保証するものではありません。投資に関する最終決定は投資家ご自身の判断と責任でなされるようお願いします。